元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.958  「愛宕神社」のお話。

2012年12月17日 | 日記

「愛宕神社」のお話。      東京の旅の3日目の朝食前、私は宿泊しているホテルの裏手にある「愛宕神社」に参拝することにした。この「神社」は慶長8年(1603年)、江戸幕府、徳川家康の命により≪防火の神様≫として祀られたという。まず正面の大きな「鳥居」をくぐり、正面の86段ある急勾配の≪石段≫から登り始めた。想像以上の急な勾配のため、私は一気に登りきることができず、途中で2回ほど休憩を入れて登った。

この≪石段≫が「出世の石段」、別名≪男坂≫とも呼ばれており、≪石段≫を登りきった標高26mの愛宕山の山頂にこの「愛宕神社」を見ることができる。「出世の石段」とは、江戸時代、馬でこの急な階段を一気に駆け上がり、紅白の梅の枝を折って徳川家光に献上し、その後、出世した「曲垣平九郎」の故事に由来している。早朝のため、参拝者は数人しかおらず、境内周辺はひっそりと静まり返っていた。

境内には趣きのある≪池≫がある。その池には錦鯉が悠然と泳いでおり、小船が浮かんでいる光景や色づいた紅葉も見頃で私の目を楽しませてくれた。「愛宕神社」の周辺には高層ビルが建ち、そのビルの間から「東京タワー」を見ることがでる。私は参拝した後、帰り道は「女坂」と呼ばれる緩い勾配の階段を利用して別のルートで降りてきた。

「愛宕神社」は多くの人間で賑わう都心の中で、“ぽつり”と残った≪オアシス≫的な存在として、人々の心に“安らぎ”を与えている場ともなっている。 

(追伸)  

 私がこれまで使っていた「E-mail」のアドレス⇒ 「1946217yo@sina.cn」が数日前から繋がらなくなりました。今後、私宛に連絡のある方は、お手数でもこちらの 

  「E-mail」のアドレス⇒ 「yo19462177@mail.goo.ne.jp」を使用してください。よろしくお願いします。

「愛宕神社」の正面入口。

「愛宕神社」            鳥居の下をくぐり抜けると「出世の階段」がある。

「愛宕神社」

「愛宕神社」           下から見てもかなりの急勾配の階段。

「愛宕神社」          上から見ると、もっと急勾配に見える階段。

正面の突き当りが「愛宕神社」。       

梅の枝を折って徳川家光に献上し、その後、出世した「曲垣平九郎」の故事に由来している「将軍梅」。

「愛宕神社」        顔を入れて記念写真を撮る看板。

「愛宕神社」の椿と灯篭。

「愛宕神社」         招き石。この石をなでると≪福≫が身に着くという。私もなでてきた。

「愛宕神社」の境内に池があり、錦鯉が泳ぎ、小舟が浮かんでいる。

「愛宕神社」             悠然と泳ぐ錦鯉。

「愛宕神社」           赤い椿の花も咲いていた。

「愛宕神社」

「愛宕神社」の日本庭園を思い出す≪池≫。

「愛宕神社」

「愛宕神社」              池に落ちた紅葉。

「愛宕神社」

「愛宕神社」

「愛宕神社」の周辺は高層ビルが立ち並んでいる。

「愛宕神社」        ここから「東京タワー」も見える。

「愛宕神社」          「おみくじ」を結び付けてある光景。

「愛宕神社」             帰りはこちらの傾斜の緩い「女坂」を下りてきた。

「愛宕神社」






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1 コメント

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Unknown (平本恭子)
2012-12-21 21:47:55
中国の大切な大切な皆様方へ。お久しぶりです。平本恭子でございます。例の尖閣諸島のことなんですけど、前から申し上げているとうり、私は『中国に無料でくれてやっていい。』と思っているんですけれど、日本に住んでいると、
なかなか、そうは、口を大にしては言えなくて。わたくしの辛い気持ちも察して頂ければ、幸いに存じます。私はかねてから、体調がよければ、北京大学か吉林大学か黒龍江大学に留学して、中国の為に働いて、中国に骨をうずめてもいいと考えているんですけれど、45歳になってしまって。
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