歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

『梅ごよみ』

2007年10月15日 | 歌舞伎
江戸後期に大人気だった恋愛ものシリーズ「梅児誉美(うめごよみ)」の舞台化作品です。昭和2年初演。
「こよみ」を「児誉美」と書くのは、まあ、当て字です。あまり意味はありません。
江戸時代はそもそも「漢字」と「かな」の区別がまだかなり不明確なので、意味を無視した当て字は非常に多いのです。

一応原作が「梅児誉美」でお芝居は「梅ごよみ」だと思います。

で、ストーリーそのものはたいして複雑ではないので見ていればわかると思います。昭和2年初演の新作ものですし。
ようするに男ひとり←ムスメ3人の恋愛バトルものです。これに「お家の重宝を探す」みたいな設定がからみますが、これは原作にはない部分な上にけっこう展開にムリがあり、いい出来とはいえません。
なのでその部分はちょっとわかりにくくても流して見てくださって大丈夫です。四角関係をややこしくするためにてきとう書いたと思っていただいて、大きな間違いはありません(笑)。

ところで、この作品はお芝居だけ見ても、まあ芸者さんの姿はキレイだけど、どこが面白いのかわりと伝わりにくいんじゃねえかと思います。
なのでちょっと説明します。原作との関係とか当時の遊郭の雰囲気とか。
読まなくてもお芝居の内容はわかると思いますが、まあまめ知識です。

とりあえず、「遊女」と「芸者」の違いとか遊郭のシステムとかなのですが、
明治以降の花柳界には「芸者」しかいないので、このふたつのイメージが「芸者」の名のもとに混在、
江戸の「遊女」と「芸者」の区別がわからなくなりつつあります。

細かいシステムや街による違いなどを書き出したらキリがないのでだいたいです。
いわゆる「色を売っていた」のが「遊女」です。
一日、または半日いくら、なのですが、これはお座敷で食べたり飲んだり、たのしくおしゃべりしたり、の拘束料にあたります(諸経費別途)。
で、夜になって、おふとんで待っていても遊女がなかなか来なかったり、来ても「都合が悪い」だの「持病の癪が」だの言ってさせてもらえないことがあるのですが、無理強いしてはいけない決まりです。
もちろん、できなかったといってもお客が払うお金は変わりません。
まあ、あまりワガママぬかすとお客さん来なくなりますから普通は遊女もそれなりのサービスをしますが、「いたす」のは義務ではないのです。
「させない」のを「ふる」と言います。

江戸時代の「売色」を、今のソープランド等のイメージで見るのは、かなりムリがあります。
むしろクラブのホステスさんや、アイドルタレントのような面が強かったと思います。

で、「芸者」というのは文字通り「芸をする」人です。三味線を弾いたり義太夫を歌ったり、踊りを踊ったりします。プロの遊芸者です。
彼女らは遊女のように売色はしません。
当時出回っていた遊郭ガイドブックを見ると、遊女=一日いくら、芸者=一日いくら、のように並べてお値段が書いてありますが、これはあくまでお座敷での拘束料です。
「遊女」だけ呼んでも間がもたないので、「芸者」も呼んで歌ったり踊ったりしてもらうのです。ベットインの時間になると芸者は帰ってしまいます。
では「芸者」といたしたい時はどうするかというと、一定の契約料を払って交渉して、「愛人」にするのです。
売れっ子の芸者はお座敷だけでそれなりに稼げますから、金をつんでも、相手が気に入らないと愛人にはなりません。
今の、芸能人や女優さんをお金持ちが愛人にするような状況がかなり近いかと思います。
もちろん街のランクや遊女のランクによって事情はずいぶん変わりますが、吉原深川あたりの高級遊女街の事情を「売春」で片づけるのは、少し(かなり)違うということです。
チナミに「遊女」についても、ひとつの街で男が指名していいのは、ひとりの遊女、と決まっていました。行くたびに違う店に行って違う遊女と遊んではいけなかったのです。一度「なじみ」になった遊女と別れて違う遊女と遊びたいときは、客の側から一定の「手切れ金」を出さなくてはならないシステムでした。
現代のように時間いくらでセックスするシステムとは、全体にずいぶん違うのです。

