江戸吉原という華やかな遊女街を舞台にした、「縁切り狂言」のひとつです。
「縁切り狂言」というのは、
遊女が、公認の恋仲であるはずの主人公に対して、お座敷などで、大勢の関係者がいる場で「あんたなんか実は大嫌い」と言いって振る、という場面があるお芝居を言います。
人生最大の屈辱です。どうする主人公。というのがテーマになります。
普通は、遊女は実は主人公が好きなんだけど諸事情でしかたなく縁切りをする、というパターンが多いのですが、
これは「本当に嫌い」という内容なのでさらに悲劇は大きいです。
上州(群馬のへん)から江戸に出てきた絹商人の「佐野次郎左衛門(さの じろざえもん)」というひとが主人公です。
群馬は上質な織物である桐生(きりゅう)絹で今も有名です。
仕事が終わったの次郎左衛門は、田舎への土産話の種にちょっとだけ見物しようと、お供の荷物持ち、冶六(じろく)を連れて吉原にやってきます。
吉原はポン引きもいて怖いところですよ。なのでおっかなびっくりです。もちろん「見るだけ」で帰るつもりです。
ちゃんと今晩泊まる用の商人宿も決まっているので、そんなにゆっくりするつもりもありません。
このへんの最初の場面の次郎左衛門のお上りさんっぷりも楽しいです。
ここで本当にポン引きに騙されそうになるのですが、吉原で有名な揚屋の「立花屋(たちばなや)」の主人が通りかかって助けてくれます。
「揚屋(あげや)」というのは、遊女といっしょに宴会をして遊ぶための豪華なお座敷と、お泊り用の個室を提供する店です。
まだ時間も早かったせいもあって、美しい「花魁道中(おいらんどうちゅう)」がいくつも通ります。
「花魁道中」の説明は下に書きました。
楽しく見ていた次郎左衛門です。エレクトリカルパレードみたい。
そのとき、当時全盛の花魁、「八ッ橋(やつはし)」の道中に行き当たります。美しい。見ほれる次郎左衛門。
しかも、その八ッ橋が何の拍子か次郎左衛門ににっこりほほえみかけます。
次郎左衛門は八ッ橋に一目惚れしてしまいます。
この「ほほえみかけた」理由については諸説あります。
1:あまりに一生懸命見ていたのでほほえましかった。
2:次郎左衛門の後ろ、茶屋の見世先に座っていたなじみ客ににっこりしたのを勘違いした。
3:道で出会う男には、とりあえず振り返ってにっこりするのが遊女のテクニック(井原西鶴の「好色一代女」に書いてある)。
等です。
1番が楽しいですけどねー。
すっかり、殺風景な商人宿に帰るのが嫌になった次郎左衛門、そのまま吉原に泊まることにしてしまいます。
という部分を描いた一幕目の「見そめ」がなんといっても有名です。
満開の桜が咲き誇る、歌舞伎定番の華やかな吉原遊郭の舞台装置の上で、
旅装のままのみすぼらしい次郎左衛門と、美しい花魁、八ッ橋との対比が効果的です。
というわけで次郎左衛門はすっかり遊郭での遊びにはまってしまいました。
しかも八ッ橋を呼ぶための「揚屋」は、最初に助けてくれた親切な「立花屋」さんです。安心です。
江戸に来るたびに吉原で八ッ橋を「立花屋」に「揚げ詰め」にして豪遊するようになります。
次郎左衛門は最初に出たときは粗末な身なりの田舎のひとですが、桐生絹はよく売れる上に地元の上州では地主です。じつはお金はあるのです。
どこにでもいそうなのイナカのおっさんが、吉原で何度も豪遊しても身上はびくともしない、
という設定が不自然でないあたりに、江戸末期の我が国の地方のお百姓さんの豊かさをかいま見ることができます。
次郎左衛門は顔中に痘痕(あばた)のある醜い男なのですが、優しいし誠実だし、遊びっぷりもスマートです。
なので八ッ橋も次郎左衛門に優しくします。その気になった次郎左衛門、身請けの相談を始めます。
このまま行くとハッピーエンドになってしまうのですが、
