CaRaMEL

。。。

9.11 あれから8年・・・

2009-09-13 23:10:18 | アメリカ
今年も9月11日がやってきました。
あれからもう8年。

何度か書いていますが、私はあの時フィラデルフィアで住み込みのベビーシッターをしていました。あの時の事は今でもはっきり覚えています。決して忘れられない出来事です。大好きなアメリカ。大好きなNY。一日でも早く遺族の方々の心が癒されますように。。。そしてこのような事が二度と起きませんように。。

9.11から2週間後の写真をいくつか載せます。
決して忘れてはならない事を記録として。

















オペア(au pair)~学校(写真)編~

2006-10-28 16:15:46 | アメリカ
お次はステキングなクラスのお話。

最初のクレジットクラスを修了したあと、次は絶対に英語じゃないものを取ろうって思っていたので、アダルトクラスに目を向けました。アダルトクラスとは、カルチャーセンターみたいな感じで、手軽&手ごろに色々なことが学べるのです。

ダンス、ソーイング、ポエトリーリーディングまでなんでもかんでも。その中で、私が興味を持ったのは、もちろん「写真」!!これだ~~~!!!って思い、すぐさま申し込み。

しかし!!

初級クラスの定員は既にいっぱい。。。仕方なく上級クラスにアプライしたら、初級クラスを修了したら来なさいって。そんなぁ~。。だが、ここであきらめてはならぬ!先生に直談判開始!「おいらの辞書に来年って言葉はないんだよぉ~。頼むから入れてくれよ~」。

その結果、滑り込みセーフ!!イエイ!!

土曜日のクラスだったので、仕事に気兼ねなくうきうきで授業へ行けるぞ~!!意気揚々で初日を向かえ、バスでテクテク学校に向かいました。クラスメイトはおじちゃんおばちゃん率高し!だけど、それも楽しいかも。だってネイティブの人たちと一緒に学べるんだもの。写真が趣味のおじ様と話す機会なんてそうそうないし。

このクラスは、先生がフィルムの特徴や、光の加減との関係での写真の撮り方は一応教えてくれるけど、基本が自由。好きな写真なんて人それぞれなので、好きな写真を好きなように撮ればいいのです。で、それを好きなように自分でプリントできるのです!私が一番魅力に感じた点はここでした。モノクロだけだけど、自分で現像し、暗室で調整しながらプリント。本当に楽しかったな。。クラスは午前中で終わるんだけど、暗室に1位日中こもって黙々とプリントしてたもの。またやりたいな。

ここで私が撮り、プリントした写真をいくつかご紹介。クリックするとそうとう大きくなりまする。








一番下の写真は、フィルムをそのままプリントしたものなんだけど、ダウンロードして100%の大きさで見ると、家の中の写真が見れます。すごくかわいい家だったのよ。バレンタインには窓にハート貼ったり。子供達の写真は、額にいれてプレゼントしたよ。リビングに飾ってくれました。

久しぶりにモノクロ写真が取りたくなったな~。

オペア(au pair)~学校(英語)編~

2006-10-28 15:27:32 | アメリカ
思い出したようにオペアアメリカ物語再開。今回は学校編。

オペアには年間6単位もしくは60時間(たぶん)学校に行くことが義務つけられています。学費は年間$500ドルまではホストファミリーが出します。私のホストファミリーは私のために近隣のスクールをピックアップしてくれ、さらにアドバイザーとのアポイントメントもとってくれました。私はホストママと一緒に学校に行き、どんなクラスを取りたいか相談しに行きました。

正直単位のあるクラスは学費がとても高いのです。今後のことを考えると、ノンクレジットのクラスの方がよいのですが、まずはクレジットのあるESL(English as a Second Language)を選択。これは英語を母国語としない人たちの為の英語のクラスです。そのなかでもEnglish101とかいうクラスをとりました。

ここでは会話よりも文法をみっちり勉強。アメリカ人でも使い分けられないんじゃないかと思われる過去完了や、過去進行形とかその辺の使い分けも学びました。もう忘れましたけど。。爆

このクラスは昼間のクラスったので、ホストファミリーと相談して、学校に行けるようにベビーシッターの時間を調整しながら、仕事と学校を両立させました。学校に行っていても、週45時間は働かないといけないので。フルタイムの学生ではないので、その辺は臨機応変にできますけどね。私は週2で学校に行ってました。

クラスメイトの大半は韓国人。彼らは同じアジア人でも日本人とはやっぱり違う。とても積極的だし、間違えることを恐れないでがんがん質問し、英語で話しかけてくる。だから上達がとても早い。これは私も見習わなきゃいかんって思いましたさ。だけど、休み時間は韓国語なのでちょっとつらかったかな。日本人は私だけだったので。お友達というほど仲良くもならなかったけど、一度だけ大雨が降ったときに一人の韓国人の男の子が家まで送ってくれました。彼は英語をもっと勉強して、今後はスイスに行ってホテルの勉強をしたいって言ってたな。今頃どうしてるかしら?

このクラスはクレジットのクラスなので、宿題もテストもしっかりあったので、夜机に向かうことも多々ありました。穴埋め問題はもちろん、エッセイ(作文)もたくさん。結構大変だった記憶が。。。最初はつまらないな~なんて思っていたけど、今思うとこのクラスが一番身になったかも。やっぱり会話にも文法は大事です。

次のセメスターでは夜のクラスのノンクレジットのESLを取りましたが、20人位の生徒がサークル状に座り、簡単な英会話で、いまいちつまらない!!ノンクレジットは学費も安い分、学生の学ぶ意欲も低いんですな。

クラスが修了したら、オペアカードに先生のサインをもらわないといけないので、がんばって最後まで行ったけど。。

英語のクラス以外にステキングなクラスも取ったよ!次へ・・・

オペア(au pair)~ライブ三昧編~

2006-06-14 23:33:51 | アメリカ
久しぶりのアメリカ物語。前回から4ヶ月も経っていたことにビックリΣ(゜Д゜;エーッ!

