歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「小栗判官」 おぐり はんがん

2011年10月03日 | 歌舞伎
古い伝承に基づいた「おぐり」という古浄瑠璃がまずあります。
その中のエピソードを歌舞伎の「お家騒動もの」の定番の展開の中にはめこんで、モザイクのようにつじつまを合わせたのが、
歌舞伎版の「小栗判官」です。
当然ですが、客が「おぐり」と「お家騒動歌舞伎のお約束展開」両方について熟知していることを前提にこの作品は書かれています。
なので両方についての知識がないと、この作品で何がやりたいのかわかりにくいだろうと思います。

一時期上演がとだえていたものを、先代の市川猿之助が復活上演した、と認識しております。

原型の古浄瑠璃版の筋を書きます。
めんどくさい方は、スクロールして、「☆☆☆」のところからお読みください。一応内容は把握できるかと思います。

もともとは、古浄瑠璃よりも古い、旅の僧の門付け芸である「説教節(せっきょうぶし)」で語られていた作品であり、
おそらくは複数の伝承が融合してひとつの長い作品になっているのだと考えられます。
中世庶民のほの暗い世界観や娯楽意識がかいま見えます。


舞台は平安中期です。
都の二条の大納言の息子の小栗(おぐり)は、鞍馬の毘沙門天に祈ってさずかった子で、文武両道のハイグレードな若者ですが気性が激しいです。
ある日鞍馬山に詣でる途中で池の大蛇に見そめられ、女身に化けた蛇を知らずに妻に娶り、都のうわさになります。
蛇とはこれっきりです。とくに蛇は以降のお話には絡みません。
父は怒って小栗を所領のある常陸の国(群馬のへん)に流します。ここまでが発端です。

大納言の息子である小栗は、常陸でも厚遇されて楽しく暮らします。
以降、舞台は北関東です。

ある日やってきた旅商人の後藤左衛門(ごとうざえもん)が、
武蔵の国の相模(東京神奈川あたり)の横山という豪族の娘の、照天(てるて)姫の美しさを語り、小栗は恋をします。
後藤左衛門がいろいろ工夫して照手姫に手紙を取り次ぎます。
機知と教養にあふれた手紙のやりとりのあと、小栗は照天姫の家に向かいます。
先方の横山氏は戦闘的な関東の豪族ですので、きちんと親を通せという後藤左衛門の忠告を聞かず、
小栗はよりすぐりの部下10人だけを連れて横山の館に忍び込み、照天の部屋に行き、結ばれます。
すぐに親にバレます。

怒り狂う横山、長男は諌めますが聞きません。
三男の入れ知恵で、横山は、小栗を婿として認めるフリをして酒宴にまず呼び出し、
まったく制御できずに閉じ込めてある、巨大な人食い馬を乗りこなして見せろと難題を出します。
馬に喰い殺させようとしたのですが、小栗はやすやすと馬を乗りこなして曲乗りを見せます。
驚く横山一家。

これで小栗は婿だと認められたことになるので、そのまま照天姫を連れて家に帰ればよかったのですが、
ついうっかりそのまま滞在してしまった小栗。

翌日、照天姫が夢見が悪いと泣いて止めたのも聞かずに、また横山父子に呼ばれて宴席に出向き、
部下10人とともに毒殺され、埋められます。
小栗の妻になった照天姫も、木の牢輿に入れられて淵に沈められます。

照天姫に同情した家来が重しの石を切ったので、照天は沈まずに流されて「ゆきとせが浦(場所不明らしい)」に付きます。
村君(村長)は美しい照天を気に入って養女にしようとしますが、その妻がこっそり照天を人買いに売ります。
照天は、だんだん値上がりしながら売られに売られて、美濃の国(岐阜)青墓(あおはか)の、
万屋(よろずや)という遊女屋に売られます。

余談になりますが、ここの描写で、当時の遊女屋がりっぱな建物で、遊女は「姫君」と呼ばれ、十二単を着ていたことがわかります。
遊女がもともと平安期の姫君や女房たちが没落したもので、初期は社会的ステイタスのある客しか取らなかった、という成立事情がうかがわれて興味深いです。

死んだ夫に操を立てて遊女になることを拒んだ照天は、「常陸の小荻(ひたちのこおぎ)」と名付けられ、下働きをさせられます。
ひとりで100人の遊女たちの世話をする重労働の日々が、3年続きます。
千手観音が照天姫を守ります。
照天姫の出身地は「相模」なのですが、「常陸小荻」と名乗ります。
これは夫の住まいのある「常陸」を自分の出身地だと申告したからです。愛です。