八ッ橋には「間夫(まぶ、遊女のヒミツの恋人ですね)」がいたのです。
繁山栄之丞(しげやま えいのじょう)といいます。浪人しているお侍です。
浪人なので収入はありません。衣食住は八ッ橋がめんどうをみています。
このひとはべつに悪人ではなく、恋人というだけです。
あと、八ッ橋には、遊女になったときの保証人がいます。親の代わりに書類に判子を押した男です。
こういうのを専門にやる商売があったのです。「判人(はんにん)」といいます。もちろんロクな男ではありません。
この判人の「権八(ごんぱち)」が、立花屋に金を借りに来て断られた腹いせに、次郎左衛門のことを間夫の栄之丞に言いつけます。
怒る栄之丞。八ッ橋に会いに来て文句を言います。
八ッ橋はあわてて次郎左衛門とは「縁切り」すると栄之丞に約束します。
そんなことは知らない次郎左衛門が立花屋にやってきます。
身請け話もほとんどまとまっているので今日中に手続きを終わらせて明日は八ッ橋を連れて帰るつもりです。
最後に田舎の友達に「高級遊女とラブラブな自分」を見せて自慢しようと、
友達をたくさんつれてやってきました。
よりによって最悪のそんな場面で、八ッ橋に「縁切り」されてしまいます。場はめちゃめちゃになります。
最初は八ッ橋の機嫌が悪いだけだと思っていっしょうけんめい体調の心配をする次郎左衛門が、
だんだんと状況を把握し、
「花魁(おいらん)、そりゃあんまりつれなかろうぜ」と言うところが山場です。
別に次郎左衛門が嫌いだったわけではない八ッ橋。なんだかすっかり自己嫌悪になって、さらに当り散らすので本当に最悪な雰囲気になります。
しらけてしまってみんな帰ります。
次郎左衛門は茫然自失ながら揚屋のスタッフにはちゃんと気を使います。オトナです。
ところで、そっと次郎左衛門に細かい気遣いを見せる、ナンバー2遊女の「九重(ここのえ)」さん。
感じのいい美女なのですが、彼女は次郎左衛門が好きなんでしょうねー。ジロちゃんもこっちに行けばいいのにと思います。
うまくいかないものです。
数ヵ月後。
次郎左衛門はまた立花屋にやってきます。
彼のことを気遣っていた揚屋の面々は一生懸命もてなします。
「前のことは強引すぎた自分が悪かった、また普通の客として八ッ橋に会いたい」という次郎左衛門のことばに一同感動します。
廓の客は、よろず遊女のわがままを聞いて鷹揚なのがかっこいいのですから、
次郎左衛門の言葉は「粋(すい)な客」の極みです。
すぐさま呼ばれる八ッ橋。ここでひとりになった次郎左衛門が不穏な動きをするのを見逃してはなりません。
やってきた八ッ橋はきまり悪そうにしていますが、
「初会の客のつもりでまた相手ほしい」と次郎左衛門は言い、安心して八ッ橋も了承します。
ちょっとふたりきりになりたいという次郎左衛門。
完全に気をゆるしている店のひとびとは退席します。
ふたりになった広い座敷で、次郎左衛門は隠し持っていた名刀「籠釣瓶(かごつるべ)」を取り出します。八ッ橋は逃げようとしますがそんなひまはありません。
次郎左衛門は八ッ橋を切り殺し、
「籠釣瓶は、よく斬れるなあ」とつぶやいて不気味に笑うのでした。
終わりです。
近年、逃げる次郎左衛門の、大屋根の上での立ち回りが最後に付くことがあるようですが、
そういうわけで、お芝居のテーマからすると蛇足のような気もします。
このお芝居はこう、なんていうか、キレイなお姉さん vs 貢ぐ醜男 vs ヒモの色男、
というだけの図式で見るのでなく、
遊郭の雰囲気やノリみたいなものを感じ取って見てくださると、より楽しいかと思います。
次郎左衛門はイナカモノなので遊郭に慣れておらず、バカっぽく見えますが、
ソツなく商売もし、社会的信用もあるマトモな大人の男です。