さて、「吉原」は官許遊郭でしたから「遊女」も「芸者」も普通にいます。

非官許の遊郭を「岡場所」と言いますが、そこも「酌婦」の名のもとにかなりおおっぴらに「女郎」がいました。もちろん「芸者」もいました。

で、深川です。吉原と並ぶ一大遊興街ですが、ここは深川八幡宮の門前町なのです。
というわけで幕府もけっこううるさく、深川ではあまりおおっぴらに「酌婦」も置けませんでした。
という事情から、この街では「芸者」たいへん多く、しかもかなり売色したのです。
とはいっても「遊女」のように「お座敷」=「ベットイン」というわけではなく、あくまで非公式に、個人的にエッチするのです。
だから何度かお座敷に呼んでなじみになって、芸者のほうからも好意を持ってもらわないと、なかなか出来ませんでした。
こうやって「芸者」とエッチできる関係になるのを「おとす」と言います。
完全に客と恋人関係になった遊女を、「おっこち」と言います。「○○吉(遊女)は、×五郎(客)の「おっこち」だ」みたいに使います。

とにかく「気位が高く、意地と張りで男をふりつける」のが深川芸者の「売り」だったわけですが、実際、深川は高級遊興地でしたから芸者のレベルも高く、そうそう手が出せるものでもなかったようです。
もちろん、稼ぎの悪い芸者さんの中にはどなたとでもほいほい「いたす」かたもいたでしょうが(見ず転、相手を見ないで転ぶ、という)、
当時の深川の遊客たちは、人気のある、態度のでかい(笑)芸者を「おとす」ことを手柄にして、いっしょうけんめい通ったのです。

深川芸者は「羽織芸者」、略して「はおり」とも呼ばれました。
男のように羽織を着てお座敷に出たからですが、これは「売るのは芸だけ、羽織の下は売らない」という彼女らのプライドをあらわしていました。
登場人物の芸者たちは「米八(よねはち)」「仇吉(あだきち)」と男名前ですが、深川の芸者はみんなこうでした。これも彼女たちの「意気と張り」、きっぷのよさの象徴です。

もちろん、顔や肉体だけを目当てにせず、彼女らの芸事のレベルの高さを鑑賞して楽しめる教養と素養が客の側にあったからこそできたハナシです。
歌舞伎役者ですら、「顔だけ」でメシ食ってるのがいる昨今とは状況は全く違います。

それはそうとワタクシ、一応原作読みました。ヒマですか。
あれは「「梅児誉美」シリーズ」とも呼ぶべき一連の作品群で、この作品でチラっと出たキャラクターが次の作品で主役に、みたいな感じでオムニバスっぽく数本のストーリーが並んでいきます。
お芝居の『梅ごよみ』は、ほとんどの部分が第一作「梅児誉美」ではなく、第二作の「春色辰巳園(しゅんしょく たつみのその)」がモチーフです。
「辰巳」、つまりお城の辰巳(東南)方向にあった深川遊郭の別称ですね。
鹿はいません。
チナミに第一作の「梅児誉美」の舞台は、吉原と深川が半々です。「梅暦」シリーズ=深川ネタ、というわけではないのです。

で、原作のイメージでは、そもそも深川芸者の正しい意地の張り方は、
「あんな男でよかあ、くれてやらあノシ付けて、持って行きなァ」です。
プライドが高く、気前がよく、男なんかものの数ではない、というタテマエ上、そうなります。
カレシが恋敵があつらえた羽織を着ていても、それをひんむいて泥水にぶち込むような泥臭い真似はしないのです。

したがって、むしろ原作「梅暦」のテーマは、「さしもの深川芸者も、本気で男に惚れると素人娘同然のみっともなさだ」
というそのギャップにあると思います。
初演が昭和2年だっけ?江戸も深川の意気も遠くなっていますから、「素人娘同然の痴話喧嘩」で「深川芸者の意気と張り」を見せる、という少々トンチンカンなことになっているのだと思います。
とはいえ「痴話喧嘩」以外の部分での「意気と張り」は深川芸者っぽいと思いますので楽しんでください。

深川芸者が出る、他に有名な作品というと、河竹黙阿弥の『八幡祭小望月賑』(はちまんまつり よみやのにぎわい)と、この作品の書き換え狂言『名月八幡祭』とがあります。
ここに出てくる「美代吉」は、金遣いもあらく、ワガママで、いいように男をふりまわすとんでもない女です。男はみんな不幸になりますよ。
こっちのほうが「深川芸者」のイメージとしては本当は正しいのかもしれません。

