歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「盟三五大切」 かみかけて さんごたいせつ

2011年06月04日 | 歌舞伎
四世鶴屋南北(つるや なんぼく)の作になります。あの「東海道四谷怪談」を描いたかたです。

なぜ「盟」を「かみかけて」とムリクリ読ませるかというと、
そもそもこれは「五大力もの」という一連のお芝居の一作だからです。
「五大力(ごだいりき)」というのは「五大力菩薩」のことです。江戸時代に人気があった仏さまです。
仏様ですからカテゴリー的には仏教なのですが、当時の感覚では願掛け用の神様の一種です。
お手紙の封じ目に「五大力」と書くのが、情報漏洩を防ぐおまじないなのです。
ヒトのココロもどこかに行かないように、相手が心変わりしないおまじないや誓言にも使われました。
だから「かみかけて」なのです。

タイトルの「盟三五大切」の意味は
「神(仏)に誓って、わたしゃ三五(三五兵衛)さんが大切です。心変わりしませんよ」と言う意味になります。
そして、うしろの3文字だけ見ると「五大力」が隠れているという仕掛けです。

チナミにこの作品と並んで有名な「五大力もの」に、「五大力恋緘(ごだいりき こいのふうじめ)」というのがあります。

この「五大力もの」という作品群では、かならず三五兵衛という男と「小万(こまん)」という芸者が出てくるのですが、
まず、他の男に対して操を立てて「五大力」の誓いをした芸者の小万が、
誓いの印に書いたその言葉を「三五大切」と書き替えたり書き替えられたりする場面が必ず出て来ます。「お約束」です。
もちろんこの作品にもそのシーンがあります。


細かい設定を押さえておけばストーリーは見てればだいたいわかるかと思うので、とりあえず設定を書きます。

深川芸者の「小万(こまん)」と、船頭の「三五兵衛(さんごべえ)」が出来てます。恋人同士です。

船頭にもいろいろありますが、三五兵衛の乗っているのは、猪牙舟(ちょきぶね)と呼ばれるものです。
イノシシの牙のように細長いカタチの小型の舟です。
江戸は、とくに大川(隅田川)周辺や下町では、船は重要な交通手段でした。
猪牙船はひとりかふたりしか乗れませんがスピードが出ます。
屋根付きのもあり、スピードか劣りますが安全です。ちょっと高いです。
手軽で庶民的な乗り物えはありますが、
遊び客が深川あたりに遊びにいくときこれに乗って行くのがクールだったのです。

というわけでその猪牙舟の船頭は、ちょっとかっこいい商売です。肉体派でオトコマエです。
深川芸者はもちろん、意気と張りとでならす、「いい女」な商売として有名です。
というかんじで、どちらも江戸でいいかんじにクールでイケてるふたりなのです。

そのイケてるカップルが、田舎侍の源五兵衛をとことんバカにしてケツの毛までむしりとるお芝居。
というのがだいたいの方向性です。
で、最後に復讐されます(あたりまえです)。


三五兵衛は根っからの悪人ではなく、父親の旧主であるお侍のためにお金が欲しかったのですが、
その事情だけは押さえておくと後半に混乱しないと思います。
そして、その「旧主のお侍」というのが忠臣蔵の赤穂浪士(お芝居では塩治浪人)だという設定になっており、
この部分が「忠臣蔵」とシンクロしているのですが、
このへんは作品の本質とは関係ないので流していいです。
「父子で敵討ちをしたいお侍のお手伝いをしようとしている」というかんじで見ておけば大丈夫かと思います。

描いたのは四世鶴屋南北です。
ミもフタもない江戸市井のドロドロ犯罪もの描かせたら右に出るものはありません。
文化文政時代特有の、「エロ、グロ、ナンセンス」な少々荒っぽい雰囲気の産物でもあります。

ただ、南北ものは、その後一世を風靡した河竹黙阿弥の作品群と違い、上演のノウハウというものが残っていません。
江戸の文化の中心にいた、江戸の粋のお手本のような役者さん達が上演することを前提に描かれたので、細かい演技や演出の指定がないのです。

黙阿弥は、小団次という上方出身の役者さんと主に組んでいたので、
そして後半は明治時代なので江戸風俗から乖離しかけていた役者さんのために書いたので、
演出の指定も細かく、セリフも江戸の雰囲気が自然に出るように計算されて書かれています。
ある意味フォーマット化された江戸風俗です(それはそれで天才)。

で、南北の時代は、役者さん=江戸風俗、という前提で書いているので、さらに、
七代目団十郎、三代目菊五郎、永木の親方と言われた三代目三津五郎、
女形(おんながたと読むのよ)に、大大夫と異名を取った名優五代目岩井半四郎など、
キラ星のような役者さんがずらずらいた時代なので、もう
「細かいこと言わないからそっちでてきとうに演って」の世界です。
なので今脚本だけ見ても、どういう雰囲気の舞台にしたかったのか後世の我々にはわからないのです。
どんなセリフ回しを意図していたのかすら特定できない状態です。

という理由で、今出る「南北もの」は、
その本来の「江戸の粋」を、われわれに自然なカタチで正しく見せてくれることは、ないと言っていいでしょう。
ストーリーやキャラクターのあざとさがどうしても見どころの中心になってしまいます。

このへんは一度ものすごく長く語りたい点なのですが、まあそういうわけで、南北ものにはいろいろムズカシイ点があり、
本来の姿とはちょっと違う、ということをなんとなく覚えていてくださるといいかもしれません。

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1 コメント

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Unknown (通りすがり)
2011-07-28 18:48:54
記憶違いならすみません。
三五兵衛→三五郎ではないかと・・・。
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