今日はオペアとはちょっとずれるけど、オフの楽しみだったライブ三昧の話を書きます♪私は8月に出発して、年内は日々を過ごすことにいっぱいいっぱいであまりライブの事は頭になかったんだけど、年が明けて帰国する日が見えてきたら、焦りと共にアメリカでやっておくことが次々と出てきちゃって大変!

そのうちの1つが「ライブに行くこと」だったんです。

アメリカには「ぴあ」とか「e+」と同じような「ticketmaster」っていうサイトでチケット情報を探しました。私がいたPhillyはNYなどの大都市と比べると10ドル~20ドルチケット代が安いのも魅力!

゜・*:.。. 私が行ったライブたち@2002.。.:*・゜
・3月1日(金)
Gorillaz@Electric Factory $27.50

ご存知、Gorillazは覆面バンドなので観にいっても当然本人達(デーモンとか)を観ることは出来ません!行ってから気付いた私。。。しかも、開演の時間から3時間くらい経ってから彼ら登場ですから!一人だった私は要領がわからんから、動くに動けず。。色々学んだライブです。ってか、最後まで書いてみて気付いたけど、コーチェラ以外でこれが一番高いじゃ~ん!

・4月21日(日)
SpiritualizedTrocadero Theatre $18.00

このライブは、前回の教訓を生かし前座が終わった頃に登場してみた。だけど、この日は終電で家に帰らねばならず、最後まで見れなかったんだよな~。それでも彼らもライブは貴重だったと思う。

・4月25日(木)
Super Furry AnimalsTheatre of Living Arts $12.00

これは珍しく、Philly在住の男の子と一緒に観にいきました。と~っても空いていてびっくり!このバンドは、日本にいた友達からいいよ!って薦められて観にいったんだけど、かっこよかったっす!今年はフジに来るので見たかったな~♪

・4月27日(土)~28日(日)
Coachella Valley Music Festival $140.00

これはこの前書いたので、コチラをどうぞ。

・5月10日(金)
CornershopTrocadero Theatre $14.00

コーチェラで彼らを初めて観て、その時に「なんて楽しいバンドなの!」って感動したの。で、帰って調べたらPhillyに来ることが分かった(多分コーチェラのついで)から、即効チケット予約。ボーカルの男の子がインド系イギリス人だからなのか、インド人率がとても高いライブでした。ライブは文句なしでエンジョイです。また行きたいな~♪

・5月11日(土)
INCUBUSFirst Union Spectrum $25.00

ボーカルのブランドン君に一目ぼれしたので、迷わず行ってきた!この会場は横浜アリーナみたいな感じで、当時のインキュバスはアイドル並みの人気だったよ。私は運良く前から2列目で観れたんだけど、アメリカ人ギャルは想像以上にでかく、エルボーされまくりで、早々に退散してきたっす。。。涙
でもブランドン君の腹筋は素晴らしかった!!!感動した!!
ちなみに、前座はHoobastank。彼らもなかなか楽しかったです。

・8月1日(木)
Smokin' GrooveTweeter Center $45.00

これは、OUTKAST, LAURYN HILL, THE ROOTS, JURASSIC 5, CEE-LO AND TRUTH HURTSなんかが出たライブだったんだけど、会場がカムデンっていう恐ろしい場所で、しかも駅からバスに乗ったら私の存在を忘れられて会場を通り越し、お目当てだったJURASSIC 5に間に合わず、結局30分位しかいなかったライブです。

こうやって振り返ると、ほとんど3月~5月だったんだね~。日本の3分の1くらいのチケット代じゃぁ、行くよね。またこの時のようにガシガシライブに行かれるように頑張ろうっと♪

気が付けば I LOVE NY

2006-04-05 19:41:40 | アメリカ
私はNYが大好きです。20歳の時に初めての一人旅の行き先がNYでした。それから26歳でアメリカに行くまで、毎年行っておりました。Phillyに行ってからも、毎月(多い時は毎週末)マンハッタンまでえっちらおっちら行っておりました。

それの名残り?なのかどうかは分かりませんが、「I  NY」ものが気なって仕方ない!特にこのロゴ!

上のマグは、先週末鎌倉のジャンクショップで買ったもの。200円とういう驚き価格。まぁ、写真では大きく見えるけどエスプレッソサイズです。

↓どこにでもあるグロッサリーで買ったアドレスブック。久しぶりに開いたら、数名のアドレスが書いてあったよ!手紙書いてみる?


↓どこにでもあるグロッサリーで買い物した時に入れてくれたビニール袋。こんなものも捨てられない私!


↓きっともらいもの。アディダスのポーチにちょこんと着けてます。


↓オールスター勢ぞろい!