ところで登場人物の年ですが、お芝居ではかなり若くなっているのですが、原作では米八や仇吉、はハタチ前後、丹次郎は21.2、逆にお蝶(前半ではお長と書かれている)は14歳です。言動もかなり子供っぽく描かれ、着物も「肩上げ」したのを着ている設定です。
お芝居年齢というのは特別なものらしく、どうも当時の現実とはずいぶん違うようです。
ワタクシも「当時全盛の花魁高尾太夫が16歳」なんてのを信じてたのですが、「梅児誉美」シリーズのキャラクターの年齢を見ると、今とあまり感覚は変わらない気がします。
30すぎてもまだまだ「いい女」です。お芝居に書かれたことを信じてはいけないのです(笑)。

また、お芝居だとお蝶ちゃんがイキナリ丹次郎をぶんどっちゃう展開になっていて意味不明ですが、
お蝶ちゃんは、原作だとかなり目立ちます。いろいろひどい目に会いながら、丹次郎のために一生懸命がんばって彼を助けるのです。主役あつかいです。
というわけで、最後、お蝶ちゃんが奥さんになるのは原作では全然違和感ないです。
で、当時は「アリ」だったさばきかたで、米八と仇吉は「お妾」になります。
そんなの男の都合じゃん、と言われそうですが、「梅児誉美」やそれに類した作品群の主読者層は若いムスメですから、ムスメたちもそのラストでオッケーだったようです。
ていうか3人はとても仲良くなります。
男が3人の女を手に入れる、というよりも、女3人で気に入った男を共有する、という図式に見えます。
思えば源氏物語のころからこの図式は女性に支持され続けてきたんですよね。
こういう雰囲気や細かい事情が説明しきれないのは、お芝居の限界でしょうね。

あ、着物のほつれを縫うシーンもありません、ていうか丹次郎入れ墨してません。いろいろ違いますよ。

というわけで、
明治のころだとまだまだ「梅児誉美」原作がポピュラーだったと思うので、
本当はこれは
「原作知ってる」ことを前提に、役者さんがそれぞれのおなじみキャラクターを演じてみせるのを見て楽しむ、だけのお芝居だと思います。豪華「梅児誉美ショー」という見かたもできると思います。
ストーリーの整合性は、だからてきとうかと。
ある意味「原作浄瑠璃の内容を把握していないと意味わからない、時代もの狂言」とノリは同じですね。

このお芝居、普通は「木村鏡花」というかたの脚色になっていますが、上演されてはいないのですが黙阿弥も一度この作品を脚色しています。
たぶん、この現行上演作も黙阿弥版を下地にしているのではないかと思います。
なぜなら、原作の第一作「春色辰巳園」に出て、このお芝居のストーリーだと本当は出さなくていいと思われる「千葉藤兵衛」という人物が出ているからです。
この人は、当時とても有名だった実在の大金持ち「津の国屋次郎」、略して「津藤」がモデルでしょう。
「今紀文(今の紀伊国屋文左衛門)」と評判を立てられたほどの大金持ちで、教養もある趣味人、人柄もよく、当時の花柳界や文化人達の一大パトロンでした。
売れないころの黙阿弥もずいぶんかわいがられたのです。
この人をムリクリ登場させるあたり、義理堅い黙阿弥くさいのです。昭和くらいだともう流行らなかったに違いない、「お家の重宝○○の茶入れを探す」という設定も黙阿弥っぽいです(笑)。
というわけで黙阿弥の脚色したストーリーを下地に、現行上演台本が書かれたのではないかと思います(黙阿弥版読んでないので想像)。

川のセットがキレイです。
原作にはないシーンです。深川遊郭には陸路では普通行かず、大川(隅田川)端から舟で行くのです。遊郭に行くのに乗合船もねえですから、貸し切りの小舟で優雅に。そういう風情も「辰巳通い」の粋の象徴です。
という雰囲気を舞台に乗せるための凝った演出ですよ。
上述の「名月八幡祭」というお芝居でも、やはり舞台一面川で、花道まで船で通る深川芸者の美代吉に主人公の新助が一目惚れするシーンがあります。「深川芸者」が出るお芝居の定番演出と言っていいと思います。
ほかに水と船をうまく使ったお芝居には「隅田川花御所染(女清玄)」というお芝居があります。機会があったら見てみてくださいね。

=50音索引に戻る=



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
参考になります (六条亭)
2017-02-04 18:19:48
いつも詳細な解説、ありがとうございますm(__)m。参考になります。

蛇足ながら現行舞台の脚本は「木村錦花」ですね。失礼しました。
返信する

コメントを投稿