所作(しょさ、踊りね)です。
金太郎伝説の話です。
前提になっているお芝居があります。
「八重桐廓噺(やえぎり くるわばなし)」というのです。
あまり出ません。
遊女の「八重桐(やえぎり)」は、「坂田蔵人時行(さかたの くらんど ときゆき)」と恋人だったのですが、
時行は父の敵を自力で討てませんでした。
そのことを恥じて自害し、八重桐との子供はとても強くなるだろうと言い残します。
八重桐はひとり足柄山にこもって子を産み育てます。
ここからこのお芝居ははじまります。
所作(しょさ、踊りね)ですが、セリフも多く、お芝居としても楽しめます。
山奥です。木こりのおじいさんが座って居眠りしています。
いろいろセリフを言いますが聞き取れないと思うので詳しく書くと、
この人はじつはわりとりっぱな武将で、強い家来がほしい主君の命令で、全国を歩き回って探しています。
その後、「それ眠気覚ましに一杯やらかそうかい」というので、
ここまでは、一応「お侍」という身分は明かしていますが、木こりのおじいさんぽい雰囲気です。
と
酒をついだ盃に、星が映ります。「七曜星(しちようせい)」です。舞台の上の方にも星が出ます。
七曜星は北斗七星のことですから、1年中見えると思うのですが、
時代ものの歌舞伎作品では吉兆をあらわす特別な星とされます。
昔の武将は教養があり、星や自然現象を見て世の動乱やひとの運命を知る知識もあったことになっているので、
今回も、ここで木こりさんは本来の武将らしい演技になり、
これは願いがかない、強い家来候補が近く見つかる知らせに違いないと喜びます。
気になるのは、近くに住んでいる女がつれている男の子です。
どういう子かちゃんと聞いてみよう。
ここで、「山姥(やまんば)」が登場します。
服にキレイな紅葉のもようがついていますが、これは本当は模様ではなく、
登場時の唄の歌詞に「木の葉衣(このはごろも)に」とあるやつです。
柳田国男先生の有名な「遠野物語」にも、山に長く暮らす「山女」について、
ボロボロの服を木の葉でつくろって、木の葉をつぎあわせたような服を着ている、というような記述がよく出てくるので、
本来のイメージはそういうもはや布ではなくなったような服です。
薪を背負っています。
お互いにあいさつし、「今日も焚き火をごちそうしようかいのう」みたいな会話をします。
ここは山に住む人たちっぽい素朴な会話です。
子供は、またどこかでクマやサルと相撲を取って遊んでいるようです。
呼ばれて子供がやってきます。「怪童丸(かいどうまる)」といいます。
わらべ歌風の唄でかわいく踊ります。
このあとも童謡で踊ったり母の山姥に甘えたりと子供らしい場面が続き、
そのあと、山姥の「山尽くし」の踊りになります。
「山尽くし」といっても全国のあちこちの山の名をあげていくものではなく、
山の四季おりおりの美しい木や花の様子を描き、
さらにそれらを擬人化して、恋をする娘たちのさまざまな艶っぽい様子に例えた唄で、
これに合わせて優雅に踊ります。
この山姥はもとは高級遊女ですので、本来はかなり洗練された女性です。
そういう雰囲気を伺わせる部分です。
木こりのおじいさん(実は武将)が「怪童丸」くんはどういう子なんだ、と質問し、
山姥は自分の身の上と、死んだ夫の「坂田時行(さかた ときゆき)」の話をします。
木こりさんは「坂田時行を知っていました。
木こりさんも名乗ります。「三田 仕(みたの つごう)」という人です。
主君の名前は「源頼光(みなもとの よりみつ)」です。
「頼光」の命令で強い家来を探していた。「坂田時行」の息子なら間違いない。ぜひ召し抱えたい。
という話になります。
「源頼光(みなもとの よりみつ)」は平安期の武将で、
「頼光四天王(よりみつしてんのう)」と呼ばれる非常に強い家来を連れていたのは史実です。
これが江戸時代には拡大解釈されて頼光は非常にえらい人だったと思われており、
四天王も伝説の英雄のようなあつかいになっています。
その中でも特に強かったとされるのが「坂田金時(さかた きんとき)」です。「金太郎」です。
「怪童丸」が、この「坂田金時」になるのです。
「三田仕(つごう)」も実在のひとです。本によっては「つこう」と清音になっています。
「仕(える)」→「つかえる」→「つこう」→「つごう」です。
四天王のひとりで「茨木童子(いばらきどうじ)」を退治した「渡辺綱(わたなべの つな)」というひとがいますが、
「三田仕」はそのお父さんです。
「頼光」さまに召し抱えていただけるなら夫も喜ぶ。こんなうれしいことはないと感激する山姥です。
怪童丸の力を見せる場面があります。
