歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「神霊矢口渡」 (しんれい やぐちのわたし)

2006年12月02日 | 歌舞伎
「神霊矢口渡」 (しんれい やぐちのわたし)

ホントにねえ、これだけは、浄瑠璃聞き取れればどんなに楽しいかというシロモノなのですが、
いたしかたありません。

「えれきてる」の発明で有名な「平賀源内(ひらが げんない)」がの作品、ということでも有名です。
平賀源内については下の方でちょっと書きます。

近松門左衛門や半二のような文学性の高い名文ではありませんが、
たいへんリアルに人物の気持ちを語っている内容で、胸にせまります。
よろしければ古本屋さんで文字になったのを探して読んでみて下さい。「名作歌舞伎全集」とかに載っています
(ブックオフには売ってない)。

「太平記もの」というジャンルです。
太平記の南朝がたの猛将、新田義貞(にった よしさだ)はそれなりに名前も知られていると思いますが、
これはその息子、義興(よしおき) 義峯(よしみね)という兄弟のものがたりです。
アニキの義興は当時の執権、北朝の足利尊氏(あしかがの たかうじ)との戦の途中で矢口の渡を舟で渡ろうとしたとき、
足利尊氏のの策略で渡し守に舟を沈められて死にます。お城も落城します。

なおも弟の義峯(よしみね)を探して殺そうとする足利尊氏。
京都にいた義峯は関東に逃げます。関東のほうが味方が多いので。
恋人の傾城(けいせい、高級遊女さんです)、臺(うてな)さんと共になんとか関東にたどりついた義峰は、
「矢口の渡」の渡し守の家に一夜の宿を求めます。そう。お兄さんが死んだ場所です。

舞台になるのは渡し守の頓兵衛(とんべえ)さんのおうちだけですが、
家のセットがぐるぐる回っていろいろな部屋が出てきて場面が変わるので楽しいです。
ていうか、現行上演ではかなり貧乏そうな家のセットなのですが、
頓兵衛さんは渡し守とは思えないお金持ちという設定で、家もちゃんとりっぱな御殿だと浄瑠璃の文句で言っているのに、
何でこんな貧乏臭い演出なのかいつも不思議です。
まあ鄙びた場所に鄙びた家のほうがわかりやすいですけどねー。

前半部分からていねいに出すと、

お金持ちなのに頓兵衛さんは性格が悪くて使用人が居着かないからお嬢様のお舟ちゃんが水仕事、とか
使用人の六蔵(ろくぞう)がお舟ちゃんに言い寄ったりとか、
頓兵衛は剛気で博打打ちな性格で、それはそれで魅力的だったりするところとか、
昔、新田義興をだまして殺したのは俺だ。そのとき金をもらってこんなに金持ちになったんだ、
みたいな重要事項がいろいろ語られるので、
ここ出したほうが後半がわかりやすいと思うのですが、
あと、
足利勢がすでに新田義峯がここにいるのをかぎつけてを探しているとか、捕まえたときの合図がこういう具合に決まっている、とかも、
ここで一度聞いておいたほうが後半で楽なのですが、
今は全部カットです。

南北朝時代についての歴史知識や、ここまでの具体的な展開がわからないと結局付いていけないので、
いっそ全部カット、となったのだと思いますが、
前半がないと、ドラマとしてはあまり盛り上がりません。

なので、今は後半部分のお舟ちゃんがメインの、
「所作(しょさ、踊りね)」に近い舞台だと思ってご覧になったほうがいいのかもしれません。
最後のほうが「人形振り(にんぎょうぶり)」になることも多いです。
人形振りというのは、後ろに「人形遣い」役の役者さんが出てきて、役者さんが文楽のお人形のように動くという演出です。
人形振りも、ドラマの中で見るからもりあがるのだとワタクシは思いますが、
今はその部分をショー的に見せるようなお芝居になっているとも言えます。


