桜桃忌は太宰と山崎富栄が入水自殺した6月13日ではなく、正しくは遺体が発見された明日の19日である。
この日は太宰の誕生日でもある。三鷹の禅林寺では19日に法要が行われる。
この日は同時に山崎富栄の忌日でもあるが、山崎富栄の墓は有楽町線江戸川橋駅からそう遠くない、永泉寺の墓所に建てられている。
山崎富栄。享年28。
東京都文京区関口にある永泉寺と山崎家の墓
長篠康一郎著『太宰治文学アルバム 女性編』には次のように書く。
「山崎富栄の遺骨は密葬のあと父の山崎晴弘が八日市町に持ち帰り、母信子との最後の別れののち再び上京、山崎家の菩提寺である永泉寺(文京区関口町二ノ三ノ二八)に埋葬された。だが山崎晴弘は、娘が世間を騒がせて申し訳ないとの考えから、富栄には白木の墓標を建てただけで、住職の安田弘達師に対しても、富栄の墓所が永泉寺に在ることを世間には公表しないで欲しいと依頼したという。後年、山崎富栄のお墓を探すために、私が長年月を要することになってしまったのにも、こうした事情が存在したからである」
山崎富栄の忌日は白百合忌という。この日は山崎富栄だけでなく1930年11月29日に太宰の心中相手だった田部シメ子(太宰の短篇「道化の華」(1935)に登場する心中事件の相手"園"のモデル)や、太宰の内縁の妻であった小山初代(「HUMAN LOST」(1937)、「姥捨」(1938)、「東京八景」(1941)など多数の太宰作品に登場する一連の女性のモデル)たちを偲ぶ日でもある。
田部シメ子。享年17
小山初代。享年33