オペア(au pair)~思い出編~

2006-02-22 21:52:38 | アメリカ
アメリカ物語再開。今回は、思い出編。私って、日本にいてもそうなんだけど、お店とか行くと、ショップカードとかすぐにもらってきちゃう癖があるの。アメリカでも同じで、行くところで必ず何かしらもらってきちゃってて、半年も過ぎると収拾がつかない状態になってたんだ。。でも捨てられないし。。どうしよう。。。これら通称『紙ごみ』。知り合いに言わせると、こんな人間を『紙ごみ収集家』と言うらしい。ごもっとも・・・。

写真も大好きだったので、ほぼ毎日かカシャカシャやっていた。なので、写真の数も半端じゃない!TOPのアルバムはほんの一部っす。このアルバムたちはクリスマスやサンクスギビングデーやバースデーの時に、ホストの親戚たちからもらったもの。写真はアルバムに収めればいいけれど、『紙ごみ』どうするべ?って悩んだ挙句に、A型らしくまとめることを決意!

とりあえず、年功序列でソートし、関連する写真を集めてノートに貼る。とりあえず貼る。コツは、まず貼ってしまうこと。コメント書きたい気持ちを抑え、まず貼る。そうしないと、手元に紙ごみ残ってしまって、達成感がないから。全部貼り終えたらこんなにデヴになった!


それから、時間があるときにコメントを書いたり、かわいくデザインしたりし始めたんだ。30色位入ってるペンを買って、それらをジップロックに入れて、いつも持ち歩いていたかも。重たかったけどさ。毎晩行くカフェでチョコチョコ作成。

ではこのデヴノートの中身を少し紹介しちゃうよ!
▲左:ワシントンDCに行ったときの、電車のチケットと観光案内
右:Phillyのバスの案内


▲左:NYに行ったときのチケットとメトロカード
右:フロリダに行ったときの写真


▲左:一番仲良しだったドイツ人のデボラが書いたページ
右:デボラとの思い出写真たち


この本のおかげで、本当にアメリカにいたんだなってことが実感できるんだ。私の場合、このままアメリカに住もう!とか思っていなかったからできたんだと思うけどね。1年間の長い旅のような気分で過ごしていたから、『今しかできない!』と思って、やってみたいことはすべてやってきた気がする。躊躇したり考えたりする暇なんでなかったわ。

オペアとして今アメリカにいる方、これから行かれる方。是非、思い出を沢山自分なりの方法で記憶、記録してもらいたいと思います!

次からは・・・私の1年間を順を追って書いていこうかな。。

オペア(au pair)~オペアの一日編~

2006-02-04 22:38:29 | アメリカ
久々のアメリカ物語。今回はオペアの一日の生活をご紹介。オペアは1週間で45時間の仕事(一日最大10時間)が義務付けけられています。

ホストマザーが働いている場合は、子供の食事の世話、学校の送り迎え、着替え等のお手伝いなど、母親代わりが求められます。就学していない子供の場合は朝食から夕食の世話、一緒にいる間の遊び相手から家の掃除、洗濯なども求められる場合があるそうです。

私の場合、ホストマザーは専業主婦だったけど、子供が4人もいたのでママと2人で子供たちのお世話をしていました。私は子供の送り迎えなどはやる必要がありませんでした。車の免許は持っていたけど(参加条件)、ほとんど日本で運転していなかった私には、とってもラッキーだったかな。一応、出発前日に家の周辺を父親と一緒に練習したけど、絶対にアメリカでの運転はムリ!とお墨付きをもらったくらいだから!まじで、送り迎えしてくれなんて言われてたら、事故になっていたでしょう。。

●ある日の一日●
8:15 起床
着替えなどの準備をして階下へ。

8:30 仕事開始
起きてる子供に、何を飲むかを確認。長男には牛乳に粉を混ぜて作るチョコレートミルクを、他の3人にはミルクを。それぞれレンジで30秒温める。
ママと会話をして、一日の予定を確認。子供が朝食を食べたかも確認。食べてない場合は、子供に何を食べたいか聞いて、作る。その合間に私も食べる。作るって言っても、トーストかベーグルかワッフルかシリアル。簡単です。

9:30 子供たちお着替え
それぞれの部屋に行って、着替えさせる。双子は同じ服を着るので、同じセットを用意。長男は一人で着替えられるけど、下の3人は助けが必要なので、着替えるのも一仕事。でも、双子の場合は「どっちが先に出来るかな~?」作戦で、競わせてたよ。

10:00 お庭で遊ぶ
お庭には滑り台&ブランコセットや砂場まであったので、色んな道具を使って、工事する人になりきって遊んだりしてたかな。ヘルメットかぶっておもちゃのトンカチやシャベルなどを使って一生懸命「働く男ゴッコ」をしていたよ。私は監視役。
その間に、ママは子供たちの誰か(大体長男)を連れて買い物に行ったりしていました。

12:00 お昼ごはん
ママが大体作ってくれるので、みんなでランチ。いない場合は朝食同様簡単なものを作って食べます。

12:30 テレビタイム
お昼の後は大体ゆっくりテレビタイム。でもあんまり長い間は観ないように心がけていました。

13:30 みんなでドライブ
近所の公園に行ったり、図書館に行ったり、スーパーに行ったり、大体一日に1回は車に乗ってどこかに行きました。

15:30 お昼寝タイム
一番下は必ずお昼寝をします。ミルクを持って子供部屋に連れて行き、ベッドタイムミュージックをセットすればOK!とっても簡単。他の子供たちも、ミルクと音楽だけで寝かせていました。添い寝もベッドタイムストーリーも不要!!