あまり浮ついた演技でなく、そのへんの実(じつ)のあるかんじが出ると存在感も出ますし、後半の悲劇も引き立つと思います。
八ッ橋は、「助六」の揚巻と並ぶ、数十キロと言われる豪華衣装がまず見ものです。遊女役の双璧です。
全体に、「美しさ」もですが、太夫と呼ばれるトップ遊女の「貫禄」が必要な役だと思います。
その上で、けっこう性格いいじゃん、とかそういうのを見せるのです。
トップ遊女の、「オモテ」の部分と「素」の部分で、両方魅力的、というか、そういう役です。
しかし遊郭という世界しか知らない遊女らしいあさはかなともろもあり、それが悲劇を呼びます。
栄之丞、ヒモです。
八ッ橋に貢がせて暮らすヒモではありますが、悪役になってはいけない役です。八ッ橋のこともちゃんと好きです。だから怒るのです。
現代的な「女を食い物にするホスト」的な金目当てのイメージでなく、
もうちょっと浮き世場離れした、ちゃんと八つ橋と恋愛している「男妾(おとこめかけ)」というものを、
当時ホントにこういうのがいたのです。
そのへんを感じ取っていただくと楽しいかと思います。
そういうのも含めて、どこか浮世ばなれした、しかし世の中の最もシビアな部分を映してもいる、「遊郭(さと)気分」というものを、
ストーリーとは別に楽しんでいただくのが、いいかなと思います。
というわけで、メインの3人だけでなく、回りにいて座敷を仕切ったり取り持ったりしているヒトビトも、細かく書き込まれています。役者さんもていねいに演じてくださいます。
そういうところもご覧になるとより楽しいと思います。
八ッ橋に金を借りに来る判人の権八なんかも、悪いやつではありますが、華やかな廓の裏の生活感を出していると思います。
明治時代の作品ですが、河竹黙阿弥の忠実なお弟子さんであった河竹新七の作ですので、
江戸歌舞伎らしい味わいを充分に残しております。
江戸時代の「遊郭」を、江戸の記憶をまだまだ持っていた明治の観客に見せて楽しませるように書かれた作品です。
ところで、
これはもともとは「籠釣瓶(かごつるべ)」という名前の名刀を巡る、長いお芝居です。
「釣瓶(つるべ)」というのは井戸に吊して水をくむ桶ですが、これがカゴ、つまりザルだったら、水がたまりません。
そういうわけで「水もたまらぬほどよく斬れる」と言われる妖刀です。
この次郎左衛門のものがたりも、彼の無理すぎる恋ゆえの悲劇ではありますが、
また一方で、全ては「籠釣瓶」という妖刀を持ったがために起きたのだ、という見かたもできるのです。
そういう目でみると、最後のセリフ、「籠釣瓶は、よく斬れるなあ」も、また違った怖さで聞けるかもしれません。
ところで、
最後に縁切りするくらいなら身請けのハナシが出た時点で断れよ、どうするつもりだったんだよ八ッ橋、
という突っ込みを入れたくなるのがこのお芝居です。
一応、「次郎左衛門がいい人なので断りにくくて、ずるずる引き延ばしてた」という説明セリフが入っていますが、
英之丞にバレなければ八ッ橋は、そのまま「ずるずる」身請けされてしまったような気がします。
英之丞とは、隠れててきとうに付き合うつもりだったんじゃないでしょうか。
半年くらい上州で一緒に暮らして、「やっぱりイナカは退屈、江戸がいい」といえば、
次郎左衛門は優しいから江戸に別宅を造って住まわせてくれるだろう。
そしたら次郎左衛門が江戸に来るとき以外はそこで英之丞と隠れて会える、
くらいのことは無意識に考えていたかもしれません。
次郎左衛門は優しくてイナカものであまりうるさい事いわなそうだし、そういうことも含めて都合のいい相手だから、もう、身請けされちゃおうかなあ、
みたいな気分でいたんだと思います。英之丞には隠れてお金を送ればいいわけですから。
