肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

神様の存在

2013-02-01 11:56:05 | 日記

つい先日、お友達とランチをしました。
いつも夜には会えないから昼の時間に会ってワインを飲みながらお互いの
近状報告などをしながら楽しんでいます。
その時にワインを飲み過ぎたのか、ストレスが溜まり過ぎたのかで
大事なお友達の考え方を否定する事を言ってしまいました。
悪い癖で飲みすぎると理屈っぽくなってしまう。。。

彼女はとても純粋ですべての事に対して感謝の心や慈しみを忘れない人です。
人の事を癒したり人の為に動く事をなんのためらいも無くするのです。
良い事も辛い事も全て理由があるのだと言い自然や神様、天使、その他全ての
慈悲の有る物、私などには感じ無い物をいつも感じていました。

私も以前はずっと神社に行けばお願いをしたり困ったら頼みに行ったりしていました。
私はやっぱり救いを求めていました。
母の事が分かってからは本当に色々な所の神さまにお願いしに行きました。
ネットで調べて癌に効くお寺や神社の場所、日常生活、食べ物、生活の仕方、免疫を上げる物、
最新の治療法l先端医療など自分で出来る事を調べたりしました。
お金持ちでは無いから出来る事は少ないと思ったりしましたが
でも心から本当に治って欲しいと思うから沢山その他にも心の中でいつも願ったり、
まめに母に会いに行く事で何か今までの行いを許されて良い方向に向かうのではないかと思ったり
品行方正に生きていたらと子供の様に自分に出来る事などを試しました。

でも、そんな気持ちと結果は反対のものでした。
心配をかけ過ぎた過去の自分も責めたし、病気が分かってからの母の事に対して
今ならもっと何かもっと出来ていたのでは無いかと感じている自分の事が嫌になったりして。

結局、解決方法などは無いのに私はいつまでも引きずってせっかく会った友達の気持ちを
否定してその日を終わりにしたのです。

私は神様など居ない。それは、人が死ぬ事に対してその先にどうなるかの不安を補う為、
天国と地獄を作ったのだと言いました。
人は自分が死ぬ事を感じた時に初めて自分がしてきた事を見直す事が出来て、
本当の反省が出来るきっかけになるのだとも感じます。
それは天国に行きたいとか地獄に行きたくないとかではないと思っています。

人それぞれ考え方は違うのが当たり前です。
それなのに最近の私は主人にも友達にも愚痴を言いながら否定をしています。
ママ友にも久しぶりに会ったのに旦那の愚痴を言ったり、大事な友達に会ったのに
神様などは偶像であると言い続けました。
お酒を飲み過ぎてしまい余計な事を言ってしまいました。
友達はそこで私の考えを否定する事はせずに話をしてくれていました。
彼女は広い意味で私に教えてくれていたのにそれを人の弱さからの物であると
否定していた自分て最悪です。
今の自分が思い通りにならない不満が大事な人達の事を傷つけたのです。

今でも母の夢を見ると幸せな気持ちで目が覚めます。
でも病気の時の不自由な体で母が出てきた時はとても胸が苦しくなりますが
元気で思いっきり笑っている母に会ったら抱きしめギュッとしたいです。

8日は信じられないのですが1回忌になります。
息子も旦那も今回はお休みにしてもらいました。



新年が開けて。

2013-01-13 11:34:32 | 日記
あっという間に年が明けてもう1月の半ばになろうとしています。
時間の流れは気にしていないとどんどん過ぎていくのだと痛感しています。

一昨年になってしまうのですが母と一緒にホスピスで一緒にきりたんぽ鍋やお刺身、
サラダなどを楽しみました。
ホスピスに飾ってあったツリーをバックに息子の写真を撮ったりみんなで食事をする
場面の写真を撮っていました。
そして去年はクリスマスの飾りを少し出しました。
一昨年は余裕も無くて飾りもせずに終わりましたが去年はツリーまでは出さなかったのですが
細かい物を出したりリースや玄関周りを飾り雰囲気を楽しめたと思います。
一昨年に息子には悪い事をしたなと思い飾りだけでもちゃんとしてあげないとなと
反省を込めて。。。
プレゼントだけあげてもやっぱり寂しいですよね。


そして年末。
友達と会ってランチして忘年会。
家族とは大掃除をして近所に買い物してお蕎麦を食べてゆく年くる年見て年が明けました。
元旦は父が年末から言っていたのですが華やかでは無いがちゃんとお正月をしようといってました。
おせちも重箱に詰めるのはやめてお皿に好きな物だけをちょっともって楽しもうと
言い焼き肉の用意をしてくれました。
兄は元旦そうそう夜勤があるのに朝から起きてワカサギのエスカベッシュを作って
いましたし前日にはなます、煮物、お雑煮の用意などしてくれていました。
私は適当におせちを用意してお皿に盛るなどして叔母も呼び新年をみんなで過ごしました。