下の子が寝ている間は他の子供と遊びます。双子を散歩に連れて行ったり、長男とレゴをしたり、パソコンで遊んだり。ママはその間にネイルサロンに行ったりします。

17:30 ディナータイム(はやっ!)
夕ご飯は、ほとんどママが作ります。お料理がとっても上手だったので毎日楽しみで仕方なかったかな。スパゲティーからメキシカンまで、色々。しかもヘルシーなのがうれしい!サラダも必ずあるしね。大皿に入れてあって、食べる分だけ自分のお皿に取り分けていたので、食べる量を自分でコントロールできたのがうれしかったかな。

18:00 シャワータイム
夕食後は自分の時間。私の部屋は子供部屋のすぐ隣だったので、子供たちが寝る8時以降は静かにしていなければならなくて、シャワーも子供たちが寝る前に済ませて欲しいと言われていました。なので、夕食後はすぐにシャワー。

18:30 お出かけ
ひとっ風呂浴びたら、夜の街へ!ってのは嘘で、バスに乗って学校かカフェへ。学校は週1回。バスで20分位のところにあったコミュニティカレッジのESLへ行っていました。学校がない日はほぼ毎日、バスで10分くらいのところにあるカフェ&ブックストアへ。同じオペア仲間のドイツ人のデボラと行く事も多かったかな。そこのカフェの店員君は、お世話になっていたカメラ屋さんの店員君でもありました。バイトに精を出す若者ね。なかなかの美青年。なので、ほぼ毎日行っていたってわけ~♪

21:00(学校の日は22:30) 帰宅
またバスに乗って帰宅。バスを降りたところにあるコンビニでコーヒーを買って帰るのが日課。さっきまでカフェでコーヒー飲んでたのにね。。夕飯は早かったけど、カフェでの買い食いはしなかったかな。これで食べたら太る!と思って、間食は極力控えていました。なので、毎晩寝る頃にはグゥーグゥーお腹が鳴っていたよ。。

私がいた所は郊外だったので、バスは1時間に1本しかありませんでした。私が乗る時間のバスの運転手はほぼ毎日同じ人でした・・・。違うモールに行く為に、たまに乗るバスの運ちゃんも同じで、いっつも一人でいる私をみて「友達いないの?」って聞いてくる運ちゃんもいたっけね。ほぼ毎日行っていたブックストアカフェに行くときの運ちゃんは、帰るときも同じ人。

ある日・・・彼が・・・。私が降りるときに、自分の電話番号を渡してきたのだ!電話はないまま、また彼の運転するバスに乗ったら、電話してくれって言うので、おうちに帰ってドキドキしながら電話したさ!仕事中にそんなことしていいのか?アメリカ人!でも、それ以降バス代をタダにしてくれたんだよ!片道$2で、往復$4×週4回位。貧乏留学生には大きかったから、ラッキーだったわ!バスの中と、カフェのあるところはターミナルだったので乗る前に少しと、時々の電話でしか話さなかったけど、ナイスガイでしたわよ。男前だったしね!

帰宅後は寝る準備をしてインターネットをしていたかな。私は日本からPCを持っていかなかったけど、ホストが私用に、古いけどノートパソコンを用意してくれたので、ネットはいつも部屋でできました。これも超ラッキーなことだったみたい。

以上が、私の日常です。次は何を書こうかな。思い出の取っておき方でも書こうかな。。

オペア(au pair)~Philadelphia編~

2006-01-21 14:24:59 | アメリカ
私がいた町は、ペンシルバニア州のセンターシティ「Philadelphia」からは電車で30分ほどの郊外でした。

今回はPhillyのご紹介。Philadelphiaは、緯度でいうと秋田と同じくらい。NYが青森なので、やっぱり冬は寒く、夏は暑い。四季がきちんとある町でした。

Phillyは歴史深い町であり、1774年にアメリカ独立宣言の起草などが行われ、自由の鐘が保存されています。また、1787年にアメリカ合衆国憲法が成立し、1790年から1800年まではアメリカ合衆国の首都だったそうです。

市域人口は約150万人で全米第5位。名門ペンシルバニア大学やドレクセル大学などがあり、学術都市でもあるそうです。全米でも最大の学生人口を持つ都市のひとつなんですって。知りませんでした・・。

これらは「ウィキペディア(Wikipedia)」で調べたんだけど、気になる一文が・・・。

『なお、フィラデルフィア都市圏の治安は概ね良好であるが、デラウェア川の対岸、ニュージャージー州カムデン市は全米で最も危険な都市である、とされている。』

カムデン・・・。私一人で行きました。しかも夜。こんな予備知識無かったけど素直に「この町やばいかも!」って思った町でした。用事(ライブ)もそこそこに大急ぎで引き返しました。この話は、また後日ゆっくりと・・・。

フィリーには、チーズステーキっていう食べ物があるんだけど、これがまたおいしい!詳しくはコチラ・・・。このページに載っているお店にももちろん行きました。日本にもチーズステーキ食べられるお店がニコタマにあったけどつぶれてた・・。

フィリーは歴史ある町だけあって、建物もきれいです。写真からスキャンしたので、画像悪いけど、いくつか町並みをご紹介。

TOP写真は映画ロッキーでお馴染みの『フィラデルフィア美術館』。何度か足を運びました。もちろん、階段を駆け上がり、ガッツポーズも忘れずに!

