ここまで書いてきてなにか大事な映画を見落としているような気がしている。
そうだ、溝口健二の『雨月物語』だ。
この映画を抜きにしてこの国の怪奇映画を語ることはできない。
『雨月物語』は江戸時代後期に上田秋成によって記された、
日本および中国の古典を元にした怪異小説集で9篇の話からなる読本である。
1953年に溝口健二によって映画化された。
ワタシはたしか20代初めころにテレビで観た。
秋成の『雨月物語』の中から「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2篇を
川口松太郎と依田義賢が脚色。
もう半世紀近く前に観た映画だから、細部の記憶はないが、
悲しい映画だという印象は強く残っている。
一応怪奇映画という分類に入るのだろうが、あまり恐ろしさはない。
ただただひたすら人間の悲しさに溢れた映画といえようか。
京マチ子と森雅之。
『雨月物語』の舞台は近江の国、琵琶湖の北岸に位置する村である。
そこに住む貧しい農民の源十郎は、妻の宮木と子を残し、
自分で焼いた焼物を載せた大八車を引いて長浜に向かう。
この映画を観た当時は知らなかったが、
長浜といえば観音の里とも呼ばれる湖北である。
数年前まで上野にここの寺にある観音像を展示する
〈びわ湖KANNON HOUSE〉という小さなギャラリーがあった。
ここは団地の巌窟王の教えてもらったのだったか。
当時は北新宿に住んでいたから、企画展示が変わるたびに見に行った。
ほんとうはこの湖北・長浜地区の寺を訪ねたいのだが、
とてもそんな経済的な余裕はない。
ハナシがそれた。
源十郎は織田信長に滅ぼされた朽木家の生き残りの屋敷に居つくが、
じつは朽木家の死霊たちが住む廃屋である。
源十郎はこの屋敷から逃れ(死霊が触れないように神官から身体に呪文を書いてもらう)
家族のもとに帰るが、妻は殺され子どもは村名主に引き取られていた。
源十郎は囲炉裏で飯の用意をする妻の幻を見て自らの過ちを悟ることになる。
おおまかなストーリーである。
世俗の欲望に翻弄される人々とそれが引き起こす悲劇が
溝口健二らしい幽玄な映像で語られる。
この映画の脚本を担当したひとり依田義賢は
溝口健二の最盛期を支えた脚本家だが、
のちに今井正監督の『武士道残酷物語』(東映/1963年)を担当する。
この映画も怪奇映画ではないが恐ろしかった。
『武士道残酷物語』
〈続く〉