田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

精神原動力としての人の誇り、矜持

2009年01月15日 12時39分34秒 | 時評
デフレスパイラルだ。元気というのは、肉体的に問題がないことだけを言うのではなく、精神的に気合いが入っている状態のことを言うのだと思う。精神的に気合いが入るのはどういう場合か。自分や家族に嬉しいことがあったとき。人と出会い交流したとき、人とふれあい、意を通じたとき。精神的に気合いがみなぎるのは、大体自分かその近辺に良いことが起きるか起きる可能性がある場合である。こういうとき人は元気になる。しかしその気合いというものは、右から左に移入されるものではなく、一定の年月をかけて培われてきた精神に発するものだ。その精神の原動力は、時間をかけて培っている意識の固まり、魂といったものであろう。これを気質といっても良いし、誇りといっても良い。気質、誇りは実は狭い範囲にある独特な精神現象である。たとえば、人類の気質とか人類の気質なんて言うものはない。しかし、アメリカの気質、アメリカの誇りといったものは確かにあるし、空間的に切り分けて行くほど、個性が増し強さも増していると言えなくはない。これを偏狭性といって悪い側面で見ることもあるが、たとえば、広島人、鹿児島人と言った県民性とか、東大生気質、早大生気質などというとらえ方もある。しかし学生気質とか言うものはないようだ。こういった風土とか人間の集合形態に発する環境から来る気質や誇りといったものが、それぞれの世間の中で大変な結合エネルギーを持っていることに気づかなければならない。経済力を形作っているものは案外、人と人との結合エネルギーに負うものである。個人主義の、況わんや個人責任主義の横行する今日、経済力がもろくも頓挫するのは、人々の結合エネルギーを殺ぐような暴力を使ったからであろう。今名門といわれた大企業が、雇用問題を通じて屋台骨がぐらぐらしてきている。往時はいかなる企業であれ、三菱マン気質とか、国鉄一家とか、何とか一族とかと言われるような、帰属意識が結合エネルギーを発揮して、融通無碍の組織構造を保持し、不景気を緩和していたのではないか。今日、企業は世界のどこからともなくやってくる「冷たいお金」に支配され、組織を作っている人間、すなわち企業社会や取引関係を暴力的に解体に導いている。これは解体されればほとんど修復不可能であり、畢竟、企業は冷たいお金の支配するところ、力の強いところに吸収されて、消去されるのである。こうして消去された企業の数は山ほどあり、冷たいお金の流れの向こう側で、社会が健全性を喪失していくのだ。これが今日の姿だとすれば、いかに社会は「気質」とか「誇り」を守るか、あるいはそれを大切にした人間活動を、どんな種類のものであっても・・・展開するか、文化でも政治でも、スポーツでも、人間が縁(えにし)を持って集まっているところの結合エネルギーをいかに開放するかである。

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