阿部泰山先生の最高弟であった 伊藤泰苑女史の ”四柱推命学の要約” が、私の手元にあります。泰山先生が他界された一年後に出版されたものです。泰山全集22巻は、初心者には難解でもあり、泰山流:四柱推命学の根幹を誤りなく後世に伝えるべく、要約して出版されたものです。
泰山先生と、泰苑女史との出逢いは、昭和22年頃とされます。漢学者のお父上の血筋を引かれたからでしょうか、運命学の研究に没頭されていた泰山先生は、それまでは教えることはされなかったようです。
泰苑女史の熱心な入門願いに対して 「あなたが自分の辿ってきた苦難の道を顧みて、この学問によって、後進の人々の人生行路の水先案内者になろうというなら教えてあげましょう・・・」 ようやく入門を許可承諾されたそうです。
それ以前にも、弟子入り希望者が何人もあったらしく、入門者は、泰山先生のお眼鏡に叶った方ばかりだったようです。お眼鏡に叶うとは、相手の選り好みではなく、泰山先生は、おそらく、それぞれの人柄を見抜いておられたのでしょう・・・精魂こめて指導しても、他人の欠点、あら捜し、邪悪な考えを起す可能性のある人には許可されなかったのでしょう・・・
それから、20年余りの間に”泰山全集を次々と執筆され、昭和44年に京都市北区、奇しくも私が永年住んでいた地域で他界されました。泰山全集、最後の22巻「滴天髄和解・下巻」は、亡くなる2週間前に完成、泰山先生は病床で待ち構えるように手に取られたそうです。
しかし、悲しいことにお通夜の席では、お弟子さんたちの間で、”誰が泰山流を継承するのか” 誰が実権を握るかで争いがあったらしく、結局は、四柱命式に問題なく、貴命とされる「財官印」が揃っている ”伊藤泰苑女史” が泰山先生の印籠を受け継がれたそうです。
いつの時代も人が集まればその中には、”お山の大将”になって、天下を取らんとする人があるものです。人の面倒を見たり、円満にまとめ役が出来る才覚も人格もなく、権力を傘に他人を指図して威張りたいだけの性格の持ち主です。
私共の自宅教室以外の所でも、こうした傾向がなきにしもあらずでした。しかし、どんなに威張りたくても、Netが使えない人には、お気の毒ですがどうにもならない時代になっています。