現行上演の出だしから書きます。

新田義峯が 矢口の渡に着いたところから始まります。
恋人の臺(うてな)さんも一緒です。
「ここが兄上の死んだ場所か」ということで回向の念仏をとなえるシーンとかあります。
夜は渡し舟が出ないので、渡し守の家に一晩泊めてもらおうとします。頓兵衛さんは留守です。
旅人は泊めないことになっているので断ろうとして出てきたお舟ちゃんは、美青年の義峯に一目惚れ。
いそいそ家に招き入れますよ。
当然一緒に臺さんも付いて来ますが、ここではスルーします。

新田は、清和源氏の嫡流である名門の家柄です。
今回も南北朝の戦に南朝方として参加していますが、帝のために朝敵を滅ぼす、という目的と同時に、
これは、清和源氏のプライドをかけた戦なのです。
で、その新田の紋が入った白旗を義峯は持っています。
これは新田の家のシンボルなので神聖なものなのです。

さてお舟ちゃん、家にお金はいっぱいあるけどイナカ娘だから義峯みたいなキレイな男の子見たことありません。
ウキウキドキドキ気もそぞろ。
でもあの女のヒトは誰かしら、妹ならいいけど奥さんだったらどうしよう、とか恋する乙女っぷりバクハツですよ。

義峯が、臺(うてな)さんが癪を起こしたので薬を飲むお湯をもらいにやってきます。
「癪(しゃく)」というのは急な腹痛の総称です。ストレスがかかったときは寒いときなどになります。
もじもじしながらたいへんわかりやすく義峰にアタックするお舟ちゃん。がんばれ。
なんというか、リアルな「今どきの子」という雰囲気が出ていて楽しいです。

一度は断る義峯ですが、一生懸命せまられて、ついに承諾。ふたりは抱き合いますよ。
と、急に二人は意識を失って倒れてしまいます。
あとで浄瑠璃とセリフで説明が入りますが、どうせ聞き取れねえので書くと、
お舟ちゃんの父親の頓兵衛が新田義興(よしおき)を殺したのです。
つまりお舟ちゃんは義峰にとって兄の仇、さらに言うと新田一族のカタキの娘になるのです。
なので、義峰が持っている神聖な源氏の白旗が、お舟ちゃんを嫌います。二人が仲良くするとバチがあたるのです。

義峰を心配してやってきた臺さんが、気付いて義峯のフトコロから旗を取ると、二人は息を吹き返しますよ。

義峯は渡し守にしては豪華すぎるこの家がアヤシイを思っており、
何か聞き出そうと思って娘のお舟ちゃんになびいたフリをしていたのですが、やはり新田の敵でしたか。
夜が明けたら早々に出ていこう、と話し合って二人は退場します。
ていうかこのあと二人、出番ありません。

下男の六蔵(ろくぞう)が登場します。
このかたも、前半を出すと、主人の目を盗んでお舟ちゃんにせまるシーンなどもあって人物描写がわかりやすく、
本だけ読むと「主役このヒト?」てくらいのイキオイで目立つ役なのですが、
今の出しかたですと、芸達者な役者さんが無難にまとめる、「端敵(はがたき)」の典型的な役ですよ。

旅人のふたりが義峯と恋人の臺だと知った六蔵は、ふたりがいる奥の部屋に行って二人を殺そうとしますが、
お舟に止められます。

「六蔵いのう」と甘えて、男ゴコロを逆手に取ったお舟ちゃんの決死のテクニックにころりとだまされてた六蔵は、
やっぱり頓兵衛に知らせることにして出ていきます。

お舟ちゃんは何か考えがあるらしく、真剣なオモモチで奥に行きます。がんばれ。

父親の頓兵衛が登場します。
扉に錠がおりているので、刀で壁を破ってバリバリと入ってきますよ。
何でも力ずくで解決する乱暴な男です。
現行上演ではここが頓兵衛の「出」ですので、怖さや乱暴さを十分に見せてほしい場面です。

ふたりが寝ているのは「亭座敷(ちんざしき)」です。小さな別棟の座敷のことです。
ふたりがいる部屋は、中二階になっています。
相手はお侍です。手向かいされるとイヤな頓兵衛は、座敷の下から刀を突き立てることにします。
手応えアリ。
2階に上がってふとんをまくってみれば、刺されているのは娘のお舟ちゃんです。
こりゃどうじゃ。