▼シティホール

屋根のてっぺんに、フィラデルフィアの創設者のひとりであるウィリアム・ペンの像が立っています。彼の視遮るから、彼より高い建物は建ててはいけないとういう規則があるみたいなんだけど、背後なら彼の視界を遮らないよね?っていう悪知恵により、彼の背後には高層ビル建ちまくりです・・。ベンさん、後ろ振り向いたらびっくりしちゃうよ。

▼美術館から見た景色(昼間)


▼美術館から見た景色(夜)


▼ペンシルバニア30th street station

ここは、私の好きな場所のひとつ。私も何気に鉄っちゃん入ってるので、駅とか空港とか大好きなのさ。渡米したてのころは、NYに行くときアムトラック(アメリカの新幹線)に乗って行ったけど、高いのでドンコウで行くようになってからは、あまり利用しなくなったけど、ムリクリ乗換えをここでしたりしたな。

次は、私が住んだ町の周辺を少し。。
▼Ft Washington駅周辺

30th駅から出てるローカル線に乗ると、この駅まで30分位。これが駅周辺。のどかでいいでしょう。よく終電で帰ってきてました。。ここから家までは徒歩10分位。夜は真っ暗です。なので、携帯片手にいつ誰が襲ってもいいように、友達の番号を出しておいて親指ですぐかけられ状態にしておいたよ。

▼おうちの周辺

秋は紅葉がとってもキレイでした。その分、落ち葉もすごくて、落ち葉専用の収集車が来ていたよ。

これら全部Lomo-LCAで撮りました!

次は何を書こう・・。オペアの一日でも書きますかね。

オペア(au pair)~ホストファミリー編~

2006-01-19 21:00:37 | アメリカ
次は、世界一だった私のホストファミリーをご紹介。。。
でもね、今書き上げる寸前でPC落ちた・・・。私も落ちた。。。ショックビッグ!こんにゃろめ、また書くよ!

なんだっけ。そう、ホストファミリー。
まずは家族構成

パパ:Tim(33歳)
ママ:Sara(33歳)
1号:Connor(4歳)
2号&3号:Jason&Ryan(3歳)
4号:Peter(1歳半)

パパとママは私と6歳しか違わなかったの。だから、友達感覚とまではいかないけど、話も合うし、考え方も似ていたので、本当に心地よかったな。何よりもうれしかったのが、「言わなくても分かる」っていう感覚が通じたこと。
いつも控えめで、私の意思を尊重してくれて、本当に一緒にいて楽だった。
それに、家族の一員として迎えてくれているっていう気持ちがうれしかった。だから、パパやママの家族の行事にはいっつも連れて行ってくれたし、プレゼントも沢山くれたよ。

パパは会社経営をしていたけど、そんなに忙しそうじゃなかったよ。でもきちんと稼いでくるのがすごいと思っていたなぁ。
ママは専業主婦。ネイルもきちんと行っていて、お洒落でスタイルがよくって、お料理が上手で、おもてなし上手。私の理想の女性だったかも。

子ども達と外で遊んで、夕方家にに戻ると、家中に夕飯のいいにおいが漂ってるの。もう最高だった。それでみんなでキッチンにいって、「今日の夕飯はなに~?」ってね。私も子どもに戻れた気がしたな。

さて、次は子ども達。一緒に1年間戦った戦友のご紹介。

Connor
コーナーは、一番のママっ子。長男だったからかな?下に3人もいるから、ママの愛情を独り占めしたかったんだろうね。最初の頃は、ママが出かけるとドアのところで号泣していたわ。ケンカを一番したのもコーナー。私も本気でやってた気がする。もちろん口げんかね。だから、私がいなくなっても気にしないだろうなって思っていたけど、いなくなって一番悲しがっていたのはコーナーだったんだって。。。それを聞いたときは涙が出たわ・・・。
▼水色1号


Jason
JasonとRyanは双子ちゃん。最初はホント似ていて、区別つかなくって大変だったわ。でも、すぐにわかってきたけどね。2人とも性格が全く違うのがおもしろかったよ。Jasonは甘えん坊さん。いっつも私の右足に絡まっていた気がする。とっても優しいしね。でも朝起きるとI love you,Yoko.とか言うおませさん。3歳児にドキッとさせられたわよ!まじで、連れて帰りたかった。。。
▼水色2号


Ryan
Jasonとは違って、クールなRyan。ママが出かけようが、パパが出かけようが全く気にしない。でもテレビ観るときは、当たり前のように私のひざに乗ってくる。でも、別に甘えてる感じではないんだよね。。ほんとに椅子に座るように、私に座る。椅子だと思ってた?笑
JasonとRyanはいっつも一緒。何をするにも、着るのも一緒。本当にかわいいふたごだったわよ!
▼水色3号


Peter
初めて会ったときは、ハイハイしていたピーティー。言葉もうーとかあーし話せなったんだけど、だんだん言葉を覚えて、私の事を「オーコー」とか「コッコー」って呼ぶようになってきたのには感動。。。ママが上の3人を連れて買い物に行く事が多かったので、一緒にいた時間が一番長かったのがこのPeter。前にちょこっとPeterのことは書いたことがあります。(コチラ
▼水色3号


この4人の子ども達、親ばかな視点じゃなく、まじでかわいいと思いません?たっくさんのアメリカ人の子ども達をみてきたけど、彼らが一番かわいし、ハンサムだったよ!どうですか?みなさま~!!

TOPの写真は、私が暮らした家。アメリカに行って3ヵ月後くらいに引っ越したんだ。それまでは、アメリカ郊外特有の大きな家。でもこの家は築60年位で、パパとママがペインティングをしていたよ。私の部屋は、2回の右端。見えるかな~??