でも、英之丞に「不実だ」と言われれば返す言葉もないわけで、
そういう自分の浅はかさとか、立場の不自由さとかが、いろいろイヤになってしまって、
ああいうカタチで次郎左衛門に当たり散らしたんだろうと思います。
話は変わって、
「見そめ」の場面の八ッ橋は「花魁道中(おいらんどうちゅう)」の途中なのですが、
「おいらん道中」と「揚屋」について一応説明します。
わからなくてもおハナシはつながりますので、細かいことはいいかたは以下は飛ばして下さい。
当時の遊郭では、ていうか街や時代によって多少システム違うのですが、
(あと遊女と芸者の違いについてもまた長いのですが、ここでは割愛します。=このへん=に書きました。)
遊女は「遊女屋(置屋)」にいます。ここにはお客さんは来ません。
お客さんは「揚屋(あげや)」に行きます。遊女と遊ぶための豪華なお座敷、件、お泊まり施設です。
客はまず「揚屋」に行ってお座敷を押さえ、その上で揚屋を通して遊女を呼びます。
客は直接「遊女屋」と交渉できないのです。
揚屋は遊郭に何件もあり、「この遊女屋はこの揚屋」みたいにだいたい担当が決まっています。
呼ばれた遊女は「遊女屋」から「揚屋」まで毎回移動します。
売れてない安い遊女だと少人数でとぼとぼ、という感じですが、
大夫(たゆう、花魁(おいらん)とも言う。遊女の最高ランク)クラスだと、この八ッ橋のように多人数で豪華な行列になります。
警護の若いモン、新造とよばれるヘルプの遊女数人、禿(かむろ、遊女見習い兼小間使いの子供、遊女のランクによって連れて歩く人数が決まっていた)、
遣り手ばあさん、身の回りの荷物を持った若いモン、
などの大行列でお客さんに会いに行くのです。
遊郭の中で置屋から揚屋に移動するだけですから移動距離はたいしたことないですが、
その大仰な様子から「道中」と称されたのです。
これはまた、一種の「お嫁入り」だったとワタクシは思います。なので「道中」なのではないかと。
チナミに「道中」に参加する使用人全てに、客は「ご祝儀」を出します。
正規に払う料金とはべつに「祝儀」が大量に必要です。
遊女に払って、揚屋に払って、呼びに行くヒトに払って、酒と料理は外から運ばれてきて別料金なのでそれ払って、
注文を取り次ぐヒトに払って、運んできた人に払って、歌や踊りでお座敷を盛り上げる芸者や幇間(ほうかん、たいこ持ち)がいい芸をしてくれたらその都度払って、というかんじです。
繰り返しますが正規に払う料金をは別にです。
当時の遊郭での遊びはケタ違いにお金がかかりました。
というわけで「揚屋」システムは、あまりに客にやさしくないのでだんだん廃れます。
もう少し気軽に遊べる「茶屋」というのが主流になります。
というか、お金がかかりすぎる「大夫」という遊女のランク自体がなくなります。
なので、江戸中期以降は「花魁道中」そのものがなくなってしまいます。
ですから現実にはもう少し手軽に遊女と遊べたのですが、
お芝居ではよろず派手なほうが楽しいので、すでに廃れた「揚屋システム」や「花魁道中」を演出として使うのです。
=50音索引に戻る=
「縁切り狂言」というのは、
遊女が、公認の恋仲であるはずの主人公に対して、お座敷などで、大勢の関係者がいる場で「あんたなんか実は大嫌い」と言いって振る、という場面があるお芝居を言います。
人生最大の屈辱です。どうする主人公。というのがテーマになります。
普通は、遊女は実は主人公が好きなんだけど諸事情でしかたなく縁切りをする、というパターンが多いのですが、
これは「本当に嫌い」という内容なのでさらに悲劇は大きいです。
上州(群馬のへん)から江戸に出てきた絹商人の「佐野次郎左衛門(さの じろざえもん)」というひとが主人公です。
群馬は上質な織物である桐生(きりゅう)絹で今も有名です。
