喜寿から始まる

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裏通りから菅氏の目指す「自助、共助、公助」の国家像を思う

2020年09月14日 | 写真・絵日記

13日の日曜日、秋に近づきつつあることを感じる。
大坂なおみが全米オープンで優勝を手にした。両親特にお母親様に対する「ニューヨークでは母とのたくさんの思い出がある。朝4時に起きてバスや電車に乗ったのを覚えている。母が犠牲にしてきた全てを知っている。恩返しできる日がくることを願っている」という思いには、共感するものがある。子供は母親になにがしかのこういう思い出をもっているものである。

ウオーキング、いつも表通りを歩いていた。古川という小さな川沿いの道があるらしいことを以前に知っていた。迂回しその道を通ることにした。
目の前に工事中の足場を組んだような光景が見えた。表通りの姿は知っているので、奇妙に感じた。よく見ると空調の室外機の設置用場所のようだった。それにしても異様だった。道路にはごみが散乱していた。表通りとは違った別の世界がそこにはあった。

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ウオーキングをしていると、いろんなことが頭に浮かんでくる。
菅氏の総裁選立候補が決まって最初に聞いた「自助、共助、公助」という言葉、腑に落ちないままだった。
日曜日の朝刊で、14日の投票日を控え、菅氏の目指す国家像として「自助、共助、公助、・・」が紹介されていた。
政治家が関わるのは当然「公助」の部分である。それが最後というのは、どうしても理解できない。何もしないのなら、政治家は必要ない。
帰ってきてこんな記事をみた。ここ
2010年改定ということは、今から10年前ということなので、比較的新しいと言えよう。該当部分はつぎのとおり。
これによると、自民党の綱領で定められているので、自民党の問題だということになる。
菅氏は自民党員として、自民党の綱領を尊重するというに過ぎないということになる。

それならそれで結構。
しかし、
<自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する>というのは目的であり、総裁選に立候補する以上まず国民に語るべきことは「如何にして」条件を整えるのか、「如何にして」共助・公助の仕組みを充実するかである。
それを語らずして目的だけをいうのでは、結局、何をしていいのかわからないというのと同じだ。
安倍首相の病気辞任という予期せぬ事態を受けたものであったとしても、7年以上も官房長官の地位にあったものが具体的に何をしていいのかわからないでは政治家失格、ましてや総裁(実質首相)失格ではないのだろうか。
石破氏や岸田氏がそれをいわないのは、目的を言っても意味がないことを知っているからではないか。
二人のいい悪いをいっているのではない。岸田氏はもともと総理狙いだった、石破氏は何度か総理に立候補しているので、身体で理解しているのであろう。
菅氏は同氏の考える「自助自立する個人」とはどういうものかを語るべきということになる。語らないのは、語るものを持たないから。

それにしても自民党という政党は怖いですね。
「我が党は誇りと活力ある日本像を目指す」自体は素晴らしいように見える。
「自助自立する個人を尊重」というその「自助自立する個人」とは「家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する国民」だというのである。

共助とは、公助とは何ぞや?
仮に「国家への帰属意識を持つ」ところまでが共助とすると、残る「公助」は何なのだ!
自民党の言いなりになる政治、仕組みを作ること、と読める。
自民党の言いなりになる政治、仕組みとは、政治家が好き放題をして責任を取らない政治である。
国民に「家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する」ことを要求すれば、政治がすることは何も残らないからである。
政治としてすることはないので、仕事があるふり、したふりをすればいいことになる。
安倍首相が国民を無視し、好き放題の政治をしていた、したふりをしていたのは、正しく、自民党の綱領を誠実に実行していただけのようにも見える。
菅氏の安倍政権の継承とはまさしくそういう政治に違いない。
菅氏がどうするを語らないのは、国民に本当のことを言えないからというのが、正解かもしれない。

個人の自由と平等が民主主義のはずである。
ここでいう個人の自由は「家族、地域社会、国への帰属意識を持つ」ことではない。むしろ、そういうものを離れた、超越した一個の人間としての自由のはずである。

だから奇妙に感じ、腑に落ちない感が残ったのだ。違和感があったのだ。
そういえば、コロナでは国民に自粛が求められた。日本では、政治は憲法で国民に強制することできないからだと。
自粛というのは、正しく「家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する」ことではないか!
つまり、自民党の政治、日本の政治は、国民から金はとる、口は出すが、決して責任は取らないというシステムなのだ。
コロナで世界中から不思議がられたのは、日本以外の国ではそういう無責任国家が想像できないからである。

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日本は衰退に向かって一直線に進んでいる衰退途上国。
その原因は経済というより政治の問題、政治家マインドの問題のように思う。
如何に不責任でいられるかに腐心しているのが日本の政治家だ。
革命が起こらないのが不思議である。

菅氏の「自助、共助、公助」発言は、日本が直面する民主主義の危機的な状況を表す象徴的言葉のように思う。