八幡宮と武蔵国分寺薬師堂は境内が繋がっているのだが、
今度は脇から入らずに正面に回ることにした。
山門(仁王門)に向かうと手前左手に三基の石塔がある。
中央に庚申塔。宝暦14(1764)年の造立と彫られている。
仁王門が建立されたのが宝暦年間(1751〜64年)であるから、
宝暦年間の最後の年の造立。
仁王門は三間一戸八脚門。入母屋造、桟瓦葺。
仁王門内の二体の仁王像は享保3年(1718)造立。作者は不明。
仁王門が建立のずっと前にこの仁王像は作られたことになる。
どういう経緯で、この門に安置されたのだろうか。
仁王像は厳しく保護されているので、全体の撮影ができない。
わずかな隙間から撮ったのが下の写真。
そしてこれは国分寺のHPから拝借した写真。
仁王門をくぐると正面の石段の先に薬師堂がある。
〈医王山縁起によれば、国分寺境内の薬師堂は、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられている。現在の薬師堂は宝暦年間に今の場所に移され、建て替えられたもの〉
医王山とは武蔵国分寺の山号、武蔵国分寺は真言宗豊山派の寺院である。
薬師堂の裏に回るとおびただしい数の石仏が並ぶ。
四国八十八ヵ所を模した石仏で、札所の番号や詠歌など刻まれている。
数えてみると64体ある。
これがいつごろ安置されたのかはわからないが、ずいぶん古いもののようだ。
おそらくこの地蔵の頭部はあとから補修されたものだろうが、とってつけたような頭部である。
時代はわからないがこの石灯籠の鹿の彫り物はとてもいい。
鐘楼。
手水場。
〈続く〉