陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

誰かを殴るためにブログを書き続けている

2024-08-06 | PC・通信・情報・メディア・SNS

今ではそうではないが。
特定のブログを定期的にのぞいていたことがある。自分の特性に親近感がある場合が多く。実はヲタクならではの趣味が同じだからとは限らない。

長く追っていくと、その管理者の人となりが見えてしまう。
その人の嫌っている者は、おそらく劣等感の裏返し。執拗に過去あるいは現職の仕事のアピールは、仕事を喪うもしくはできなかった記憶を拭うため、なのかもしれない。私自身がまさにそうなのだから。子どもの学業やスポーツ成績をやたらと自慢する母親は、働かない専業主婦が多く、あるいは自分の地位に不満がある父親のケースもある。若かりし頃の成功者の夢を代理で子どもにさせているわけだ。子どもがもし期待に応えなかった場合には、虐待親になりやすい。

私の場合を振り返ってみよう。
やたらと学者肌、ホワイトカラー、クリエイター、留学や学歴ロンダの博士卒を攻撃している。私自身がなれなかった職種、できなかった体験、あるいは身内を愚弄された怒りなどが反映されている。そんなことはわかりきっているのだ。語学は満足に身につけられなかった。友人に裏切られた。家族に協力したのに感謝されていない。会社勤めをしていると、家庭教師を断った親御さんから、そんな仕事は似合っていないからやめろと厭味を言われるなどなど。異性に対するミソジニーはたいがい異性親からの愛されなかった過去が影響するものだ。

お金にこだわるのも、小遣いで苦労したり、兄弟差別で買ってもらえなかったひもじさがあったりする。長男長女と違って、ほんらい後継ぎでなかった私は買いたい服を買ってもらえなかったことがあったので、親にお金をもらうことを一切期待しなくなった。なのに、いま、家の中核を担っているのは私なのだ。なので、成人済みで上京したうえにいまだ親に仕送りをもらっているような甘ちゃんをみると、軽蔑したくなるのだ。

最近、私は職場でミスを指摘され。
その意趣返しに、相手側の指導の過ちを言い返したのだが。その大人げなさを逆になじられてしまった。とにかく、なにかと一方的にこちらが悪いの一点張りで話が通じないことに、いらだってしまったのだ。相手のミスをそれとなくカバーしたことはこちらだって何回もあったのに、私が何かをやっても評価されることはなく、持ち込んだ私物は壊されて、かってに備品を使いこまれていたりもした。

確かに私は他人のミスには不寛容なのだろう。
自分の仕事の利便性のために、無理な提出期限や指導を言い渡すこともあっただろう。だが、あまりに繰り返される故意としか思えない対応に、嫌気がさして、サービスでやっている職場の別部署の掃除もしなくなったのだった。良かれと思ってやったことは、すべて裏目に出ていたわけだ。

私のこの苛立ちはもちろん、過去の職場では不遇だったので。
ここでは挽回したい、組織に溶け込みたいという前のめりな野心からきている。あなたのことを思っていますのアドバイスも。だが、他者にはそれが暑苦しく思えてしまうのだろう。

あとから冷静になってみれば。
あのとき自分を抑えていれば、もっと自分は得をしたのではないかと思うことは多々あった。個人事業上の契約でも、過去の勤め先でも。けれども、この負けず嫌いな気質は治らないのだろう。この気質があればこそ、正社員にも戻れたわけだし、嫌な取引先とも縁切りできたわけでもあるからだ。

他人を言葉でもって殴らないためにどうしたらいいのか。
私はいまそれを真剣に考えているのだ。アンガーマネジメントだとかマインドフルネスとかそういった本にあるような流行りの対処法ではなくて。そうすれば見苦しいブログの日記もうすこし見様が良くなるとは思うのだが。


(2023/08/06)





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