陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の逸(はしり)」(三十一)

2009-09-28 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

修道女は千歌音の言葉を否定するが如く、やんわりと首をふるった。

「私たちも苦しみました。千歌音さまと同じように。親とも慕うべき、大巫女さまのあの尊きお社を護れなかった。大巫女さまがみまかられました折りには、侍従の巫女すべてが殉ずる覚悟でございました。政府は巫女を弾圧しようとしておりました。このまま生き延びてよいものかと思いつめ、井戸に身を投げんとしたものすらいたほどです…」

修道女の言葉は立て板に水を流すように続けられていた。
かつての限月さまと呼ばれた巫女は、必要なことは話すが、さほど饒舌なお方ではなかった。いったい、この十数年で、何が彼女をここまで変えたのであろうか。そして、彼女が信仰する教えとは、ここまで力強く女を変えていけるほどの力をもつものなのだろうか。しかし、鼻眼鏡を外して語りかけるその穏やかな瞳は、たしかに千歌音がよく知っている、あの限月さまのものと違わなかった。

「ですが、大巫女さまはよく仰せでした。我が神つ国日本は八百万の神のおはす国。そして、この世界に神は一柱ではない。数多の神さま仏さまがいらっしゃる。イエズスさまにせよ、釈迦如来さまにせよ、ほんとうにさまざま。もし我が命滅してのち、このお社になにかがあろうと、そなたたちは新しく生きる道を拓いていくがよい、と。神に殉ずることではなく、そなたたちが生き残ることこそが、わたくしの本望であるのだ、と。それが大巫女さまの御遺言でございました。大巫女さまはお優しい方でした。神の御元に参られて、今ごろは健やかにお過ごしでございましょう」

おろち衆徒の一座が、しきりと叫んでいる。
「おろちの神を信ぜよ! 我は神の御遣いなり!」
「我らととも戦うものは、死してなお、極楽へ迎えられ、未来永劫超生しようぞ!」
「勧進せよ! 勧進せよ! 汝らの魂、我らが大いなる神の御元へ捧ぐべし!!」
彼らをとりまく観衆たちは、その一座の動きから目が離せなっていった。大向こうから、うわあああ、と歓声があがる。大きく吼えていたのは、ひときわ背が高い熊のような大男だった。

修道女は神がかった演技をくりひろげている一座を見やりながら、鷹揚に言葉を重ねた。

「神仏だけではありません。世の理(ことわり)を知るための科学的知識もまた、信仰に近いものです。信じることで人は救われる。神話や伝説、語り物に惹かれてしまうのも、信仰心のようなものでしょう。親しみある先祖霊もいれば、由緒正しき国津神さま、天津神さま、どれもあだや疎かにしてはなりません。国や民族が違えば、そこにそのお国の顔をした神さまがいらっしゃるでしょう。自己の信じる神ではないからといって、無碍に迫害できるでしょうか」

千歌音は胸に抱いた風呂敷を握りしめた。
この中には姫子の傷に塗る薬が入っている。口寄せも魂逸りもできる姫子は、れっきとした巫女だ。けれども神に仕える巫女とは言いながら、人の手による痛手は奇蹟では治せない。寒ければからだを温める食事と衣が必要で、誰かのからだにはいりこんで逃げることなどはできやしない。こころの傷とからだの傷は別ものなのだから。薬は医学の神秘がもたらしたものだ。症状に合わせた正しい服用を知れば、誰でも薬で傷病を乗り越えることができる。学をつければ、この私でも、姫子を、そして誰かを救うことができる…?

千歌音のわずかに生まれた動揺を見透かしたように、修道女はすいと身を寄せてきた。
おろち衆徒たちの叫び声がかまびすしい。聲を潜めるようにして、かつて姉とも慕ったその修道女は、千歌音の耳もとに誘いの文句をひたすら吹き込む。




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「夜の逸(はしり)」(三十二) | TOP | 「夜の逸(はしり)」(三〇) »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女