仕事が終わったの次郎左衛門は、田舎への土産話の種にちょっとだけ見物しようと、お供の荷物持ち、冶六(じろく)を連れて吉原にやってきます。
吉原はポン引きもいて怖いところですよ。なのでおっかなびっくりです。もちろん「見るだけ」で帰るつもりです。
ちゃんと今晩泊まる用の商人宿も決まっているので、そんなにゆっくりするつもりもありません。
このへんの最初の場面の次郎左衛門のお上りさんっぷりも楽しいです。
ここで本当にポン引きに騙されそうになるのですが、吉原で有名な揚屋の「立花屋(たちばなや)」の主人が通りかかって助けてくれます。
「揚屋(あげや)」というのは、遊女といっしょに宴会をして遊ぶための豪華なお座敷と、お泊り用の個室を提供する店です。
まだ時間も早かったせいもあって、美しい「花魁道中(おいらんどうちゅう)」がいくつも通ります。
「花魁道中」の説明は下に書きました。
楽しく見ていた次郎左衛門です。エレクトリカルパレードみたい。
そのとき、当時全盛の花魁、「八ッ橋(やつはし)」の道中に行き当たります。美しい。見ほれる次郎左衛門。
しかも、その八ッ橋が何の拍子か次郎左衛門ににっこりほほえみかけます。
次郎左衛門は八ッ橋に一目惚れしてしまいます。
この「ほほえみかけた」理由については諸説あります。
1:あまりに一生懸命見ていたのでほほえましかった。
2:次郎左衛門の後ろ、茶屋の見世先に座っていたなじみ客ににっこりしたのを勘違いした。
3:道で出会う男には、とりあえず振り返ってにっこりするのが遊女のテクニック(井原西鶴の「好色一代女」に書いてある)。
等です。
1番が楽しいですけどねー。
すっかり、殺風景な商人宿に帰るのが嫌になった次郎左衛門、そのまま吉原に泊まることにしてしまいます。
という部分を描いた一幕目の「見そめ」がなんといっても有名です。
満開の桜が咲き誇る、歌舞伎定番の華やかな吉原遊郭の舞台装置の上で、
旅装のままのみすぼらしい次郎左衛門と、美しい花魁、八ッ橋との対比が効果的です。
というわけで次郎左衛門はすっかり遊郭での遊びにはまってしまいました。
しかも八ッ橋を呼ぶための「揚屋」は、最初に助けてくれた親切な「立花屋」さんです。安心です。
江戸に来るたびに吉原で八ッ橋を「立花屋」に「揚げ詰め」にして豪遊するようになります。
次郎左衛門は最初に出たときは粗末な身なりの田舎のひとですが、桐生絹はよく売れる上に地元の上州では地主です。じつはお金はあるのです。
どこにでもいそうなのイナカのおっさんが、吉原で何度も豪遊しても身上はびくともしない、
という設定が不自然でないあたりに、江戸末期の我が国の地方のお百姓さんの豊かさをかいま見ることができます。
次郎左衛門は顔中に痘痕(あばた)のある醜い男なのですが、優しいし誠実だし、遊びっぷりもスマートです。
なので八ッ橋も次郎左衛門に優しくします。その気になった次郎左衛門、身請けの相談を始めます。
このまま行くとハッピーエンドになってしまうのですが、
八ッ橋には「間夫(まぶ、遊女のヒミツの恋人ですね)」がいたのです。
繁山栄之丞(しげやま えいのじょう)といいます。浪人しているお侍です。
浪人なので収入はありません。衣食住は八ッ橋がめんどうをみています。
このひとはべつに悪人ではなく、恋人というだけです。
あと、八ッ橋には、遊女になったときの保証人がいます。親の代わりに書類に判子を押した男です。
こういうのを専門にやる商売があったのです。「判人(はんにん)」といいます。もちろんロクな男ではありません。
この判人の「権八(ごんぱち)」が、立花屋に金を借りに来て断られた腹いせに、次郎左衛門のことを間夫の栄之丞に言いつけます。
怒る栄之丞。八ッ橋に会いに来て文句を言います。