お舟ちゃんは、自分が身代わりになって義峯を逃がしたのです。
これは父親にもう悪いことをさせないためと、自分が本気で相手の事を好きだと義峯にわかってもらうためです。
父親とひとつココロじゃないなら、今世ではダメだけど、来世では一緒になってくれるって言ったんだもん義峯さまが。
当時は「夫婦は二世の縁」というのが信じられていたので、「あの世で一緒になろうね」というのはわりと説得力のある約束だったのです。

ここでお舟の「口説き」になります。
「口説き」というのは本来はもちろん女性が男性に色っぽく迫る場面のものですが、
相手に心情を一生懸命訴えるような演技一般も「口説き」といいます。

で、「お前はな、お前はな、」と父親の罪行の恐ろしさを説きます。
好きな殿方と一緒にも慣れないのもあんたのせい。
自分の後生のためにも、娘のためにも、ココロを入れ換えてくださいな、
と命を懸けて頼むお舟ですが、フツウなら悪人も改心する場面ですが、
この頓兵衛はいっかなココロを動かされず、娘を叱りつけて義峯を追って行きます。鬼のような男です。いっそすがすがしいです。

さて、足利方の部下、義峰を追っている竹沢監物(たけざわ けんもつ、悪役)との合図はすでに決まっています。
ふたりを見つけたらノロシを上げます。大勢が出動して二人を捕まえます。
ふたりを捕まえたら、もう捕り方はいりませんから座敷の軒にかかっている太鼓を叩きます。ドンドン。
そうすると捕り方はみんな解散しておうちに帰ります。

ノロシを上げる頓兵衛。さあ捕り物だ、と張り切って退場です。

困ったお舟ちゃん。
そうだ、太鼓を打てばいいんだ。そうすれば追っ手の囲みは解けますから義峯カップルは無事に川を渡れます。

このへんから「人形振り」になります。
太鼓はお屋敷の屋根のへんの櫓(やぐら)の上にあります。
お舟ちゃんは刺されて重症ですから、もうああまり動けないのですが、がんばってはしごをのぼります。

こういう瀕死の状態なのに物に憑かれたように必死で動く状況や、
実際に物に憑かれているような、通常でない精神状態を描くときに、「人形振り」という演出は有効なのです。

さらにお舟ちゃんの身長では太鼓に手が届かず、重傷を負いながら一生懸命飛び上がっては太鼓を叩くお舟ちゃん、
外で見張っていた六蔵があわてて止めに入ってきますが、
六蔵の刀を抜いて斬りつけたり、逆に斬られたりしながらお舟、刀の鞘で太鼓を叩きます。ドンドンドンドン。
最後はふたりとも死んでしまいますよ。

お舟ちゃんのお話はこれでおわりです。

このあと、義峯たちを追って舟で川を渡ろうとする頓兵衛の胸に白い矢がイキナリ刺さって、頓兵衛が死ぬシーンが付きます。
因果応報というかんじです。
この矢は全段通すと出てくる重要アイテムで、南朝の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が新田義興に与えた矢です。
本当は「水破、兵破(すいは、ひょうは)」の2本なのですが、現行上演の段取り上1本しか出てきません。まいっか。

というかんじです。


頓兵衛や六蔵、ていうか本来の主人公の義峯や臺の人間ドラマは殆ど脇にどけられていて、
お舟ちゃんを楽しく眺めるような演出が今の主流だと思います。
基本設定がわからないとちょっと流れがつかみにくいですが、ストーリーは単純ですので、
細かいところは流すかんじで動きを楽しんでご覧になるといいと思います。



