5月3日PM5時より長谷部先生のオープニングパーティーと
思いきや、長谷部夫人が交通事故で急死ということで、先生は
見えず、我々がわいわい飲む事になった。
会場一杯の作品は圧巻で、会場とマッチして成功の展覧会と確信す。
私ごときがい云うのは変だが「長谷部はここにきて力をつけ見られ
るようになったと言うべきではないか」ご覧頂いてそのモノトーンの
紙切れ画は、砂のなかにいるようで、且つ宙を舞うような砂漠の
空間であり、ぺッぺッと思わずつばを吐きそうに思うが、はいても
はいても、その砂の苦味は口に残り、いつまでもいつまでも心に
残るのである。
酒が進んだ頃、私は何か喋ることになった。序で(長く)佐藤和行氏が
お話をされた。佐藤(縄文人)は、作家であり、何回も協同展をやった
作家同士であるから当然だし皆も納得する。小生は少し恐縮した。
終わって最後、2次会にも行った。
柴野、霜田、マツシマ(だったと思う)、私の4名だったと思う。
こんな展覧会後の酒は久しぶりである。
夜柴野さん宅に泊めていただいた。
翌朝、奥様の言われるには私のいびきがひどかったそうである。
忘れられない柏崎の夜になった。
思いきや、長谷部夫人が交通事故で急死ということで、先生は
見えず、我々がわいわい飲む事になった。
会場一杯の作品は圧巻で、会場とマッチして成功の展覧会と確信す。
私ごときがい云うのは変だが「長谷部はここにきて力をつけ見られ
るようになったと言うべきではないか」ご覧頂いてそのモノトーンの
紙切れ画は、砂のなかにいるようで、且つ宙を舞うような砂漠の
空間であり、ぺッぺッと思わずつばを吐きそうに思うが、はいても
はいても、その砂の苦味は口に残り、いつまでもいつまでも心に
残るのである。
酒が進んだ頃、私は何か喋ることになった。序で(長く)佐藤和行氏が
お話をされた。佐藤(縄文人)は、作家であり、何回も協同展をやった
作家同士であるから当然だし皆も納得する。小生は少し恐縮した。
終わって最後、2次会にも行った。
柴野、霜田、マツシマ(だったと思う)、私の4名だったと思う。
こんな展覧会後の酒は久しぶりである。
夜柴野さん宅に泊めていただいた。
翌朝、奥様の言われるには私のいびきがひどかったそうである。
忘れられない柏崎の夜になった。