照天姫ががんばっている間、
毒殺された小栗は、10人の家来とともに閻魔の前に行きます。
小栗は乱暴ものだったのであまりいいことはしておらず、地獄に落ちることになりますが、
一緒に死んだ10人の家来が自分の身に替えて小栗の助命を願います。
感動した閻魔は小栗の命を助けます。
しかし生き返った小栗の肉体は、横山に盛られた毒で骨も皮膚も溶けたままの、
しかも埋められて3年たった、ボロボロの肉体です。目も見えず耳も聞こえず、口もきけません。
閻魔が「このものを熊野の薬湯に連れて行って湯に入れろ」と札をつけます。
来合わせた藤沢の高僧、藤沢の上人(しょうにん)も「引くと、千人、万人の僧に供養してもらったと同等のご利益がある」と札に添え書きをして、
小栗を土車(つちぐるま、台車みたいな粗末な車)に乗せます。

小栗は藤沢(神奈川県藤沢市)に埋められていたので、生き返ったのも藤沢の墓場です。
ここから、小栗はいろいろな人に少しずつ車を引いてもらって、藤沢から東海道を西に向かい、
京、大阪を経て熊野の山に至ります。
中世の古い古い伝承の集大成だと思います。
実際に、こうやって車に乗せられて、一るの希望を胸に、万難を排して霊湯を目指した皮膚病の患者や障害者はたくさんいたと思います。
それらのものがたりが、この「おぐり」に集約しているのだと思います。
このモチーフは、また、この後の「しんとく丸」(歌舞伎で「摂州合邦辻(せっしゅう がっぽうがつじ)」その他の諸作品に引き継がれていきます。


さて、餓鬼のような姿の小栗は、熊野に至る途中で、美濃(岐阜県)の青墓の宿を通ります。
そう、照天姫が働いている場所です。
ひどい姿の病人が小栗だとは当然気付かない照天ですが、「引くと千遍供養、万遍供養」とあるのを見て、死んだ小栗のために車を引きたいと思い、遊女屋の主人に3日休みをくれと頼みます。
断る主人ですが、いつか、何か困ったことが起きたら、私があなたがた夫婦の身替りになりましょう、という照天のけなげな言葉を聞いて感動し、
5日の休みを与えます。美しい場面です。

照天姫は道行くひとびとにちょっかい出されないようにわざと顔を汚して狂女のような格好をして、小栗の車を引きます。
美濃から4日かけて、京都のそば、関寺(せきでら)まで引きます。1日で走って戻ります。
この口もきけない病人が小栗だとは気付かない照天姫ですが、離れがたい気持ちになって別れを惜しみ、
小栗が首から下げた例の札に自分のことも書き付けます。

ここからまたいろいろな人の助けで小栗は熊野の霊湯に至り、見事に回復します。

元気になった小栗は都に登り、親をひと目見ようと自分の実家に行きます。
いろいろあって息子だと名乗ることになります。信じなかった父親の大納言ですが、一子相伝の荒業で小栗を試します。
ふすま越しに自分に向かって射られた矢を、3本同時に両手と口とで受け止めるのです。
見事矢を受け止めた小栗は、父子の対面をし、父は小栗を帝の前に連れて行きます。
めでたい奇跡を喜んだ帝は、小栗に近畿地方の五ヶ国と、小栗が望んだ美濃を所領として与えます。

小栗の流浪ものがたりとしては、これで終結です。
残りは、ここまでの登場人物の処遇にかかわる部分です。
流浪の貴公子がいろいろな目に合いながら権力者の前に行き着き、もとの身分と権力を与えられる。
以前の土地に戻って関係者に賞と罰を与える。
これは、古浄瑠璃のひとつの典型的な流れです。よく知られた「さんしょう太夫」も、このパターンの物語のひとつです。

まず小栗は美濃、青墓の、常陸小荻(照天姫)のいる遊女屋に泊まり、自分の車を引いてくれた常陸小荻が照天姫だったと知ります。
照天姫を3年間こき使った宿の主人は、殺されると思ってびびりますが、
小栗の車を引くために5日の休みをくれた主人の優しさを照天姫が語ったので、
主人は、逆に美濃の国の国司の職(ざっくり)を与えられます。