怪童丸は松の木を根こそぎ引き抜いて、「三田仕(みたの つごう)」と綱引きのようのえいえいと引っ張り合います。
楽しい場面です。
喜ぶ山姥ですが、
しかし、山姥は都には一緒に行けないようです。
本来「山姥(やまんば)」というのは妖怪のはずですが、
ここまでは山姥は、わりとふつうのおばさんみたいに見えるのですが、
このへんから、セリフを含めてだんだん人外めいてきます。
よく考えたら山奥でひとりで出産して子育てしているのですから、
八重桐はとっくに人間ではなくなっているのでしょう。
ここで「子別れ」の場面になります。
がんばってりっぱになり、さすがに父の子だと褒められなさい。山姥の子だと笑われるような行いをしてはならない。
自分は影身に沿ってお前を守るだろう。
このセリフはとてもいいセリフですが、
有名な「葛の葉(くずのは こわかれ)」の「子別れ」の場面のセリフとほぼ同じです。
え?と思ってしまいますが、
オマージュということで流してください(いちいち書くな)。
こつぜんと消える山姥。驚いて母を呼ぶ怪童丸。「かかさまいのう」。
ここまで「葛の葉子別れ」と同じです。
さて、とつぜん悪人がやってきます。
ここでは反政権側の何かと思ってください。正確な設定があるわけではありません。
「暫(しばらく)」というおめでたいときに出すお芝居の悪役と同じ扮装が指定されており、
つまり「おめでたいお芝居用の形式的な悪役」です。
悪人たちも怪童丸を家来にしたくてやってきたのですが、
ひと足遅く、頼光に取られてしまったのでした。
こうなったら怪童丸も「三田仕」もやっつけてしまおうとする悪人たちですが、
怪童丸に反対にやっつけられます。
もとはここで、天狗が出てくる立ち回りがあったのですが、
天狗がどっちの味方かよくわからず、視点がぼけるせいかいまはあまり出ません。
最後に、完全に人外のものになった山姥がふたたびあらわれ、
登場人物みんなで「引っ張りの見得」でおわります。
「怪童丸」(金太郎)の役は子役から出ますが、
子役ながら踊る部分も多く、立ち回りまで付き、また将来の立身出世を予感させるおめでたい内容なのもあり、
所作(踊りね)の系統の役者さんの家の御曹司の子役時代に出すことが多いです。
山姥と三田仕には父親や祖父などが出るのが似つかわしい配役になっています。
=50音索引に戻る=
金太郎伝説の話です。
前提になっているお芝居があります。
「八重桐廓噺(やえぎり くるわばなし)」というのです。
あまり出ません。
遊女の「八重桐(やえぎり)」は、「坂田蔵人時行(さかたの くらんど ときゆき)」と恋人だったのですが、
時行は父の敵を自力で討てませんでした。
そのことを恥じて自害し、八重桐との子供はとても強くなるだろうと言い残します。
八重桐はひとり足柄山にこもって子を産み育てます。
ここからこのお芝居ははじまります。
所作(しょさ、踊りね)ですが、セリフも多く、お芝居としても楽しめます。
山奥です。木こりのおじいさんが座って居眠りしています。
いろいろセリフを言いますが聞き取れないと思うので詳しく書くと、
この人はじつはわりとりっぱな武将で、強い家来がほしい主君の命令で、全国を歩き回って探しています。
その後、「それ眠気覚ましに一杯やらかそうかい」というので、
ここまでは、一応「お侍」という身分は明かしていますが、木こりのおじいさんぽい雰囲気です。
と
酒をついだ盃に、星が映ります。「七曜星(しちようせい)」です。舞台の上の方にも星が出ます。
七曜星は北斗七星のことですから、1年中見えると思うのですが、
時代ものの歌舞伎作品では吉兆をあらわす特別な星とされます。
昔の武将は教養があり、星や自然現象を見て世の動乱やひとの運命を知る知識もあったことになっているので、
今回も、ここで木こりさんは本来の武将らしい演技になり、
これは願いがかない、強い家来候補が近く見つかる知らせに違いないと喜びます。
気になるのは、近くに住んでいる女がつれている男の子です。
どういう子かちゃんと聞いてみよう。
ここで、「山姥(やまんば)」が登場します。
服にキレイな紅葉のもようがついていますが、これは本当は模様ではなく、
登場時の唄の歌詞に「木の葉衣(このはごろも)に」とあるやつです。
柳田国男先生の有名な「遠野物語」にも、山に長く暮らす「山女」について、
ボロボロの服を木の葉でつくろって、木の葉をつぎあわせたような服を着ている、というような記述がよく出てくるので、
本来のイメージはそういうもはや布ではなくなったような服です。
薪を背負っています。
お互いにあいさつし、「今日も焚き火をごちそうしようかいのう」みたいな会話をします。
ここは山に住む人たちっぽい素朴な会話です。
