斬剣次郎の鉄道・バス斬り

 拙者、斬剣次郎である。たった今から、鉄道・バスを斬る

米米CLUBライブのシャトルバス & 江若交通のエアロ中古

2011年10月16日 12時03分22秒 | バス
 10月15日に米米CLUBの被災地復興支援ライブが比叡山延暦寺で開催され、その
 特別シャトルバス
 が京阪グループにより運行されました。シャトルバスは大津京駅から比叡山ドライブラインなどを経由し、延暦寺駐車場までというルートで運行され、大津京駅発は15時~、延暦寺発はライブ終了後随時運行という形でした。


 シャトルバスに充当された車両は京阪バス、江若交通、京都バスの3事業者で20台が用意されていました。その20台には写真のような紙が掲げられていました。紙には
 定員
 が書かれていますが、シャトルバスは定員となり次第、出発するという形であったため、定員が記載されています。定員が一番多かったのが貸切車の60名です。









 シャトルバスの1号車~7号車は
 京阪バス洛南
 の車両で、定期観光バス用の車両が充当されていました。1号車がC-3808、2号車がC-3809、3号車がC-3828、4号車がC-3866、5号車がC-3884、6号車がC-3989、7号車がC-3990でした。オール日野車という事でした。尚、一部の新型セレガの前面表示には京阪に加え、○号車の表示もなされていました。





 シャトルバスの8号車~11号車は
 江若交通
 の車両で、全て貸切車が充当されていました。江若交通には貸切兼用のブルーリボンなどがいるのですが、今回は純粋たる貸切車での登板となりました。8号車はエルガのトップドア、9号車がセレガ、10号車と11号車がエアロバスでした。エアロバスについては後に詳しく話します。因みにシャトルバスの車両の中で一番注目したのはエアロバスでした。




 シャトルバスの12号車~14号車は
 京阪バス大津
 の車両で、全てBタイプです。12号車がB-1939、13号車がB-3969、14号車がB-1905でした。B-1939にとっては大津転入後初めての比叡山で、比叡山を登るのは山科時代以来となります。つまり、里帰りというような感じです。そして、B-1905は今回のシャトルバスに充当された車両で唯一のノンターボ車です。エアロスターMのBタイプは全てノンターボ車ですが、比叡山を登るときは臨時バスなどでしかないので、ある意味貴重です。



 シャトルバスの15号車・16号車は
 京阪バス山科
 の車両で、全てBタイプです。15号車がB-1211、16号車がB-1219でした。これらの車両は普段に比叡山線に充当されているので、いつも通りですね。


 シャトルバスの17号車は
 京阪バス枚方
 の車両で、B-3833です。今回のシャトルバスで唯一の大阪ナンバーの車両です。遠くからわざわざ駆けつけてきたという形になりますね・・・。とはいえ、B-3833は元山科で、比叡山線に充当された実績があるので、駆け付けたという事でしょうね・・・。


 シャトルバスの18号車~20号車は
 京都バス
 の車両で、全てブルーリボンⅡのトップドア車です。18号車が55、19号車が56、20号車が57です。京都バスについては貸切車が充当されたという形ですが、とりあえず近距離という事でブルーリボンⅡの登板となったようです。実はブルーリボンⅡが貸切として比叡山を登っているところを見かけた事があります。


 シャトルバスは競艇輸送の乗り場で前扉から乗車する形で行われていました。ただ、シャトルバスに乗車するのはライブのチケットが必要であり、ライブの関係者にチケットを掲示し、乗車するという形でした(その場での購入も可能だったようです)。
 シャトルバスは定員となり次第出発という形であったため、15~20分ごとに出発していました。そのため、1号車が大津京を出たのが14時半、20号車が大津京駅を出たのは19時前(私はその前に撤収したため、予想で・・・)だったようです。というか、18時前後にはライブ開始に間に合わせるために定員に達しないまま発車させるシーンもありました。



 次は私が注目した車両ですが、写真は江若交通の
 エアロバス
 です。元淡路交通の車両で、2011年夏に移籍してきたものです。江若交通は京阪グループなのですが、京阪グループ以外から車両を購入したという形になります。これは京阪宇治バスの元高槻市交通部のいすゞLV以来となります。江若交通はいすゞと日野メインで、三菱ふそうは中小型車に3台がいるい程度でしたので、貸切車としてエアロバスを入れたのですから、驚きです。しかも、全国的にレアな中扉付きの車両なので、江若交通は凄い車両を買ったものだと感じたものです。2台とも1998年式のKC-MS829P改です。



 エアロバスは前中扉ですが、貸切車という事もあり普段は前扉のみ使用していますが、中扉は一応
 開閉可能
 な状態で残されているようです。側面行先表示器は撤去され、黒く塗りつぶされていますが、ドア自体は淡路交通時代のままで残されています。


 淡路交通時代のエアロバスです。エアロバスは舞子~津名港・大磯・福良間の近距離高速バス及び淡路~徳島間の路線に充当されていますが、いずれも近距離である事から2扉となっています。中扉から乗車し、前扉で降車するという形になっており、中扉の上には側面行先表示器が設置されています。しかし、1998年式となっているので、いつ全廃になってもおかしくない状態です。


 大津京駅で撮影していた時に北大津養護学校のスクールバスが現れてきました。撮影当日は土曜日ですが、北大津養護学校では文化祭があったため、スクールバスが運行されていたようです。しかも、エアロスターの前面には北大津養護学校の生徒たち自作の文化祭告知のよだれかけが付いていました。文化祭は10月15日だけでなく、11月5日もあるようです(よだれかけより)。

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2 コメント

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Unknown (ロハ☆クレ)
2011-10-19 23:24:45
こんばんは。

やっぱし淡路交通でしたか。こんな特殊なのなかなかありませんからね。

中ドア開けてもらったんですか??
Unknown (斬剣次郎)
2011-10-20 23:43:09
 ロハ☆クレ様
 コメントありがとうございます。

 中扉はたまたま開けていたのを撮影したものです(乗務員氏はぞうぞ状態でした)。2台とも待機中に中扉を開けていましたよ。

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