東條英機の性格と運勢

2006年08月17日 | 政治

靖国参拝論議が絶えないこのごろ、合祀されているA級戦犯の代表 東條英機 はどんな性格だったでしょうか??四柱命式を調べたところ 生まれ日は、明治17年12月30日 これは戸籍上で実際には、7月30日であることが判明しました。

東條英機の命式(明治17年7月30日生まれ・・・昭和23年12月23日没・享年64歳)

年・・・・正財  庚)劫財・・帝旺

月・・・・比肩  (己)偏印・・

日・・(本人)  (丙)正官・・

<大運>

13歳まで壬申 23歳まで癸酉 33歳まで甲戌 43歳まで乙亥 

53歳まで丙子 63歳まで丁丑 73歳まで戊寅  空亡:申酉

命式に剋が多く 辛に必要な(壬)水がありませんから身は焼けこげます。金は、年上の甲(正財)を剋して「強金弱木」となって殺生を好む性格です。律儀で真面目な反面、金日生まれの特徴として、短気、がんこ、水がないので融通がききません。

後天運・・23歳ごろまでは、天干に(壬癸)冬の運に回って、地支に(亥子)50歳過ぎまでは順調でしたが、大運が丁丑に変わった頃から不調に向かいます。丁は辛にとって天敵、そして終戦から3年目は、大運(戊寅)は接木、人生の変転換期と、運命の12月23日の頃が、ほぼ一致しています。

2 2 6事件の頃から、昭和16年の開戦に至るまでの間は苦心苦悩が多かったものの、17年壬午と18年癸未、この2年間は、まずまずでしたが、翌年から申酉の空亡に入り、戦局はいよいよ厳しく、20年(乙酉)8月終戦、もっと早くに降伏するべきところ、がんこな性格が災いしたのでしょう・・・

 

 

 


元・二子山部屋親方の寿命と生涯

2006年08月03日 | 健康・病気

親方が亡くなって約一年半・・最近、特に健康、病気に関する記事をごらん下さる方が大変多くなっており、古い話ではありますが、健康運、後天運について、親方の生涯を振り返ってみました。

元・二子山部屋親方の命式・・1950年2月19日生まれ

2005年は、(乙酉)比肩絶、大運(甲申)の変わり目の歳に、死去

年・・(正官) (甲・劫財) 帝旺

月・・(正財) (甲・劫財) 帝旺

日・・(本人) (辛・偏官) 絶

大運・・(15歳迄 己卯) (25歳迄 庚辰) (35歳迄 辛巳) 

(45歳迄 壬午) (55歳迄 癸未) 65歳迄 甲申・・ ●昨年(05年)大運が夏から秋に変わりました。

乙日、春生まれの身旺の命式、早くから運が開けて隆盛を極めましたが、命式を詳しく判断しますと 乙木に必要な「火と水」 がありません。土はあっても天干、地支の木に剋されてしまいます。根を張る土なし、つまり「切り花」の状態で、水なしでは、枯れてしまします。土(妻の星)に根がないので妻は離れていく、子供(金性)のために苦労が多いのです。

後天運は、55歳から秋の運に移り、命式に(土、水、火)のない乙木には、不利な運にまわります。親方の生まれ時刻はわかりませんが、おそらく(水と火)喜神の五行はなかったものと推定します。死因は口腔内の癌、木日の生まれは、首から上の病に罹りやすいといわれています。

親方に限らず、大運の変わり目、特に衰運に向かう時には注意が肝心です。30年に一度の人生の曲がり角の「橋」を無事に渡れるか、どうかです。