陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の月(あかり)」(十三)

2009-09-27 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


余談だが、この大正十一年こそは、先述したように、騒擾かまびすしい世情を背景にして日本ではじめて刑事訴訟法が公布された年である。もうひとつ、日本の社会保障が産声をあげた画期的な年でもあった。

大正十一年に健康保険法が制定、そしてその施行は大正十五年七月。
だが、その本格的な施行は、関東大震災の影響もあって、昭和二年まで待たねばならなかった。当初の健康保険法は、ごく一部の労働者のための生活保障と保険給付とが目的であった。さらに国民健康保険法が制定されたのは昭和十三年、なんと戦前のことである。国民皆保険、国民皆年金の実現が叶ったのは昭和三十六年であるが、世界の先進国が羨むほど、日本の公的医療保険は充実しているといっていいだろう。

しかし、社会保障のしくみがうまく回るためには、保障を支える健全な働き手が必要なのは、いつの時代でも言うまでもないことである。千歌音のように、食べていくためにあくせくしなくともよい富貴の家に育てられたとしても、不健康かつ無為の身の上であれば、やはり肩身が狭いことには変わりがない。社会の再生産に寄与できない身には、世間は手厳しい。

「いやいや、奇特の有るや無しやは、確証などできぬ。だが、思ったより、千歌音どのはお元気そうで何より。知識や学問があろうとも、人間は息災なのが何よりの財(たから)じゃて」

にこにこと笑って微笑む好々爺。
笑うときれいに切り揃えられた天神髭が上下する。姫宮のご当主とは同年代であるが、まるで正反対のお人柄であるようだ。人が良くて話し好きなお方というのは、病み上りにとっては、いささか面倒な対象でもあったりする。千歌音は鷹揚に対処する力に欠けていた。大神はのらりくらと世間話をこぼしはじめ、千歌音は、はあ、と気のない返事をくりかえすばかりである。頭が石を載せたかのように重たい。血管が乾いた竹のように、細々しく命の気を流している。

大神壱之新が語るところによれば、姫宮家のご当主とは幼馴染みであるらしい。
姫宮家先代当主・千楯(ちたて)の喜捨によって、村でゆいいつの尋常小学校の校舎が新築され、その祝いに宮相撲が大神神社で催された。力自慢の腕白坊主たちのなかでも抜きん出て長身だった壱之新少年の相手は、土俵の隅にちんまりとした小兵だった。宮相撲は開催地が座元となって、村外からも広く出場者を募る。その相手は村では見かけない顔だった。だが、その小兵と侮った少年に、壱之新はあっさりと足をすくわれて投げられた。役力士は同じ取組で二番とって、最初は真剣勝負、その後は勝者が必ず負けると決まっている。なのに、少年はふたたび壱之新を派手に転がした。大神神社の子息にも容赦はしない。神の御前で実力を出し切らないのは男が廃るというのが、その勝ち名乗りの少年の言い分である。二人は生涯の親友になった。その少年こそ、のちの姫宮千実であった。

「ご存じかな。むかし、世界が暗澹たる闇に閉ざされ、憎悪が渦まいたときに、只一箇所、ほの明るく輝いていた土地があった。それが、天火明村の由来とされている。世界が無明につつまれたときに、月のごとく照りはえる救いの場処…だから、この村の旗印は、黒地に銀月を模しておる、とな」
「存じあげませんでした。紙芝居のようなお話ですね」

千歌音はそっけなく言い放った。
寝つかれない子どもをあやすように、甲斐のない昔話でもはじめる気なのだろうか、このご老体は。千歌音のあまりに幼い反発心を敏感に感じとったのか、大神老人はやわらかく奥歯を噛み合せて、口を動かした。老人にしては歯並びがよく、丈夫そうである。だが、その目には真剣さが宿っていた。

「そうじゃな。あくまで伝承じゃからのう。誰かがかってに創作した、でっちあげかもしれん。だが、大神の当主が代々口伝えしてきたじゃ。何故、そんなことを覚えねばならん、と口答えすると、亡き父に拳骨を喰らった。父が育ったのは江戸末期じゃ。武士の教養や威厳などもはや通じない。必死で習い覚え、諳んじた論語や漢籍もまったく通じぬ。英語を習え、産業について学べ、礼儀はすべて欧米流が世のならい。わしも若い頃、そう思っておった。これからは新しい学問、天は人の上に人をつくらず,と言うが、学問をせねば平等にはなれぬとな。わしたち若き青年はがむしゃらに学んだ。外国に倣った。じゃが、ほんとうにそうだったろうか。それで、わしたちは、この国は幸せになっていったのだろうか」

大神老人の声がかすれ、涙のまじった悲哀がおびてきた。
芝居じみたところなど、なにひとつなかった。千歌音は言葉を差し挟むことなど、できなかった。

「わしはこの年になって思い出す。幼年のわしが遊びたさに伝承の暗記を怠けると、父はわしをしこたま殴りつけた。殴りながら、泣いておった。『このうつけ、おぬしがこの伝承を守っていかねば、この村も、人々も救われぬ。なぜ、それが分からぬじゃ』と怒鳴りつけた。わしはそれでも理解できなかった。父はおかしい、いまだに古くさい神だの仏だのに取り憑かれておる。さような伝承を覚えて何になろう。そう思っておったのに、ただ苦々しい暴力と合わせて、その伝承を一字一句、からだに刻みつけた。我が父を亡くし、母を看取り、そしてわしは同じことを倅にくりかえすべきだった。自分が受けた苦痛は子にさせまいと思って遠慮した。若人には役に立たぬ知識だと思っておった。それが仇になった。わしには、もう、その伝承を語り継げる者がおらぬ」

千歌音ははっとした。
先代月の大巫女の葬儀を執り行なったのは、大神神社の神官だったと聞いていた。あの葬列の先頭にいたのは、四十がらみの男であった。とすると、あれは後継ぎであったのか。



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