陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

フィンセント・ファン・ゴッホ──疑惑の肖像(一)

2011-07-22 | 芸術・文化・科学・歴史


フィンセント・ファン・ゴッホについてはじめて書いたのは、学生時代の美学のレポートであった。二枚の絵画を比較しながら論ぜよという課題に即し、当時、芸術家と聞けば美術の教科書に載っている人物ぐらいしか知らなかった浅学の私にとって、選びやすい題材がゴッホであった。彼の名を知らぬものはあるまい。なにせ、それは小学校の美術の教科書にすら登場する、少年少女たちにとっては「異様に目のぎらついた少しアブナいおじさん」の顔だったのだからして。

その若き日の課題において、「ある事件」を境にした画家の心境の変化を時期の異なる自画像二枚並べて論じたのであるが、今となってはなんと稚拙な素材の選択であったことかと恥ずかしくもなる。人の抱く精神のありようを顔の造作にみてとるという分析は、そもそも美術史的手法などではないからだ。

つい先日のことであるが、そのゴッホについて驚くべき発表がなされた。
オランダはアムステルダムのファン・ゴッホ美術館が所蔵する、画家の自画像とされていた一枚(1887年作、記事のトップ画像)が、同館の学芸員によって、弟テオの肖像だったと認定されたのだ。その一枚こそはまさしく私があのレポートで選んだ図版の片方ではなかったのか。

ゴッホの人生を変えた「ある事件」とは言うまでもなく、画家ポール・ゴーギャンとの共同生活が破綻した1888年の「耳切り事件」のことである。以後、画家仲間からも見放され、サン・レミの精神病院に収容されたゴッホは、1890年に37歳の生涯を閉じるまでふつふつと沸き立つような内面の葛藤を画布にぶつけることになる。



《耳を切った自画像》1889年、ニアルコスコレクション


私が選んだもう一枚は、そのサン・レミ時代に描かれたとされる《耳を切った自画像》(または《包帯をしてパイプをくわえた自画像》とも)であった。そこには顔の右側を白布で覆い、パイプを吹かしている男が描かれているが、その目は寄り目がちでうつろに感じられる。くだんのもう一枚は、その精神に異常を来した状態からあえてかけ離れたやや控えめな顔つきのものを選んだ。事件前までは、ゴッホが狂気をはらんだ画家ではなく、あまりに純朴で善人すぎる画家であったことを示すためだ。
しかし、今となっては帽子をかぶり、襟元には几帳面なタイが結ばれ、青いジャケットを着ている落ち着いた風貌のこの男が、たしかに本人ではなかったとされれば納得はいく。

同美術館の学芸員によれば、あご髭に赤味がなく黄みがかっていた、耳も丸みを帯びているといった点が同時期のテオこと、テオドルス・ファン・ゴッホの写真と照合されたという。生涯でただ一枚しか絵が売れなかったという不遇の兄を経済的にも精神的も支えたテオこそは、ゴッホの画業を語るうえで欠かせない人物であろう。従来、ゴッホがテオを描いた肖像は皆無とされた定説がみごとにひっくり返ることになる。

これだから歴史学の面白さはたまらない。
ただの暗記学問だと思っていたら大間違いで、科学の発見のように、新しい事実を生み出すことができる。けだし、科学理論のように無から有をひねり出すといった具合ではないが。美術史においては、科学にあるような日常に役立つという技術的な効能とは別の価値を押しつけられることになろう。美というカノン(規準)を放り出した20世紀の美術史が抱えこんだ価値とは、作品が哲学を生むということに相違ない。


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