八ッ橋はあわてて次郎左衛門とは「縁切り」すると栄之丞に約束します。
そんなことは知らない次郎左衛門が立花屋にやってきます。
身請け話もほとんどまとまっているので今日中に手続きを終わらせて明日は八ッ橋を連れて帰るつもりです。
最後に田舎の友達に「高級遊女とラブラブな自分」を見せて自慢しようと、
友達をたくさんつれてやってきました。
よりによって最悪のそんな場面で、八ッ橋に「縁切り」されてしまいます。場はめちゃめちゃになります。
最初は八ッ橋の機嫌が悪いだけだと思っていっしょうけんめい体調の心配をする次郎左衛門が、
だんだんと状況を把握し、
「花魁(おいらん)、そりゃあんまりつれなかろうぜ」と言うところが山場です。
別に次郎左衛門が嫌いだったわけではない八ッ橋。なんだかすっかり自己嫌悪になって、さらに当り散らすので本当に最悪な雰囲気になります。
しらけてしまってみんな帰ります。
次郎左衛門は茫然自失ながら揚屋のスタッフにはちゃんと気を使います。オトナです。
ところで、そっと次郎左衛門に細かい気遣いを見せる、ナンバー2遊女の「九重(ここのえ)」さん。
感じのいい美女なのですが、彼女は次郎左衛門が好きなんでしょうねー。ジロちゃんもこっちに行けばいいのにと思います。
うまくいかないものです。
数ヵ月後。
次郎左衛門はまた立花屋にやってきます。
彼のことを気遣っていた揚屋の面々は一生懸命もてなします。
「前のことは強引すぎた自分が悪かった、また普通の客として八ッ橋に会いたい」という次郎左衛門のことばに一同感動します。
廓の客は、よろず遊女のわがままを聞いて鷹揚なのがかっこいいのですから、
次郎左衛門の言葉は「粋(すい)な客」の極みです。
すぐさま呼ばれる八ッ橋。ここでひとりになった次郎左衛門が不穏な動きをするのを見逃してはなりません。
やってきた八ッ橋はきまり悪そうにしていますが、
「初会の客のつもりでまた相手ほしい」と次郎左衛門は言い、安心して八ッ橋も了承します。
ちょっとふたりきりになりたいという次郎左衛門。
完全に気をゆるしている店のひとびとは退席します。
ふたりになった広い座敷で、次郎左衛門は隠し持っていた名刀「籠釣瓶(かごつるべ)」を取り出します。八ッ橋は逃げようとしますがそんなひまはありません。
次郎左衛門は八ッ橋を切り殺し、
「籠釣瓶は、よく斬れるなあ」とつぶやいて不気味に笑うのでした。
終わりです。
近年、逃げる次郎左衛門の、大屋根の上での立ち回りが最後に付くことがあるようですが、
そういうわけで、お芝居のテーマからすると蛇足のような気もします。
このお芝居はこう、なんていうか、キレイなお姉さん vs 貢ぐ醜男 vs ヒモの色男、
というだけの図式で見るのでなく、
遊郭の雰囲気やノリみたいなものを感じ取って見てくださると、より楽しいかと思います。
次郎左衛門はイナカモノなので遊郭に慣れておらず、バカっぽく見えますが、
ソツなく商売もし、社会的信用もあるマトモな大人の男です。
あまり浮ついた演技でなく、そのへんの実(じつ)のあるかんじが出ると存在感も出ますし、後半の悲劇も引き立つと思います。
八ッ橋は、「助六」の揚巻と並ぶ、数十キロと言われる豪華衣装がまず見ものです。遊女役の双璧です。
全体に、「美しさ」もですが、太夫と呼ばれるトップ遊女の「貫禄」が必要な役だと思います。
その上で、けっこう性格いいじゃん、とかそういうのを見せるのです。
トップ遊女の、「オモテ」の部分と「素」の部分で、両方魅力的、というか、そういう役です。
しかし遊郭という世界しか知らない遊女らしいあさはかなともろもあり、それが悲劇を呼びます。
栄之丞、ヒモです。
八ッ橋に貢がせて暮らすヒモではありますが、悪役になってはいけない役です。八ッ橋のこともちゃんと好きです。だから怒るのです。