子供は、またどこかでクマやサルと相撲を取って遊んでいるようです。
呼ばれて子供がやってきます。「怪童丸(かいどうまる)」といいます。
わらべ歌風の唄でかわいく踊ります。
このあとも童謡で踊ったり母の山姥に甘えたりと子供らしい場面が続き、
そのあと、山姥の「山尽くし」の踊りになります。
「山尽くし」といっても全国のあちこちの山の名をあげていくものではなく、
山の四季おりおりの美しい木や花の様子を描き、
さらにそれらを擬人化して、恋をする娘たちのさまざまな艶っぽい様子に例えた唄で、
これに合わせて優雅に踊ります。
この山姥はもとは高級遊女ですので、本来はかなり洗練された女性です。
そういう雰囲気を伺わせる部分です。
木こりのおじいさん(実は武将)が「怪童丸」くんはどういう子なんだ、と質問し、
山姥は自分の身の上と、死んだ夫の「坂田時行(さかた ときゆき)」の話をします。
木こりさんは「坂田時行を知っていました。
木こりさんも名乗ります。「三田 仕(みたの つごう)」という人です。
主君の名前は「源頼光(みなもとの よりみつ)」です。
「頼光」の命令で強い家来を探していた。「坂田時行」の息子なら間違いない。ぜひ召し抱えたい。
という話になります。
「源頼光(みなもとの よりみつ)」は平安期の武将で、
「頼光四天王(よりみつしてんのう)」と呼ばれる非常に強い家来を連れていたのは史実です。
これが江戸時代には拡大解釈されて頼光は非常にえらい人だったと思われており、
四天王も伝説の英雄のようなあつかいになっています。
その中でも特に強かったとされるのが「坂田金時(さかた きんとき)」です。「金太郎」です。
「怪童丸」が、この「坂田金時」になるのです。
「三田仕(つごう)」も実在のひとです。本によっては「つこう」と清音になっています。
「仕(える)」→「つかえる」→「つこう」→「つごう」です。
四天王のひとりで「茨木童子(いばらきどうじ)」を退治した「渡辺綱(わたなべの つな)」というひとがいますが、
「三田仕」はそのお父さんです。
「頼光」さまに召し抱えていただけるなら夫も喜ぶ。こんなうれしいことはないと感激する山姥です。
怪童丸の力を見せる場面があります。
怪童丸は松の木を根こそぎ引き抜いて、「三田仕(みたの つごう)」と綱引きのようのえいえいと引っ張り合います。
楽しい場面です。
喜ぶ山姥ですが、
しかし、山姥は都には一緒に行けないようです。
本来「山姥(やまんば)」というのは妖怪のはずですが、
ここまでは山姥は、わりとふつうのおばさんみたいに見えるのですが、
このへんから、セリフを含めてだんだん人外めいてきます。
よく考えたら山奥でひとりで出産して子育てしているのですから、
八重桐はとっくに人間ではなくなっているのでしょう。
ここで「子別れ」の場面になります。
がんばってりっぱになり、さすがに父の子だと褒められなさい。山姥の子だと笑われるような行いをしてはならない。
自分は影身に沿ってお前を守るだろう。
このセリフはとてもいいセリフですが、
有名な「葛の葉(くずのは こわかれ)」の「子別れ」の場面のセリフとほぼ同じです。
え?と思ってしまいますが、
オマージュということで流してください(いちいち書くな)。
こつぜんと消える山姥。驚いて母を呼ぶ怪童丸。「かかさまいのう」。
ここまで「葛の葉子別れ」と同じです。
さて、とつぜん悪人がやってきます。
ここでは反政権側の何かと思ってください。正確な設定があるわけではありません。
「暫(しばらく)」というおめでたいときに出すお芝居の悪役と同じ扮装が指定されており、
つまり「おめでたいお芝居用の形式的な悪役」です。
悪人たちも怪童丸を家来にしたくてやってきたのですが、
ひと足遅く、頼光に取られてしまったのでした。
こうなったら怪童丸も「三田仕」もやっつけてしまおうとする悪人たちですが、
怪童丸に反対にやっつけられます。
もとはここで、天狗が出てくる立ち回りがあったのですが、
天狗がどっちの味方かよくわからず、視点がぼけるせいかいまはあまり出ません。
最後に、完全に人外のものになった山姥がふたたびあらわれ、
登場人物みんなで「引っ張りの見得」でおわります。
「怪童丸」(金太郎)の役は子役から出ますが、
子役ながら踊る部分も多く、立ち回りまで付き、また将来の立身出世を予感させるおめでたい内容なのもあり、
所作(踊りね)の系統の役者さんの家の御曹司の子役時代に出すことが多いです。
山姥と三田仕には父親や祖父などが出るのが似つかわしい配役になっています。
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