母の話をしながらお酒を飲みおせちをつまみながら父と叔母と昔話に花を咲かせました。
夫はソファで寝て息子はその上でゲームをしていました。
後半は記憶が無く次の日に息子から何であんなに泣いてたの?と聞かれ返事が出来ませんでした。
まぁ、泣く理由なんて分かっていますがみんなと話した事を忘れてしまい後悔です。
でも最近の夢は以前と違い病中だった母が一人で歩いている母になり出てきて話をします。
病気でないので夢から覚めた時にとてもうれしく感じています。
あぁ、母に会えたと胸が熱くなり寂しさを感じなくなりました。
そうだ、夢でいっぱい会って話をすれば良いんだと思えるようになりました。

冬休みは夫と息子は出掛けたりして私は留守番をして過ごし最後の日に一緒に
食事に行って終わりました。
学校が始まるとお休みモードが終わりのんびりしていた時間が終わりました。
今年になったら急に自治会、PTA、子供会、地区委員と一斉に電話が掛かってきました。
何だか急に世間に放り出された様で戸惑ってしまいます。
余り無理をしないで少しずつやっていこうと思い今年は地区委員だけ引き受けました。
後は父や叔母の買い物や何かあった時の付き添いなどです。
少ないかもしれませんが来年から動き出したいと思っています。
今年の目標は運動を一日30分位はしてダイエット。
母が亡くなってから4キロ程肥った体を元に戻したいので。
そしてもう少し社会に出てひきこもりから一歩出たいと思っています。
その一歩が地区委員です。

誕生日

2012-11-24 17:55:52 | 日記

22日に誕生日を迎えました。
ぞろ目の44歳になってしまいました。
あっという間に歳って取ってしまうんだなぁとつくづく感じてしまいます。
特に30過ぎてか、35過ぎてからでしょうか。。。
また母の病気が分かってからの1年8カ月。
この時は毎日が長く感じたりしていましたが今思うとあの辛かった日々はたった1年8カ月だった
のかと思い、時間というのは本当に全く違う感じ方をするのですね。

母が病気を知り入院をしている時に病棟にある団欒室?にある本に肺がんの本がいくつかありました。
どこの病院もそうでしょうが入院患者さんが読んだ本を置いていったものが沢山あるのです。
それを母はみんなが帰った後に手にとって読んだようでした。
ステージ3の5年後の生存率が16カ月とか2年とかを見て自分の余命の様なものを
感じたのかもしれません。
先生達はずっと余命はひとそれぞれだからと母の性格も考えて教えてはくれませんでしたが
ホスピスに行くと決め診断書を預かった時に封がしていなくその時に3カ月~6カ月と知ったのでした。

涙のきっかけはどこにでも転がっています。
こうやって思い出したらすぐに涙が出てしまう。
テレビで病気で苦しんでいる人を見たり、楽しそうな親子を見かけたり、一緒に買った洋服を
この冬衣替えをした時に出てきた時だったり、ありとあらゆる所に母の存在を感じます。
去年の今頃は母とまだ話をしていたのだと思いどうして今は会えないのか、話せないのかを
不思議な気持ちでいます。
やっぱり今も母が居ない実感はありません。

最近の事2

2012-10-27 22:29:54 | 日記

9月のお盆を行いました。
叔母は日を間違った為に父と息子と三人で行きました。
お墓でお経を聞くのは初めての息子は緊張してお焼香の時にびっくりする位に
手がガタガタと震えていました。
余りにマンガの様に震えているのでふざけているのかと思った位です。

帰りには私が以前から勧めていたお蕎麦屋さんに行ってきました。
父と母はお散歩ついでにそのお蕎麦屋さんに数回行っていたので思い出の場所になりました。
母はアナゴの天ざるが気に入ったのを覚えています。
父はいつも食事に行くと何でもいいと言って母に決めてもらっていましたが
今はそれを決めてくれる人はおらず何がいい?何がお勧め?と何度も聞きながら決めています。
母がアナゴ天が美味しかったと言っていたよと伝えると、そうなんだと懐かしそうな顔をしていました。
関西出身なのでうなぎよりアナゴ派だった母のお寿司にも必ずアナゴが入っていました。

時間はどんどん過ぎていきます。
大きめの駅で買い物をする時などお店が変わっていたりビルが無くなっていたりと変わっています。
気がつくとあった場所に全く違う建物が建っていたりと時間の経過を感じたりしています。

車になど乗っていたり一人で町を歩いていたりする時にふと母の事を考えていたりします。
今思えば本当に後悔ばかりです。
母の立場になって考えてあげれていなかったとつくづく今になって感じています。
イレッサやタルセバをやめたがっていたのに恵まれているんだよ、飲める人は少ないんだよと言い、
飲まない事に対してきつい感じで話したりもしていました。
母の気持ちの不安を取り除く事に対して全く出来ていませんでした。
理解しているとカン違いし大丈夫だよとそればかり言って何の根拠があったのでしょう。
自分だけが寂しく一人で苦しみながら死んでしまうという母の地獄の様な苦しみと
先を受け入られない現実に対して私が理解出来るはずないのに。