▼お庭からみたおうち。


次は、Philadelphi編・・・。

オペア(au pair)~NY研修&ホストと対面編~

2006-01-15 16:36:27 | アメリカ
いよいよ出発。持って行くものの選定が大変だったよ~!洋服はもちろん辞書やテキストなんかも・・・。スーツケースはかなり重くなり、行きの時点で大幅に重量オーバーで、追加で¥50000も請求されました!なんじゃそりゃ!幸い、荷物はスーツケース1個だったので、空港でお店屋さんを開き荷物を2個に分けました。。。恥ずかしかったし、時間もなくて大慌て。出発からこんなんでいいのか!

バタバタの空港劇も終了し、両親と友達数名に見送られ涙涙の出発・・・。たった1年だけど寂しかったな~。でもみんなの期待を背負って、「日本代表」な気分で飛行機に乗り込んだ記憶があります。
NYまでは13時間くらい。飛行機の中では何をしていたかは全く覚えていないけど、NYはもう何度も行っていたので緊張はしていなかったかも。

空港ではアメリカのオペアエージェントの人が迎えに来てくれていたので、ぞくぞくと到着する世界中のオペアと共に研修先のYMCAへ。ここで5日間100人以上のオペア達と、救急救命法などを 含むチャイルド・ケアの基本やホストファミリーとの生活、その他について学びました。

スケジュールはびっちり朝から夜まであった気がします。その合間を縫って私はちょこちょこNY散歩をしていたけど。YMCAでは数名のオペアとルームシェア。ほとんどがドイツ人で、日本人は私を含む2人でした。他にはスペイン人、フランス人がいたかな。この研修が結構きつかった。まず最初にぶち当たるのが「英語」の壁。少しは話せるつもりだったけど、全くだめ。ドイツ人は基本的に英語は話せるので、彼女達のパワーにやられっぱなし。。

最終日にはオペア達とNY観光ツアーがあり、私も参加。研修期間は2001年8月6日~10日。写真に見えるワールドトレードセンターはあの同時多発テロの1ヶ月前です。出発が1ヶ月遅かったら、私もあのテロに巻き込まれていました。この事もあって、私のアメリカ生活は一生忘れられないものになったのです。

そんな恐ろしい事が起こるなんて全く予想もしない私は、8月10日にNYから飛行機でPhiladelphiaに向かいました。でもここでも一波乱。集中豪雨で飛行機が飛ばず、空港で10時間足止め・・・。心細かったな。ホストパパが空港まで迎えにきてくれることになっていたので、つたない英語でホストへ電話。何とか飛行機が遅れていることを伝え、空港で時間をつぶしました。ようやく夜に飛行機が飛び、深夜を回ったところでPhillyに到着。

誰もいない空港でホストパパが私を出迎えてくれました。緊張したな~。でもそこで二波乱目。今度は荷物がない!遅延のせいで荷物がどこかに行ってしまったのだ。。。もう疲れ果てていたしパニック寸前。。。でもパパが空港の人と話してくれたので、一件落着。2日後に荷物が届きました。

空港からホストの家庭まで車で1時間ちょっとだったと思うけど、私は寝てしまいました。感動のご対面も眠さと疲れには勝てなかった。。おうちに着いたらママがお出迎え。もう真夜中だったので、挨拶もそこそこに私のために用意してくれたお部屋へ・・。

この時、ようやくここで1年間暮らすんだなっていう実感が沸いた気がします。

次は家族の紹介編・・・。

オペア(au pair)~準備編~

2006-01-15 15:29:42 | アメリカ
さて、次は出発までの準備編です。結構準備も大変だった・・・。

●説明会参加(出発の約1年前)
ここで、オペアとはなんぞや。条件はなんじゃ。体験談などを詳しく聞き、保育の経験が200時間以上必要という事をしりました。

●選考試験(出発の4ヶ月~12ヶ月前)
出発予定の少なくとも4ヶ月前に、所定の選考試験申込書をエージェント宛に郵送し、受験料2万円支払い、選考試験を受験しました。
1)英語筆記試験(文法・語彙30分、リスニング15分)
2)適性検査(英語:40分~1時間)
3)英語面接(英語:40分~1時間)

●合否決定
<合格>
英語力、保育経験ともにオペアとしての基準を満たしている方
<条件付合格>
オペアとしての十分な保育経験が無い方、もしくは英語によるコミュニケーション能力があと一歩という場合(いずれも条件を満たした時点で合格)
<仮合格>
保育経験がない方。オペアとしての英語力を身につける為に更なる努力が必要な方(最初の試験より一年以内の再試験受験の場合は、再受験料は無料になります)
<不合格>
オペアとしての資質が認められなかった場合

ちなみに、私は<条件付合格>でした。なので、英語力アップと保育の経験をやりました。

●申し込み・英文書類作成・提出(出発の3ヶ月~6ヶ月前)
合格又は条件付合格になった人は申込金(5万円)を納入し、アプリケーション・フォーム(英文願書)などの英文手続き書類の作成を始めます。提出した英文書類一式は米国事務局に送付され、オペアとして登録され、ホストファミリーの選定が始まります。
この時に、自分のプロフィール的な物を写真つきで作成するのですが、これが結構大変。手作りで色々写真を切ったり、絵を書いたりして自分をアピール。

