散歩と俳句。ときどき料理と映画。

加藤かけい小論

加藤かけいは1900年生まれであるから、永田耕衣と同じ歳である。16年に大須賀乙字に師事。翌年、乙字の没後高浜虚子に師事とウィキペディアにはある。31年に虚子の「ホトトギス」を離れ水原秋桜子の「馬酔木」同人。48年、「馬酔木」を辞し山口誓子の「天狼」同人。51年、「環礁」を創刊、のち主宰。句集に『夕焼』(46年)、『浄瑠璃寺』(47年)、『荒星』(49年)、『捨身』(52年)ほか多数ある。83年没。 私が加藤かけいの句を知ったのは塚本邦雄の『風神放歌-加藤かけいの宇宙|』(79年)による。塚本の博識と断言に満ちた華麗な文章はとっつきにくいが、読み始めると中毒になる。この本は古本屋で500円で買った。7年ほど前のことだから、そう古い話ではない。それまで私は加藤かけいという俳人を知らなかったことになる。 この本には加藤かけいの句が約240句載っている。加藤かけいの句集は入手しづらく、私は後述する『山椒魚百句』(76年)しか持っていない。したがって塚本の『風神放歌』は加藤かけいの句業を知る上でも重要だと言える。もちろん引かれた句は塚本の価値観(好み)によるものであろうから、これが加藤かけいの句業のすべてであるとは言えない。

本をめくっていてまず最初に目に飛び込んできたのは「初蝶のいまだ過ぎねばたゞの石」の句だ。そして「寒がらす飼ひて女中を晝犯す」の句。さらには「きりぎりす死後の世界に舌打ちし」、「薔薇置けば疊は限りなくまづし」である。わたしがそれまで読んできた俳句とはまるで違う。とりわけ「寒がらす」の句などおぞましさく、目をそらしたくなる。 この句について塚本は「日本の烏には昔から何やら「負」のイメージがつきまとふ。死者との交感、屍臭の豫感もさることながら、貪慾と貧困と猜疑の影を、その喪の色の羽にちらつかせる。まして「寒がらす」、この句、犯される女中の鳥肌立った胸のあたりや、犯す男の足袋を穿いた毛深い足まで浮かんでくる。明治の、言文一致體の小説の一場面にありそうだ」と書く。たしかに明治時代のリアリズム文学を思い浮かべる句ではある。 しかし「きりぎりす死後の世界に舌打ちし」となると、ちょっと趣が変わってくる。ここにあるのは擬人化されたきりぎりす(=作者)である。リアリズム的な色彩を残しつつ、句は寓話へと転じていく。すると「寒がらす」の句も違ったアプローチが可能なのではなかろうかと思うのだが、それがなかなか手に負えない。「初蝶の」も「薔薇置けば」の句も同様である。「寒がらす」の句だけがなにやら異様に突出している。「薔薇置けば」は薔薇という西洋的な美と、畳という日本的なある種の貧しさの対比の面白さ。畳がけばだった古畳ならその対比はなおさらである。加藤かけいには「曼珠沙華疊に置きて夜も愛す」の句がある。曼珠沙華なら古畳でも一向にかまわないというのであろう。 加藤かけいの句に初めて出会ったときの感想を書くなら、一句の持つ暴力性、激しい攻撃性、劇性ということになる。たとえば次のような数句。「言争ふ大根畑の隅を指し」「葱ごときが九頭龍川を流れをり」「亡霊の喚ける墓を洗ひけり」「老人の性欲海鼠噛み切れず」等々。これまで私が知っていたどのような俳句とも違う世界がある。恐ろしいといえばこれほど恐ろしい俳句はないだろう。だがここにはユーモアの感覚も存在している。いや、それがなければ加藤かけいの句は陰惨なだけで終わってしまう。「言争ふ」の句にある、百姓(あるいは地主)同士の土地争いを「大根畑の隅を指し」と少し離れた場所から描写するおかしさ。「葱ごとき」と「九頭龍川」の取り合わせの妙。思わず頬も緩む。そう考えると「寒がらす」の句も、もうありもしない明治、大正、昭和初期のいいようのない惨劇を寒烏を上五に持ってくることで対象化し、どこかに笑いの要素を忍び込ませているような気にもなってくる。 こういった俳句もあるのだと、私は恐れと同時に、一方では安堵の気持ちをもったのはたしかである。花鳥諷詠、写生といった俳句のお決まりのパターン、あるいは川柳以前の半端な滑稽趣味に少々嫌気がさしていた時期である。加藤かけいの俳句との出会いは、そういう意味では私にとって、大げさに言えばひとつの救いのようなものだったかもしれない。 手許にある唯一の加藤かけいの句集『山椒魚百句』は、山椒魚詠んだ百句からなる句集である。加藤かけいにはほかにもひとつのテーマを百句詠んだ句集があと二冊ある。『塔百句』(76年)と『菫百句』(76年)である。この三冊は76年に発行されている。76年と言えば加藤かけい76歳である。なんというエネルギーだろうか。 『山椒魚百句』の後記に次のように加藤かけいは記す。「『山椒魚百句』は私の自画像であり、私の人生観であり、私の哲学だと思つている」。「山椒魚悪食老人咳してゆく」から始まり「山椒魚いやでたまらぬときも生く」で終わる百句すべてに「山椒魚」の文字が配されたこの句集は圧倒的である。 私も山椒魚という生き物が好きでときどき詠んだりする。一昨年の手作りの句集『鳥獣虫魚幻譜抄』にも何句か収録したし、その後も作り続けてはいるが、とても百句は詠めない。

山椒魚という生き物を知ったのは、たぶん子どものころに読んだ白土三平の漫画ではなかったろうか。作品名は忘れてしまった。その後水族館や動物園で見ることもあった。山椒魚と大山椒魚(ハンザキ)は区別すべきだと思うのだが、『山椒魚百句』に描かれているのはやはり大山椒魚だろう。大山椒魚は全長150センチメートルにまで育つこともあり、寿命は野生下でも10年以上、飼育下では51年の生存例があるらしい。その異様な風体を嫌う人もいるかもしれないが、私は神秘的、かつ哲学的な生物だと畏敬の念を禁じえない。 自画像としての『山椒魚百句』を作るにあたって加藤かけいは山椒魚が生息する土地を訪ねる。双六谷、新穂高、根尾川上流、白山山麓、木曽大滝、木曽赤沢自然休養林、野麦峠、中房温泉、山形の月山、面の木峠などである。句集に収められた句は、観念性が強く感じられるのだが、加藤かけいはこれだけの土地を訪ねているのである。もちろん写生句であろうはずはない。それでも山椒魚が生息する地におもむき作句するエネルギーには驚かされる。最後にいくつかかけいの山椒魚の句を揚げておく。  

水中の月夜娯しむ山椒魚  

山墓に墓銘などなし山椒魚  

山椒魚の谷に霧湧き飯炊く婆  

山椒魚の暗き滝壺の死神  

流れゆく雲が食べたい山椒魚  

山椒魚呼ぶ厚唇の口笛で  

山椒魚少女の小さき素足がゆく

(「らん」87号2019年)

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