今更間抜けな話で恐縮すが、クレジットカードからでも寄付が出来るのを、本日新聞の紙面で知りました。
なので、あの日以来チョコチョコと、レジで釣銭などを募金箱に託しては来ましたが、本日クレカを使い、〇〇新聞経由で寄付をさせていただきました。
金額は小額ですが、名前と金額の掲載をお願いしました。
掲載していただくべきかどうかは悩みましたが、結局掲載をお願いすることにしました。
何故かって・・・ 決して売名の為ではありません。
今では久しく音信不通になってる同級生や、知人・友人等が 『ケチで自己中心的なあいつが気張ってるなら俺もらもなー』 的にってのも有るかなと思ったからです。
そんなわけですので、新聞で名前を見かけても勘弁してやって下さい。
震災から3週間余りが過ぎましたが、まだまだ余震が続き、緊張した毎日が続きます。
そんな折、所要で海近くへ出掛けたので、被害が大きかった海沿いの様子を見て来ました。
阿字ヶ浦海水浴場・・・常陸那珂港よりの堤防では、釣りをする人が居りました。
常陸那珂港竣工に伴い海流が変わり、消え失せていた阿字ヶ海水浴場の砂浜でしたが、地震の影響でしょうか砂浜が蘇っていました。
しかも以前より、かなり拡大しています。
平磯海岸通りの様子、自動車の通行は大丈夫です。
姥の懐付近の道路はかなりやられていました。
上を通る旧道は大丈夫でした。
那珂湊お魚市場前ドックの一部が崩落していました。
それでも結構な数の人がやって来ます。
壊れたお店の中では営業再開を目指し、小型建機が活躍中です。
森田水産別館のみ本日より営業を再開しました。
お魚市場から那珂川河口に向かってみました。
海門町ふれあい公園・・・ 無残な状態でした。
対岸の大洗アクアワールド 水族館は営業を再開していました。
お客様の自動車が停まっているのが見えます。
とても対比的な光景です。
午後1時前位ですが、海門橋に向かう他県ナンバーの車でプチ渋滞が始まりました。
大洗アクアワールドが無料開放されていたがためらしいです。
ただただ一刻も早い復興を願うばかりです。
昨日やっと水道が生き返ったので、ほぼ普通に近い生活ができるようになりました。
風呂も沸かせました。
少ないですが、震災直後の写真を貼り付けておきます。
とある場所、構内の地割れ・・・目の前で、メリメリと地割れが起きました。
大洗アウトレットモール・・・一階は波に飲まれてしまいショーウインドーは破壊されました。
2階のお店は震災ドロに荒らされたそうです。
アウトレットの駐車場は打ち上げられた砂で砂漠状態です。
放置されたままの車。
大洗港・・・船が堤防に打ち上げられています・・・那珂湊も同様でした。
当然、かあちゃんの店等の付近の施設もやられました。
震災直後に受信した商魂たくましいメールです。
「yahoo ゆこゆこ 楽天 ポンパレ 朝日マリオン・コム」 こいつらはきっとアホなんですね。
2chあたりで思いっきり炎上して欲しいです。
未だに水道が復旧しません。
実家の井戸から水を運び4日振りに風呂に入りました。
当家の風呂は、水道の水圧がかからないと追い焚きができません。
なので台所で大きい鍋にお湯を沸かし浴槽と往復・・・ 約3時間程かかりました。
昭和初期な母はお湯が減ってはいけないと頭髪を洗いませんでした。
私は母をたしなめ母の頭髪を洗ってあげました。
涙が出て止まりませんでした。
天は何故こんな年寄りにまで試練を課すのでしょうか。
2011年3月11日 午後2時40分過ぎの出来事。
地震発生・・・
揺れる揺れる「尋常じゃない」と感じ退避。
ご当地は震度5以下が普通(実際5は記憶に有りません)なので甘く見ていた。
実際、立っていられません。
午後3時20分頃、津波らしき怪しい波発生。
まぎれもなく津波、生まれて初めて見た津波です。
構内には地割れが多発。
突発だったので、当日の写真はこれだけですが、道路は亀裂だらけで橋は段差ができたり通行止めばかりでした。
通常は40分程の道のりですが、信号が駄目で、家に着くまでに3時間半程掛かりました。常澄地区の那珂川沿いを走っている時には、2m位の津波が私を追い抜いて行きました。
家にたどり着きドアを開けたら屋内はシッチャカメッチャカ。
皆が無事だったのが救いです。