●電話インタビュー・滞在家庭の決定(出発の1ヶ月~2ヶ月前)
私のプロフィールを見て、興味を持ったホストファミリーから、直接自宅に電話がかかってきます。これが本当にドキドキ・・・。私は3家庭から電話がありました。
1件目はオハイオのクリーブランドに住む2人の娘いる母子家庭。長女が障害者だったようでした。障害者にも母子家庭にも私的には偏見どころか、いい経験になる!って思っていたんですが、オペアが1年間暮らす部屋が「地下室」って事に引っかかったんだよね。。。
2件目はNY郊外に住む家庭。家族構成は忘れたけど、ご飯などもしっかり作って欲しいって言われた気が・・・。不安だったけど、「もちろんよ!」ぐらい言った気が。
3件目はPhilly郊外に住む家庭。子ども4人でママは専業主婦。ママは家が郊外だけどいい?って事に気にしていたな。そんなこと気にしないので「ノープロブレム!」って言いました。

結局、3件目の電話があった次の日に3件目のPhillyの家庭に決まりました!バンザイ!ここまで来ると、出発も目の前に迫り、現実なものになってきます。

●オリエンテーション
渡航手続き、オペアとしての心構え、プログラムの規則、生活上の注意点、携行品などについての説明や学習を行います。
一緒の日に出発の人とオリエンを受けるんだけど、私と一緒の出発日の人は地方の人だったので、一人で受けました。この時に、「冬服(私は夏の出発)は持っていかないほうがいいですよ!太るから!」って言われたんです。なので、意地でも太ってたまるか!って思い、ストレッチが入っていないジャストサイズのジーンズを出発前に買い、絶対に1年履きとおしてやる!と固く決意しました・・・。効果覿面、今でもそのジーンズは履いております。イエイ!

●渡航手続き(出発の1ヶ月~2ヶ月前)
滞在家庭の決定後、ビザの申請手続きを行います。交換留学ビザ(J-1)を取得します。ビザの申請には「無犯罪証明書」が必要だったので、神奈川県警に行き、全部の指紋を取られました!犯罪者になった気分・・・。

●出発
2001年8月6日に出発しました!ワクワク・・・ドキドキ・・・。空港まで両親と友達が見送りに来てくれました。まずは5日間NYで世界中のオペアと一緒に受ける研修に向かいます!

次はNY研修&ホストと対面編・・・。

オペア(au pair)~動機編~

2006-01-14 20:41:55 | アメリカ
なんでオペアでアメリカへ行ったの?子どもが好きだったから?など、どうして行ったの?って沢山の人に聞かれます。

私は小学校後半位から外国に興味を持ち始め、外国の人(どこの人か忘れた)と文通なんかをしていた時期もありました。中学1年生の時には、沖縄の米軍基地へ1週間のホームステイも体験。英語なんて全く分からないのに、よくも行った自分!って感じです。

その直後に家族旅行でハワイへ行き、初めて本当の外国を体験し、感動したのを覚えています。その時にホテルで働く人をみて、ホテルマンに憧れて「英語」を学ぼう!と決心し、高校は1ヶ月のアメリカ研修がある高校を受験し、難関だった(らしい)研修参加試験にも合格し、高校2年生の時に学校代表で約30名程でバージニア州に行きました。

更に、その時にバージニア州ノーフォーク市庁舎に行った際、何故だか知らないけど私が市長の前でスピーチもさせていただきました。。それまで緊張ったらありゃしない!

その後も中途半端にアメリカと英語に縛られ、当時はやっていた日本でアメリカの短大の卒業資格を取れる短大に入り、ハワイに行ったりハワイから先生が来たりと、頑張って卒業したのです。

その後にアメリカに留学すれば良かったんだけど、資金もないしやりたい事も特にない状況で、普通に就職したのですよ。その間も一人で毎年NYに行ったりはしていて、アメリカから離れられない生活を送っていました。

アメリカには行きたいけど、アメリカでやりたい事もない、かといって語学留学では絶対に行きたくないと思っていたところに、オペアの存在を知ったんです。これしかない!って思った時は25歳。プログラムの参加資格は26歳中。行くと決めたら準備開始!って事で、ベビーシッターをするために会社を辞め、1年間は準備に当てました。

参加するためには200時間の保育経験が必要だったのです。なので、普通の仕事をしながらの経験は無理だったので、会社を辞めました。バイトをしながら、合間にベイーシッターをし、その1年間は無我夢中で働いて、遊んだ気がします。その時バイト先で出会った仲間とは今でも仲良しです。

アメリカに行く事を決めたとき、何人かの留学経験者に相談なんかもしたんだけど、その時にある人に言われたのが「きちんと目標を持って行って欲しい。なんとなく行きたいからって気持ちでは行かない方がいい」って言葉。彼女は特に目標もなく、高校卒業後に留学したんだけど、中途半端な気持ちで行って、帰ってきたから「今でもアメリカに忘れ物をしてきた気がする」って言ってたんです。
それを聞いてから、私なりにアメリカで何をしたいかを真剣に考えるようになった気がします。彼女に感謝。そんな彼女はその後長年の夢をかなえて、昨年末ハワイに移住しました!

そんなこんなで出発は制限ぎりぎり26歳9ヶ月のときでした~。

次は出発準備編・・・。

オペア(au pair)~説明編~

2006-01-14 20:07:30 | アメリカ
何度かこのブログでも触れているので、皆さんご存知とは思いますが、私は2001年8月~2002年8月にアメリカはフィラデルフィアに滞在していました。

この体験は私にとって一生の宝なので、きちんと書き留めておこうとずっと思っていました。やっと落ち着いて書けそうなので書き始めます!