現代的な「女を食い物にするホスト」的な金目当てのイメージでなく、
もうちょっと浮き世場離れした、ちゃんと八つ橋と恋愛している「男妾(おとこめかけ)」というものを、
当時ホントにこういうのがいたのです。
そのへんを感じ取っていただくと楽しいかと思います。
そういうのも含めて、どこか浮世ばなれした、しかし世の中の最もシビアな部分を映してもいる、「遊郭(さと)気分」というものを、
ストーリーとは別に楽しんでいただくのが、いいかなと思います。
というわけで、メインの3人だけでなく、回りにいて座敷を仕切ったり取り持ったりしているヒトビトも、細かく書き込まれています。役者さんもていねいに演じてくださいます。
そういうところもご覧になるとより楽しいと思います。
八ッ橋に金を借りに来る判人の権八なんかも、悪いやつではありますが、華やかな廓の裏の生活感を出していると思います。
明治時代の作品ですが、河竹黙阿弥の忠実なお弟子さんであった河竹新七の作ですので、
江戸歌舞伎らしい味わいを充分に残しております。
江戸時代の「遊郭」を、江戸の記憶をまだまだ持っていた明治の観客に見せて楽しませるように書かれた作品です。
ところで、
これはもともとは「籠釣瓶(かごつるべ)」という名前の名刀を巡る、長いお芝居です。
「釣瓶(つるべ)」というのは井戸に吊して水をくむ桶ですが、これがカゴ、つまりザルだったら、水がたまりません。
そういうわけで「水もたまらぬほどよく斬れる」と言われる妖刀です。
この次郎左衛門のものがたりも、彼の無理すぎる恋ゆえの悲劇ではありますが、
また一方で、全ては「籠釣瓶」という妖刀を持ったがために起きたのだ、という見かたもできるのです。
そういう目でみると、最後のセリフ、「籠釣瓶は、よく斬れるなあ」も、また違った怖さで聞けるかもしれません。
ところで、
最後に縁切りするくらいなら身請けのハナシが出た時点で断れよ、どうするつもりだったんだよ八ッ橋、
という突っ込みを入れたくなるのがこのお芝居です。
一応、「次郎左衛門がいい人なので断りにくくて、ずるずる引き延ばしてた」という説明セリフが入っていますが、
英之丞にバレなければ八ッ橋は、そのまま「ずるずる」身請けされてしまったような気がします。
英之丞とは、隠れててきとうに付き合うつもりだったんじゃないでしょうか。
半年くらい上州で一緒に暮らして、「やっぱりイナカは退屈、江戸がいい」といえば、
次郎左衛門は優しいから江戸に別宅を造って住まわせてくれるだろう。
そしたら次郎左衛門が江戸に来るとき以外はそこで英之丞と隠れて会える、
くらいのことは無意識に考えていたかもしれません。
次郎左衛門は優しくてイナカものであまりうるさい事いわなそうだし、そういうことも含めて都合のいい相手だから、もう、身請けされちゃおうかなあ、
みたいな気分でいたんだと思います。英之丞には隠れてお金を送ればいいわけですから。
でも、英之丞に「不実だ」と言われれば返す言葉もないわけで、
そういう自分の浅はかさとか、立場の不自由さとかが、いろいろイヤになってしまって、
ああいうカタチで次郎左衛門に当たり散らしたんだろうと思います。
話は変わって、
「見そめ」の場面の八ッ橋は「花魁道中(おいらんどうちゅう)」の途中なのですが、
「おいらん道中」と「揚屋」について一応説明します。
わからなくてもおハナシはつながりますので、細かいことはいいかたは以下は飛ばして下さい。
当時の遊郭では、ていうか街や時代によって多少システム違うのですが、
(あと遊女と芸者の違いについてもまた長いのですが、ここでは割愛します。=このへん=に書きました。)
遊女は「遊女屋(置屋)」にいます。ここにはお客さんは来ません。
