先日の「ヨハネの第一の手紙」の博多弁への翻訳の記事中、「ヨハネの黙示録」を、
この使徒ヨハネによるものと書いたが、どうやら間違いのようだ。
現在の学説では次のように説明されている。
〈「ヨハネの黙示録」は、書中で自らをヨハネと名乗る人物によって、ギリシャのパトモス島で書かれた。このヨハネとは、長い間、イエスの愛弟子で「ヨハネによる福音書」を書いた使徒ヨハネであると考えられてきたが、現代の学者たちは、おそらく、別人であるエフェソの説教者ヨハネが、紀元90年頃に書いたのだろうと言う〉〈NATIONAL GEOGRAPHIC)
「ヨハネの黙示録」を初めて読んだのは70年代のはじめころだったろうか、
アルブレヒト・デューラーの木版画による「ヨハネの黙示録」を知ってからのようにも思えるが前後関係はわからない。
デューラーの「黙示録の四騎士」(1500年頃)
上はマルティン・ルター訳聖書 「聖ヨハネ黙示録」(16世紀中頃)の挿絵
デューラーの「ヨハネの黙示録」もいいが、
〈NATIONAL GEOGRAPHIC〉が紹介している「ヨハネの黙示録注解」の写本の一つ
「シロス写本」の挿絵もカラフルでとてもいい。
ほとんどの写本はモサラベ様式で、スペイン北部で作成されたが、
アラブとイスラム芸術の影響を受けたモサラベ様式は、豊かな色彩と幾何学模様が特徴的。
なかでも、11世紀にスペイン北部のブルゴス近郊のサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院で作成された
見事な写本と挿絵は、「シロス写本」として知られている。
ドミニコとムニオという修道士が文と一部の挿絵を描き始めたが、
1091年4月18日に作業は中断された。その後3人目の修道士ペトリュスがその仕事を引き継ぎ、
1109年に息をのむような豪華な挿絵を完成させた。
モサラベ様式とはスペインにおける中世キリスト教美術の一様式。
イスラム統治下のスペイン(711年以降)で,イスラム文化の影響を受けながら、
独自の文化を形成したキリスト教徒(モサラベ)の美術のこと。
以下は「シロス写本」より