陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

秋は賑わいの園へ

2016-10-29 | 自然・暮らし・天候・行事


このブログは十月生まれなので、自然、秋のはじまりで秋に締めるというサイクルで動きつつあるのですが、そんな秋のど真ん中の十月ももう終わります。私ごとで恐縮ですが、春先に途絶えていたことがやや復活しつつあったり、夏場の疲れがどっと出てうっかり風邪をひいて病院のお世話になってしまったり、慌ただしい一箇月でした。先月が試験の余波で拍子抜けしてしまったからでしょうか。

以前に仕事でお世話になった方がたに御礼がてら突撃訪問してみたり、ちょいと遠出のドライブで気分転換してみたり、資格取得とは別にセミナーを受講してみたり、積極的に足を伸ばすようにしております。秋に恒例の庭木の手入れもほぼ終わりつつありますし、刈っても刈ってもたくましく、うとましい下草との格闘もそろそろ落ち着く頃合い。田舎に家を構える者どうしで大変ですね、と励ましあいつつ、少子高齢化の進みつつある田舎の静けさに侘しさも募ります。大正時代にはじまった国勢調査で初の人口減、憲法ケンポーうるさい連中が裁判起こしたせいで、ただでさえ合区や議員定数削減で苦しめられる地方と、都会との格差にも溜息ですね。客足の乏しい街の商店街では、事業主さんがゼミを開いて交流を図ったりと、いろいろと工夫が見られます。

ノーベル賞は医学生理学賞で大隅教授の快挙。日本人三年連続の受賞、おめでたいことですが、氏の唱えるように潤沢な研究費があてがわれるには、厳しい成果も問わねばならない。STAP細胞事件や理系の論文やデータ捏造など、日本の大学教育の権威は失墜しています。貧困家庭の優秀な若者への奨学金は必要不可欠ですが、生活が自立できない大卒者を育てるまちがった大学教育をまずどうにかしてほしいですよね。文学賞ではボブ・ディランの受賞とその後の無反応っぷりが話題になりましたが、けっきょく授賞式に参加の意志は示されたようですね。ミュージシャンですから、シャイなのでしょうか。経済学賞と文学賞って別に要らないのではないかな、と思ってみたり。

ハロウィンもいつのまにか定着してしまいました。
お菓子をくれないといたずらするぞ、と大人を脅す子どもたちの行列のお祭りという認識しかないのですが、この考え方って古き良き日本の道徳観とは合わないですよね。オピニオンリーダーを自認する知識人たちは、道徳は社会によって変わるから、家族すてたり不倫に走っても不道徳じゃないみたいなこと言うわけですけども、こういうことが平然と本に書かれてベストセラーになっちゃう世の中どうなんでしょう。

健康の秋、運動の秋ということで、からだも動きやすい季節。
招かれたお子様がたの運動会でも、保護者の父母の皆さんもノリノリで楽しそうでした。お子樣の成長をうかがうまたとない機会。しかし、裏方で運営されている保育士さんのご苦労がしのばれます。けっこう体力仕事ですよね。

文化の秋、芸術の秋ということで恒例の正倉院展がニュースになったり、歴史的な貴重な発見が相次いだりもしていますね。ここ最近はこれといった美術館にも出かけない生活(田舎なので…を言い訳として)になりましたが、恩師から招待状をいただきまして、野外展示されている立体作品を巡ってきました。二十年以上の親交が続いたことを今更ながら再確認して、お互いに驚きでした。昨年は十一月の士業の受験をしていたので会期末まで遅れたのですが、今年はゆったりと。

つい先日、お気に入りのCDがPCで読みこめなくなり、迷ったのですが、市場に流すことにしました。また、それを大事にして下さる方が現れることを願って。しんどい仕事をしていたとき、出勤する前はいつも流しっ放しにしていたマイ名曲ですが、ここ数年は聞かないまま。私はもうそれを必要としていないのかも。音楽を聞く時って、世間の喧噪から耳を塞ぎたいときでもあるんですよね。

鳥取でも地震が発生し、いついまの暮らしがどうなるかもわからない現代。どんな状況にあっても、しっかり食べていけるように、数少ない家族と安全に暮らしていけるように、気を配っていかないといけないなと感じた次第です。



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