お客さんは「揚屋(あげや)」に行きます。遊女と遊ぶための豪華なお座敷、件、お泊まり施設です。
客はまず「揚屋」に行ってお座敷を押さえ、その上で揚屋を通して遊女を呼びます。
客は直接「遊女屋」と交渉できないのです。
揚屋は遊郭に何件もあり、「この遊女屋はこの揚屋」みたいにだいたい担当が決まっています。
呼ばれた遊女は「遊女屋」から「揚屋」まで毎回移動します。
売れてない安い遊女だと少人数でとぼとぼ、という感じですが、
大夫(たゆう、花魁(おいらん)とも言う。遊女の最高ランク)クラスだと、この八ッ橋のように多人数で豪華な行列になります。
警護の若いモン、新造とよばれるヘルプの遊女数人、禿(かむろ、遊女見習い兼小間使いの子供、遊女のランクによって連れて歩く人数が決まっていた)、
遣り手ばあさん、身の回りの荷物を持った若いモン、
などの大行列でお客さんに会いに行くのです。
遊郭の中で置屋から揚屋に移動するだけですから移動距離はたいしたことないですが、
その大仰な様子から「道中」と称されたのです。
これはまた、一種の「お嫁入り」だったとワタクシは思います。なので「道中」なのではないかと。
チナミに「道中」に参加する使用人全てに、客は「ご祝儀」を出します。
正規に払う料金とはべつに「祝儀」が大量に必要です。
遊女に払って、揚屋に払って、呼びに行くヒトに払って、酒と料理は外から運ばれてきて別料金なのでそれ払って、
注文を取り次ぐヒトに払って、運んできた人に払って、歌や踊りでお座敷を盛り上げる芸者や幇間(ほうかん、たいこ持ち)がいい芸をしてくれたらその都度払って、というかんじです。
繰り返しますが正規に払う料金をは別にです。
当時の遊郭での遊びはケタ違いにお金がかかりました。
というわけで「揚屋」システムは、あまりに客にやさしくないのでだんだん廃れます。
もう少し気軽に遊べる「茶屋」というのが主流になります。
というか、お金がかかりすぎる「大夫」という遊女のランク自体がなくなります。
なので、江戸中期以降は「花魁道中」そのものがなくなってしまいます。
ですから現実にはもう少し手軽に遊女と遊べたのですが、
お芝居ではよろず派手なほうが楽しいので、すでに廃れた「揚屋システム」や「花魁道中」を演出として使うのです。
=50音索引に戻る=
外国人の尊敬するかたを連れて行き、間違って私も英語のガイドを借りてしまったので、ここまで理解できずに見ていました。
英語のガイドはセリフを訳しているだけでしたので、せっかく日本まで来て歌舞伎が好きで来てくださっても、面白さがずっと減ってしまうんですよね。。
なぜ八橋は微笑みかけたかとか、あの刀にかけられた因縁で主人公が不細工になったのはどの宗教にのっとるのかとか、見終わったあとで色々聞かれたのですが、まったく見識が深くないので答えることができませんでした。
この解説参考にさせていただきます~!
2人共熱演で感心しました。福助の演技にもう少し陰影があるとなお良いと思いました。
間然するところのないストーリー展開に引き込まれました。籠釣瓶で八ツ橋を切り殺したところで終れば完璧ですが、大屋根捕物は蛇足だと思いました。
この解説で遊郭の基礎知識が頭に入っていたので、舞台に集中して楽しむことが出来ました。どうもありがとうございました。
誤植を若干発見したので、失礼かと思いましたが下記のとおりまとめました。
・2段落/2行:冶助→(下男)治六
・4段落/9行:見世先→店先
・5段落/2行:履き誇る→咲き誇る
・6段落/6行:アザ→痘痕(あばた)
・7段落/6行:権六→(釣鐘)権八
・8段落/1行:見受け話→身請け話
以上
何度も見ているはずの演目でしたがすっかり忘れておりました。
この解説
うんうんうなづきながら読みました