本堂は「町田市史」によれば
〈間口八間半、奥行七間。正面に二間半、間口九尺の玄関をつく〉。
建築年は不明。
本尊は〈不動木立像、長三尺〉。
三尺というから90cmほどか。
本堂安置の本尊立像で90cmは意外と小さなものに思われる。
正面から中を覗けないかと靴を脱いで外縁(濡縁)に上がったが
扉は固く閉ざされていて見ることはできない。
本堂。
右側の庫裡は〈面積28坪。木造平家瓦葺、昭和28年新築〉。
庫裡。
手水場の龍はとてもよくできているが、
これも作られた年はわからない。
左手の階段を登ると鐘楼。
「町田市史」に
〈九尺四方。昭和二六年 一二月鋳の梵鐘あり〉
とあるのは鐘楼の建立年ではなく現在の梵鐘が取り付けられた年だろう。
この鐘はワタシと同じ歳月を生きてきたわけだ。
鐘楼自体の建立年は不明だが、素朴な造りで好感がもてる。
鐘楼。
本堂から少し離れた場所にある観音堂は、建立年は不明。
〈間口三間半、奥行三間半。三方に三尺の濡縁あり〉。
ここでも靴を脱いで濡縁に上がり三方の濡縁を歩いたが
中を見ることはできなかった。
観音堂。
この観音堂の観音像は「町田市史」には
〈東京都多摩丘陵調査の際、調査員丸尾彰三部氏が「本尊が、形容、彫刻ともに整っている。同じく一二世紀のものである」と報告した仏像で、長四尺五寸、ほかに台あり。昭和三六年一月三一日東京都指定文化財となった。思うに、天野家文書にある「御本尊観音」もこの観音像であるだろうから、『風土記稿』に、福生寺の本尊を観音としてあるのも、やはりこの意味なのだろう〉
と書かれているがワタシにはよく理解できない文言である。
四尺五寸は135cm、本堂の不動木立像よりも大きい。
観音堂に安置されている〈木造菩薩立像〉についての解説板があった。
たいへん面白いので、ちょっと長いが引用する。
〈現在、観音堂の本尊に随持して安置されている。本尊と同様、檜材の丸彫像で、やはり素地を呈している。天衣および台座連肉部まで本体と共木で、左脇持は各肘より先、右脇侍は右手首が後補されている。
五〇センチに満たない小像らしく童顔風とするところが個性的で、眼鼻立ちや技法などは極めて本尊像に近いが、宝冠は無文で衣文も殆ど省略されているところなどが異なる。また、大きさからも本尊と元来一具であったとは認め難い。しかし、この二像は本尊像の作風を踏襲していることは充分に認められる。制作年代も本尊よりはやや遅れて十一世紀末から十二世紀後半とするのが妥当であろう〉
三体並んだ姿を拝見したいものである。
〈続く〉