私はオペア(au pair)というプログラムでアメリカに滞在していました。今回は、オペアとは何かをご説明します。

●オペアとは・・・
“オペア”とは、昔、フランスの若い女性が家事のお手伝いをしながら英語を勉強するためにイギリスの家庭に無償で滞在させてもらうことから発している言葉で、この言葉がヨーロッパからアメリカへ広がり、異文化交流の教育・交流プログラムとして、アメリカ合衆国国務省(DOS)管轄のオペア文化交換プログラムとして政府に指定され、今日に至っているそうです。

アメリカ人の家庭にホームステイをしながら、その家庭の子どものベビーシッターをするというプログラムで、いくつか条件などもあります。

●応募資格
・出発時の年齢が20歳以上26歳以下であること。
・高等学校卒業資格を有していること。
・英語によるコミュニケーション能力があること。
(TOEIC600点、英語検定2級程度以上が望ましい)
・普通自動車運転免許を持っていること。
・子供が好きで心身共に健康な人

●選考試験
英語能力試験及び面接
1.英語筆記試験(文法・語彙・リスニング)45分
2.適性検査 約40分~60分
3.英語面接 約40分~60分

●プログラムの費用
350,000円
【含まれるもの】
 ・成田空港より滞在地までの往路航空運賃
 ・事務局費用(諸手続き、通信事務、事前オリエンテーションなど)

【ホストファミリーにより提供されるもの】
 ・12ヶ月間の滞在費、食費
 ・米国到着時に行われる5日間のニューヨークでのワークショップ経費
 ・プログラムに規定される疾病、傷害等の保険
 ・週139.05ドルのお小遣い(12ヶ月での総額は7,230.60ドル)
 ・エキスパートプログラムの場合は週200ドル
 ・年間500ドルまでの授業料
 ・成田空港までの帰路国際航空運賃

【含まれないもの】
 ・選考試験受験料 20,000円
 ・登録料500ドル(プログラム規定の12ヶ月終了後、返金されます)
 ・事前オリエンテーション参加のために必要とされる場合の交通 費及びに宿泊費
 ・出発時の成田空港まで国内交通費、及び帰国時の成田空港からの国内交通 費
 ・旅券印紙代金
 ・査証料及び渡航手続き代行費用
 ・任意加入の海外旅行疾病傷害保険
 ・健康診断と必要とされる予防接種費用
 ・プログラム中および終了後(13ヶ月目)の旅行費用やその他個人的お小遣い

以上が簡単な説明です。見て分かると思いますが、1年間たったの35万円で参加ができ、さらに週に139.05ドルのお給料もいただけます。ほとんど貯金をしていかなくても、このお給料で普通の楽しい暮らしはできます。

次は動機編へ・・・

ピーター!!!

2005-05-17 21:12:59 | アメリカ
私はアメリカで4人の男の子のベビーシッターをしていたんだけど、写真の子は一番下のピーター!私が行ったときは、1歳半でまだきちんと歩けなかった。話もカタコトだったんだけど、だんだん言葉を覚えて、私のことを「オーコー!オーコー!」って呼ぶ姿は、もうかわいい!かわいくてしかたがなかったよ!写真見てよ!この顔で、「オーコー!」だよ。。。あ~会いたいな~。今は何歳になったのかな~。。。ホストママいわく、ピーターはもう私のことは覚えていないとの事。。。
しょうがないね。。。


▲絵葉書の様な写真でしょ



▲小さいのに、ジーンズとナイキ。。


今日は、ピーターのご紹介。今度上の3人も紹介します。また彼らもかわいいんだ

これもLOMOで撮りました。

来日希望

2005-03-05 22:08:09 | アメリカ
アメリカにいるときに発見したお店たち。まだ日本にないお店たち。来日希望!

Urban Outfitters
このお店で売ってるものは結構日本でも買えるものが多いんだけど、私の好きなものが詰まってる。今でもここで買った洋服や靴は大活躍している。NYでもPhillyでも、本当によく行っていた。一番仲良かったドイツ人のデボラは、ここでローラースケート付のプーマのスニーカーを買い、彼女の最寄の駅から2時間かけて家に帰ったそうな。家に帰るためにこの靴を買ったわけではないらしい。ただ、ホストファミリーにお迎え頼むのがいやだったらしい。あ~行きたい!


IKEA
IKEAは来年日本に上陸だ!まじで、楽しみ。IKEAはもともとはスウェーデンから来たお店。だから、デザインがめちゃくちゃかわいいのだ。シンプルだし。お値段もお手ごろ。家具からキッチン用品まで、おうちのものなら何でも揃う。日本でもお値段がお手ごろかは不明。本当は今年中にオープンだったんだけど、1年延びちゃったんだ。すごい残念。横浜にもできるからきっと通ってしまう事でしょう。アメリカで買って来たマットは頑張って持って帰ってきたよ。

H&M
これもスウェーデン発のブランド。日本にありそうでない洋服が買える店。しかも、安い!パーティ用の洋服とかもっと買ってくれば良かった!って少し後悔。。。どこに来て行くのかは未定だけどね。このお店は、ホームステイ先から近いモールにも入っていたので、よく行っていた。行くたびに何か買っていたかも!!いつもバスで行ってたんだけど、時間が一緒だとバスの運転手も一緒。いつも一人で買い物に行ってる私に彼は言った!「いつも一人だね。友達いないの?」くすん。。。そんなこと言わんといて。。。悲しくなるから。もちろん、強がり言ったさ。「い、いるよ!みんな遠くに住んでるんだよ」とね。

日本に来たら来たで、寂しい気持ちになるのかも。日本にないからいいって事もあるしな。あ~あ。アメリカ行きたい!