この「怒られると思ってたら、ちょっとした心遣いのおかげで助かって、逆にほめられた」というのも、
古浄瑠璃の「賞罰」の定番です。
当時の厳しい暮らしの中、そうそう誰にでも親切にはできないでしょう。
でも、優しい心を失わずに生きることで、自分が救われることもある、ということだと思います。味わい深いです。

大軍を率いて相模に至った小栗は、自分に毒を持った横山一家を殺そうとしますが、
父親を殺すに忍びない照天姫が助命を願い、父親は助かります。父親にいろいろ吹き込んだ三男が殺されます。
他、関係者もいろいろ賞罰を受けます。

小栗本人や照天姫は、死後、それぞれ神として祀られます。
というか、「正八幡(しょうはちまん)の神はもともと人であり、それが小栗である」からお話を説き起こしているので、
小栗が正八幡になって祀られて、ストーリーは完結です。



  ☆☆☆ 歌舞伎の解説ここからです ☆☆☆

歌舞伎の「小栗判官」で使われているのは、この中の、主に

・「荒馬を乗りこなす」
・「病気になって動けない小栗を車に乗せて、それを照天姫(てるてひめ)が引く」

だいたいこのへんです。完全に見栄え重視です。

また、原作とは違って悪役の横山大典(よこやま たいてん)は照天姫(てるてひめ)の父親ではありません。
姫の父親を殺してお家の秘宝を奪い、家督横領を狙う悪人の叔父という設定です。
「お家騒動」にしなくちゃならないからです。
これを小栗判官(おぐりはんがん)が助けに来る設定です。
女装して館に入り込み、横山の難題に応じて荒馬を乗りこなします。
碁盤に乗ったりする曲乗りが、作品中最大の見せ場です。

照天姫は何とか城を脱出、ここで船に乗って逃げる場面は歌舞伎にしかない場面ですが、いい場面です。
あちこち旅をして、美濃の青墓の宿屋(遊女屋ではない)、萬屋(よろずや)で下働きをしています。
照天姫を探す小栗も、知らずに萬屋に来ます。

ここで定番の展開になり、宿屋の娘のお駒ちゃんが、身分を隠した小栗に惚れます。
ここには偶然、探しているお家の秘宝「勝鬨の轡(かちどきの くつわ)」もあります(定番)。
「お家の重宝(ちょうほう)」がストーリーに絡むのも「お家騒動もの」の鉄則です。

秘宝をゲットするてっとり早い方法として、お駒ちゃんと結婚して宿の婿になることを了承した小栗(定番)、
なのですが、小栗は下働きの女性が照天姫なのに気付きます。本命登場!!
小栗は速攻でお駒ちゃんとの結婚を断ります(定番)。
怒り狂うお駒ちゃんををしかたなく小栗は斬り殺します。
お駒の怨念で小栗は足腰立たなくなり、皮膚病になります。

というかんじに、小栗が病人になるまでの経過が元作品とはずいぶん違います。
歌舞伎なので「お姫さま」と「庶民の娘」両方出して、主人公と三角関係にする必要があるからでしょう。

ふつうは庶民の娘は自害して身替り首になるか、尼になって身を引くのが定番で、
ここまで祟るような展開にはなりませんが、
「小栗」である以上、小栗を病気にして車に乗せて照天姫が引っ張る絵面が必要なので、こうなります。

あとはわりと単純で、照天姫は熊野まで小栗を引いていき、そこで横山一味に見つかって絶体絶命になりますが、
熊野の上人(しょうにん、えらいお坊さん)の霊力のある護符のおかげで助かり、
元気になって横山一味をやっつけます。
終わりです。

というように、
原型の「おぐり」がすばらしすぎるのと、馬の曲乗りの場面が有名なのと、
「病人になった主人公を乗せた車を、ヒロインのお姫さまが一生懸命ひっぱる」という、後続作品にも影響を与えた名場面がある、
これだけで現代まで残った作品であるとも言えます。
お家騒動ものとしては、定番すぎて凡庸かもしれません。

それぞれの有名シーンの華やかさと、完全に歌舞伎風俗に描き変えられてはいますが、底に流れる中世の伝承の雰囲気、
そして、「お家騒動もの歌舞伎」らしい、重厚かつ荒唐無稽な独特の雰囲気を楽しんでいただければと思います。


=50音索引に戻る=


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (愛知)
2011-11-02 15:05:28
見に来てね(´∀`)
返信する

コメントを投稿