神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

引きこもりの娘が福島の会津若松の伯母を見舞うため、ハイウエイバスに乗って出かけた。

2010-10-14 00:00:35 | 日記

 Yahoo!ブックマークに登録

高校卒業して、大学にはいったけれど、6カ月で、中退する。

それから、少し、イトーヨーカドーなどにアルバイトにいった

けれど、上司とうまくいかなくて、やめてしまい、それ以後、

今年で6年めにはいるが、部屋に引きこもって、父母とも

コミュニュケーションがとれないようになる。小学校4年生

からすでに、父親とはコミュニュケーションがとてていない。

しかし、最近、なにか用事がある時ハ、メモでいろいろい

ってくるようになった。

そして、外出もあまりしない子供でしたが、肩の傷み、首

の傷み、があって、整骨院にいくようになった。

これは、本当によい傾向だ。そして、福島の親戚の伯母

さんが、病気で入院して、意識がなくなっている状態だと

話したら、昨日、ハイウエイーバスに乗って、福島にお見

舞いにいったのです。御見舞金トお花を用意していくと

のことで、これは、自分のお金でするといっていた。

いつも、福島から、お米を送ってくてくれ、その中にチョ

コレートとかおせんべをのせて、亡くなった、おばあさん

のお友だちの親類のおばさんなので、

いつも、子供の事を心配して、「ほっときな」とか(のんび
りさせてやりな」とか福島弁で、心配している私達を励ま
してくれていた。

一度、高校三年の時、その家に泊まった思い出もあって、

本当に行くといった時は驚きました。

イエスさまには、子供にとって、一番良い方法を教えて下

さい。病気にならないように、社会復帰できるようにと祈っ

てきました。少しづつですが、母親である、私に心を開い

てくれてきている事は、奇跡に近いです。

アスペルガー症候群の傾向が少しみうけられますが、そ

れは、個性であって、人格的には何も問題が無いようで

す。初めて、この名前を知った時は、何も知らなくて、ど

うしていいかわからなかったけれど、最近はいろいろは、

情報が本とかインターネットとかで、知る機会があり、少

しづつですが、どうしたら、子供とのコミュニュケーション

ができるか、どんな事を支援していったらいいか、こんな

症状があるので、このように接したらいいとかいろいろ

勉強していくことができるようになって、感謝です。
 
何事も思い煩うな。あなたの、思い患いを主に申し上げ

なさい。そうすれば、人知では、知ることのできない、神

の平安が、あなた方の心にやどります。(聖書)

オーバーアマガウ村の受難劇

2010-10-10 01:36:08 | 日記
CWA  受難劇
オーバーアマガウについて、行く前に知っていたことは、ミュンヘンから2時間くらい南へ入ったところだという