良く夢を見るのですがたまに母が出てきてくれます。
元気だったのは亡くなった最初の時だけでその後はずっと足が悪かったり亡くなったのに
生きて出てきてびっくりしたりするのですがやっぱり癌を抱えていたりしています。
それでも母の腕に抱きついたり話をしたりしています。
本当に元気だった母には夢では会えないみたいで悲しいのですが話せている実感もあるんです。

旅行に良く行ったのですがその時のビデオが残っています。
病気になってからも旅先では逆に母を撮る事が多くなりました。
忘れたくない、居なくならないでと想いながらいつもより多く母を被写体にしていました。
でも病気になってから一度も思い出としてみんなで今までの様にビデオを見ていません。
母も元気だった自分を見て辛くなるだろうと勝手に思い込んでもいました。
そのままのビデオをいつ見ればいいのかまだ考えられませんが見るとやはり涙なしでは
見られないだろうと思って先延ばしになっています。

今も沢山の方が癌で苦しんでいると思います。
当人もそうですしその家族の方も胸を痛めていると思います。
私のブログは全くその方々には役には立たず逆に亡くなるという辛い結果を見なければ
いけないので辛いし嫌かもしれません。
ごめんなさい。
でもこれは私の気持ちの整理をするブログだと思って許してください。

最近の事

2012-09-13 18:22:34 | 日記

今日、父と叔母と野菜を買いに行きました。
母がまだ元気だった頃は毎日の様に父と母が散歩として歩きついでに八百屋さんに行っていました。
私は予定の無い週末などは息子を連れて土日に泊まりに行き一緒に散歩に出ていました。
行き帰りで起伏もあり1時間半位かかり運動としてはかなりよかったと思います。

でも母が居なくなってからはバタバタしていたり元気がなかったり色んな事が重なって
行っていませんでした。
でも先々月位から毎週の火曜日に父と叔母と3人で買い物に行く様にしました。
こうすれば父や叔母の様子も見れるし暑いなかを歩いたり重い物を買って帰る事も
苦痛ではありません。
これは私自身も同じで本当に徒歩だとつらいです。。。

皆の様子も見れるし毎週家に上がってのお互いのわずらわしさも無く気持ち良く
過ごせるのだと気が付きました。
余り踏み込まず、だけどお互いが分かる関係にはちょうどだと思っています。

多分、母が相手だったら違う行動をとっていると思うのですが今はこれがちょうど良い。
付かず離れずっていう間隔でしょうか。
私は母が大好きだったのでいつも一緒に居たり出掛けたりが大好きでした。
やはり同じ様な人には出会えないしこれからも母の様な側に居るだけで楽しく居られる人も
出会えないと思ったりしています。
でも今、残された家族にとってはちょうど良く過ごせていると感じますし毎日を変わらずに過しています。

長くなっていた父の髪の毛が今日はさっぱりと短くなったいました。
78年生きてきて、結婚してからは一度も理髪店に行った事が無く母にカットして貰っていた父ですが
終わりの頃に母が近所の駅前の散髪屋を探し父を連れていきカットの仕方などを伝授?してからは
遺言の通りにきちんと3カ月に一度が通っているようです。
あれだけ理髪店が大嫌いで行かなかった父が約束と言って行くのには本当にびっくりしたのと
心からの沢山の愛を感じました。
しおれたらすぐに花束を買っていつも写真の周りにいっぱいの花を生けている父を見ていると
母は愛されているんだと感じ嬉しくなる気持ちです。

私の今は、母の存在がどんなものなのかはっきり分かっていません。
本当は側にいるのか、それとも本当に居ないのか。
はっきりと判断が出来ないでいます。
病気が分かってから2年位でしたが少しづつ買い物に出かける時が減り、旅行も減り続けました。
それが1年ちょっと続きずっと病院の行ききで自分が意識しない間に今まで絶対に嫌だった
一人での買い物が出来るようになっていたのです。
だから今の自分が違和感なく買い物をしているのは母がゆっくりと時間を掛けて私が一人でも
出かけられるように準備をしてくれていたのではと思っています。

なにが良いのか悪いのかは分かりませんが。
居るのか、居ないのかも実際に実感がないのでいつも宙ぶらりんの気持ちのままです。
確かにずっと会って居ないのですが入院を続けていたので会えない事も仕方ないのかと思ったり
現実とは感覚が違う気がしていて淋しさを余り感じていません。
ちょっと前に会った様な気がして居たりしたりするし、でも一緒に居た頃の笑い合った事を思い出して
悲しくなったりと今でも混乱したような気持ちで過ごしています。