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石頭とは?


明日を忘れて飲む酒に満ちる愛

9月16日(日)

 石頭とは? 頭突きが得意な・・・それはちがうか。
 歳を重ねるほどに石頭になって思考も嗜好もカチンコチンになってしまうというけれど、ほんどうだろうか。ひとくくりにはできなくて、それは個人差じゃないかなと、最近強く思うようになってきた。
 どうしてかというと、いまリアルタイムに影響を受けているのは、先輩方が書かれている本や発言だから。若者よりも革新的だし、保守的ではない。それに創造力も想像力も半端ではないのだよ。
 経験というじぶんだけのエッセンス(ある意味、スキル)に、新しいエキスを注入してエンジン(体力もいるけれど)を回す、これは強力なマシーンじゃないか、サイボーグ知能になるんじゃないか、なんてことを思った。
 とうぜん体力は落ちていくだろうけれど、知能は衰えないのでは? きっと意識も若いはずだよね。いまのじぶんを考えても、少年の頃の意識にかなりの部分を占領されているもの。



 おとなには二通りのおとながあると聴いたことがある。それは、「おとなになりたくておとなになった人と、時が流れてしかたがなくおとなになった人」。なるほどと、思った。もちろんワタクシは後者であります(だから幼稚なのか)。

 戸籍年齢で歳を計れなくなってきているんじゃないかな。時間は一定だけれど、それぞれのなかに流れる、積み重なる時間は違うはず。だから、そろそろ「ひとくくり思想」は捨てた方がいいね(ワイドショーのコメンテーターに言いたい)。
 くくってしまうと、楽だし、なにも考えなくていい。それだけは避けたいので、「天の邪鬼思考」は持ち続けたいと思っている。もちろん、じぶんの考えに対しても、「天の邪鬼思考」で、どんどん斬り込んでいかなくてはいけない。活性に必要なのは、刺激だ! 持論だ!


「うちめし」


こんな昼ごはん、久しぶりです。
たまにはいいものだな。







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