↓以下 読まなくてもご観劇に支障はありません。トピックスです。

全段通して読むと、オーソドックスな展開の時代物です。
そして、もとは歌舞伎作品ではなく、文楽(ぶんらく、人形浄瑠璃のあれ)作品です。
「平賀源内」の作であるという話を冒頭でしましたが、源内は江戸の人なので、江戸で作られた文楽作品です。
文楽は上方で盛んでしたから、代表的な作者もみんな上方にいます。そういう意味でもこの作品はめずらしいです。
新田一族が題材だったり関東地方が舞台だったりするのも、江戸の客を意識してのことでしょう。

さて、この作品は「オーソドックスな展開の時代もの」であることはたしかなのです。
なので「新田義興の幼い子供を救うために家臣が子供の首を身替わりにする」という定番の展開も出て来ます。
ただ、ここで助けられた奥方が、
「忠義だけではここまでできないだろう、自分たち親子を思ってくれるその真心が本当にありがたい。
主君としてではなく一個人としてお礼を言う」
というようなことを言います。

家臣の犠牲を単純に「忠義」としてとらえ、主君は「主君として」単純に感謝するのがあたりまえの上方浄瑠璃では
あり得ないセリフだと思います。

この事情を考えると、上方という土地は、よく考えるとお侍があまりいない土地なのです。
「武士道」がテーマの時代浄瑠璃を量産した上方浄瑠璃ですが、
あれは実際の「侍」や「武士道」に接したことがない人たちの、全部イメージの中のものだと思います。

江戸は侍だらけですから、実際の侍の美意識を肌で知っていたでしょう。
そういう部分が、江戸産のこの浄瑠璃の、他作品との差になっていると思います。

理系の発明家、平賀源内だから、古典的な封建意識にあきたらず、より深い善意を描こうとした、
という部分もあると思いますが、それもまた江戸の自由な美意識があってこそのものかもしれません。

というわけで、平賀源内なのですが、この作品の作者としての名前は「福内鬼外」と言います。てきとうに付けたろ!!

もちろん町の発明家のおっさんがイキナリ本格的な文楽作品を書いたわけではなく、
もともと源内は、発明家というよりは、江戸でちょっと有名な文化人だったのです。
当時の「文化人」と言われるかたがたは今のマスコミ「文化人」とちがって、ちゃんと「教養人」です。
だいたい故事来歴にも詳しく、狂歌もひねれば義太夫のひとつくらいはうなるのです。
というわけで、平賀源内の、より有名なペンネームは「風来山人」といい、この名前で岩波の古典文学大系にも作品が収録されてるくらいに、「物書き」としての実績があります。
ジャンル的には「戯文」とかいうのになり、古典のパロディーなかんじで下ネタを含んだ楽しい文章を書くものです。

この流れで、また別のペンネームで(割愛、察してください)本格的な浄瑠璃仕立ての「艶本(えほん と読む)」を書きます。
「艶本」。濡れてつやっぽい本。下ネタどころではない、エッチな本です。
タイトルは「長枕褥合戦」(ながまくら しとねがっせん)といいます。
まあこの詳しい内容は置いておくとして(察してください)、これが、エロさもですが、内容もおもしろく、
出来のよさが評判になりました。
当時の艶本は、ワタクシも多少読んだことがありますが、赤裸々な描写はいかにも楽しそうでエロいのですが、
そこに至るまでのストーリーもかなりしっかり書き込まれているのです。むしろ長すぎるくらいです。

これだけ書けるなら、いうことで業界からお声がかかり、この「矢口渡」執筆という流れになったようです。

というように、
平賀源内は現代では「発明家」「理系研究者」という印象が強いですが、
当時のイメージでは、むしろ「文化人」「物書き」。発明は余技、というイメージだったのだろうなと思います。


話は変わりますが、以前見た、歌舞伎会に入るとタダでもらえるパンフレット「ほうおう」の解説にあった説明、
「足利と新田が争っていた時代」。
この乱暴なひっくくりの潔さに感動しました。
だよな、南北朝とかいちいち説明する必要ねえよな、とりあえず出てくる「足利」「新田」だけ書けばハナシは通るよな。
歌舞伎の鑑賞ガイドもファンタジーの域に入ってきましたね。
まあアリか。


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