ことと、10年に1度の受難劇が有名で、世界中から人が集まることという程度だった。観光地なのだろう、カタ

カナでオーバーアマガウと検索してもネット上にはホテル案内や旅行記などが結構見つかる。それでミュン

ヘンからの経路もわかったのだが、受難劇の年ではないので、あまりその土地に対する興味はなかった。

しかし・・・最終日に受難劇が演じられる劇場を見学して、その思いが変わった。旅に出る前に友人の一人が

言った言葉「一生に一度は行ってみたいのよね」が、帰ってきた今、実感としてわかる。確かにその価値があ

る。

ちょっと図書館へ行く用事があったので、受難劇について調べてみた。アメリカの音楽辞典にはあまり書かれ

ていない。ドイツ語の音楽辞典には、Passionについてかなりのページ数が裂かれていたが読めなかった。百

科事典では、オーバーアマガウが有名とある。新カトリック大事典(1996)には、オーベルアンメルガウという

項目があった。この記事と、ネット上にある記事で、ガイドさんの英語の説明を補うことができるだろう。

この受難劇は1634年に始まる。1633年にペストがドイツ南部を襲ったとき、村人は世の終わりまで受難劇を奉

納することを誓った。以来10年に1度(1680年からは西暦末尾の0年ごと)上演されている。すべてが住民によ

って演じられ、オーバーアマガウに生まれたか、20年以上住んでいなければ出演できない。配役の決定には

演技力だけではなく、日常の品行も考慮されるというところが、宗教行事としての伝統を守っているあかしで

あろう。また、メークをせず素顔のまま出演するため、役柄に合わせてヒゲをのばすそうだ。人口約5,000人の

うち、2,000人ほどが関わり、そのうちの約500人は子供である。人間だけではない。馬もヤギも出演する。

現在の劇場は約4800名収容、客席の上に屋根があるが舞台の上にはなく、半野外劇場となっている。上演

は5月から10月の初めまで、前回2000年にはおよそ100回行われた。1回の上演は約6時間、朝から始まり、

昼に2時間半の休憩を取り、夕方まで1日がかりだそうだ。

脚本はヴァイス(Othmar Weis)によるものとされているが、これは1850年から1868年の間にダイゼンベルガー

(Joseph Alois Daisenberger)によって改定された。 音楽はオーバーアマガウの教師であり教会音楽家の、デ

ドラー(Rochus Dedler)による1815年のものが使われる。しかし時代により少しずつテキストの変更が行われ、

音楽も2000年には音楽監督ツヴィンク(Markus Zwink)による作品や、現代的変更が加えられている。この年

の録音は、"Passionsspiele 2000 Oberammergau"という70分のCDにまとめられていたらしい。

実は受難劇を演劇と思っていたため、音楽のことは考えてもいなかった。それで見学のときに初めてその音

楽を聞き、驚いた。オーケストラも合唱もすべてオーバーアマガウの住民。こんなに音楽性の高い人たちに、

ガラ・コンサートを聞いてもらったのだ。

そしてもっと衝撃的だったのが、磔の十字架。楽屋に置いてあったその十字架は、家の柱のような太い木で、

とても大きく、重そうだった。これを担いで歩き、そこにはりつけられる。この十字架が、これまでの聖書理解を

超える実体として迫ってきた。実際の上演には登山用品が使われるそうだが、キリスト役の人は20分も十字架

の上にいなければならないため、トレーニングをするという。

たしかにこれは一生に一度見る価値があるだろう。しかし人生の後半にいるものにとって、10年に1度しかな

いことに対する計画は難しい。 2020年か2030年に行けるのか、2040年まで体力が続くのか? 2010年の場

合、上演は5月15日から10月3日まで。第一部が14:30から17:00、第二部が20:00から22:30と決まった

日野原重明先生  オーバーアマガウ村のキリスト受難劇を見学

2010-10-10 01:10:58 | 日記
この夏、私は、南ドイツのバイエルン州オーバーアマガウ村で10年に一度行われる「キリスト受難
 
劇」を見学しました。
 
 欧州では、17世紀、30年戦争の間に、ペストが猛威をふるい、全土で数十万人もの死者出しまし
 
た。オーバーアマガウ村では、村にペストが流行しないよう二と、村民が神様に祈りました。「神よ、も
 
し絶滅から守って下さるなら、感謝の印として、主イエス・キリストの苦難と死と復活の劇を、世の終わ
 
りまで、演じます」と誓いました。
 
この祈りの日を境として、ペストによる死者がまったく出なくなったということが、村の年代記に記され
 
ています。そこで、翌1634年のペンテコステ(聖霊降誕日)から、村民はキリスト之受難劇を上演
 
し、神への約束を果たしてきました。
 
  村の人口は数千人といわれていますが、受難劇には子供から老人まで3150人もが出演し、オーケ
 
ストラは約40人、さらに混声合唱団40人も加わりました。
 
主な出演者は、イエスのほかマリア、イエスので弟子のペテロやヨハネ、イエスを裏切ったユダ、イエス
 
の最期まで心をささげたマグダラのマリアなどです。これらは、オーバーアマガウの村民から、選ばれま
 
す。その年の劇が終わると、村民は、10年後に行われる次回の上演時の出演候補者を選びます。
 
イエスが住民に歓迎されエルサレムに入るのは30歳の時ですから、10年後にイエスの役を演じるの
 
は、今20今歳くらいの青年です。候補者は10年後に備えて、髪や髭を伸ばし始めます。出演者達は
 
、10年間、練習を続けるそうです。
 
 今回、このキリスト受難劇を見終わってホテルに帰った夜は、感動が続き、なかなか眠りにつけません
 
でした。この劇㋾見るために全世界から、キリスト教信者も、それ以外の人々も集まります。
 
私は長い人生をたどる間に、様々な体験をしてきました。ネパールの高地ポカラでみた、壮大なヒマラヤ連
 
峰には霊気を感じ、アフリカ・ガボンにあるシュバイツアー病院では、シュバイツアー博士愛用のピアノ
 
に触れ感動しました。キリスト受難劇を見た、ドイツの旅は、これらと並んで、私の人生の最も輝ける瞬
 
間となりました。

教会の姉妹の葬儀に参列

2010-10-07 19:14:14 | 日記
Oサンが、教会に初めて来られたのは、昨年の7月くらいからでした。私の教会の牧師の甥の目黒のイン

マヌエルの教会に友達がいて、底に、横浜の金沢区から通っていたようです。しかし、とても遠くて、通

いきれないので私達の教会をしょうかいされ、こられたようです。

もう、60代半ばで、子供さんは37歳、38歳のふたりの子供がありました。ご主人は、2度目に結婚され

て、子連れでの結婚のようです。私達は教会に来られた姉妹の事は、あまり、よくしりません。金沢区の

並木にすんでおられ、私達の教会のしまいと同じ団地の同じ階段の御近所だったようです。

このような家庭的な事をお聞きしたのは、御葬儀の時に初めてしりました。

三浦綾子さんの小説をたくさん読んで、教会に行ってみたいと思われたようです。読書好きで、よく、本

をよまれたようです。

私達教会ではアルフアーコーストいって、初心者の方に聖書の勉強をわかりやすくする集会があり、姉妹

もこの集会に2,3度こられていました。

この、姉妹が今年の2月ごろから、体調を悪くして、教会をやすむようになりました。

4月ごろ、すい臓癌のようで、余命2年と言われたようです。しかし、7月に肝臓にガンが転移して、余命2

カ月と言われたそうです。抗がん剤の治療もすでに無理で、痛みの中で、だいぶ苦しまれたとのこと。そ

のなかで、どうしても、洗礼を受けたいという希望をもたれ、自分で風呂の水をいれ、牧師夫妻がお風呂

で洗礼式をされたとききました。その後、すぐに、病院に入院となり、先週の土曜日、天に召されまし

た。そして、今週の月曜日、葬儀が教会でもたれました。

二人の息子さんとご主人さまが、残された日々をお母さんを盛り上げて、看病されたとの事です。

若くして、天に召された姉妹ですが、多くの御親類が葬儀にこられ、牧師から福音を聞く機会が与えられ

たことは、すばらしい事です。息子さんもキリスト教のお話は初めて聞いたという事ですが、よく、わか

ったようです。これから、お母さんが呼んだ、三浦綾子さんの本を読みますといっていました。


姉妹の残されたご家族の上に、慰めと励ましがあり、イエス様を信じ救われるよう祈りました。お棺の中

野姉妹は置物をきて、きれいにお化粧をして、もう、苦しむ事のないおだやかなお顔でした。

会津若松の親類が心筋梗塞で入院中

2010-10-07 18:49:34 | 日記
会津若松には、とても、私達家族を大切に思って、お米を送ってくださっている、まさこさんという、私

にとっては、お母さんの変わりをしてくださった、人がいる。

その人は、私の義理の父のお兄さんの子供のお嫁さんです。私の義理のお母さんは10年位前に、なくなり

ましたが、その人を義理の父の再婚相手に紹介した人です。

合津若松で、「まるきん」というお店やさんをしていました。クリーニングとか、お菓子とか、日常品を

売っていました。

子供が小学生の時、泊まりに行った事がありました。その時は、義理の父のお兄さんの賢喜さんもいきて

いました。90歳になっていて、子供に先立たれお嫁さんである、まさこさんがお世話していました。

その、まさこさんが、今年の7月に心筋梗塞で倒れて、病院に入院されたようです。なかなか、症状がよ

くならなくて、もう、2か月になるのに、病院で、意識があまりなく、話す事もできず、酸素マスクと食

事がとれないので、点滴で、栄養を付けている状態で、看護婦詰め所の集中治療室にいるようです。

私は、10月4日に新幹線で、郡山にいき、ビジネスホテル「磐梯の湯」という所に一泊しました。温泉が

あり、次の朝、5:00に入浴しました。マンガもあったり、カップラーメンなどの簡単な食事が自動販

売機で売っていました。そして、その日は日曜日なので、郡山教会(日本キリスト教会)に出席すること

ができました。100年の歴史のある教会で、箱舟のような感じをうけました。牧師さんの説教はどこの家

庭でもいろいろな事情の子供がいて、「なんで、クリスチャンなのに、このような子供がいるのだろう」

と思うかもしれませんが、それは、特別でもなんでもないですよ。聖書の話には、ヨセフの話、イサクの

子供が12人いたが、イサクが、ヨセフだけをかわいがり、他の兄弟が其の事をねたんで、弟のヨセフをエ

ジプトの商人に売り渡した事。それは、将来、飢饉が来るので、そのため、ヨセフをエジプトに使わし

て、最後にはエジプト之大臣になり、飢饉が来た時、両親や、兄弟を助けるための神様の御計画があった

のだという事。家庭にいろいろな困難があっても、それは、普通の家庭でもあることですが、クリスチャ

ンの家庭は其の事に対する、取り扱いは全く違うのです。神様の御計画の中で全てが益にかえられるので

すから。というお話でした。

私の家族にも娘が軽い自閉症があるので、このお話は、とてもよかったです。

その後、病院にまさこさんをお見舞いしました。正子さんは、私が1カ月に一度「ちから紙」という伝道

雑誌を送っていて、イエス様を信じているといっていたので、意識がないようでしたが、聴覚は残されて

いるようなので、イエスさまを信じている、まさこさんは、永遠の命を頂いているという事を伝えまし

た。私が話していると、手を握っていたら、強く握り返してきました。そして、閉じた目も一生懸命開け

ようとして、時々目をあいたくれました。いままで、いろいろ、お米やお菓子など送ってくださって、あ

りがとうとお礼をいって、お別れしました。また、お見舞いにこようと思っています。