デジタル日記

あらゆることに興味を持って身辺雑記をデジタル配信

3月27日(2)十日町

2009-03-28 15:58:42 | 雑記
久しぶりに十日町に出る。私はどうしても、六日町方面の路線が
好きで、多少の縁があり、行くが、十日町は珍しい。
既に発展している東に比べ、西口の広いエリアの開発は魅力で
ある。十日町西口広場の写真は駅前のモニュメント。
十日町の開発は、彫刻の町としての企画。町おこしを藤巻秀正氏
などをリーダーとして進めてきており、この動きは、
十日町妻有トリエンナーレの動き(北川フラム氏リーダー)と別個
となり、二つの文化運動がそれなりに、これまで消化してきたもの
と思う。
広めの町を見ると、今後の発展が期待できそうに思う。

3月27日上越の山中をさすらう

2009-03-28 15:43:51 | 雑記
高田に行き、そして山道を十日町まで行こうと決意する。
高田から405号線を行き、安塚方面を目指す、霙の視界が雪道に
変わり、傾斜の急な山襞を行くのは厳しく、途中経塚峠のあたりで、
間違い菅沼、朴ノ木方面をさまよう。戻り、安塚、細野の403号に
切り替えてからは、うまくいった。「月不見の池」などの銘酒があるのも
この辺。その沼が点在し、山又山の風情は写真に撮ったが、うまく
撮れたかどうか。

3月21日句会

2009-03-22 14:56:29 | 雑記
3月21日(土)ピエロク会に参加。車に乗り、
関原か大積みの飲み屋に出かけ ピエロク会を
楽しむ。
大学のT先生が煮込みを食べられないのには驚いた。
三条のただしさんも、運休も皆健在である。
十両(わたしの句のレベルが低いこと)の身では
大した能書きもいえない。
又字が下手で読みにくい字を書いたことも反省する。
小生は、飲みすぎである。良い俳句はできない。
出題に「つむじ風」を出し、これに割合良い他人の作句に
良いものが多かったと思う。
つむじ風は、春によく起こる風であるが、他の季節にも
出来るため春の季語にはならないようだ。
梅崎春生の「つむじ風」を小生は思い起こしている。
梅崎の時代。戦後であり、貧しく、気概のあった時代。
無意味に太り、無意味に年を重ねる今の時代が好きでは
ない。
梅崎の時代は文学青年は安いから焼酎を飲んだ。今は
銘柄に懲り高い焼酎を選んでいる。ああ


最近二人も就職希望者の訪問を受けた。

小さい吾に職を求める人 日に二人

3月15日(日)小川氏の展覧会に参加

2009-03-16 17:39:59 | 雑記
小川宏氏の個展:ギヤラリー MU-ANで開催というので、
午後4時のオープニングパーティーに参加。
今回はモノクロの刷毛で描いた平面。抽象書道みたいでも
あり、独自の世界を楽しんでいるようでもあった。
何か一人づつ喋らなければならず、質問しないのを攻められ
閉口したが、ただ酒を飲まんとする根性ではやはりいけないので
あろう。
論客の小川氏は作品よりも論議が過ぎているように思う。
長岡で文化・芸術を語るときに欠かせない論客の一人では
あられるが。

3月14日午後、事業創造大学院大学

2009-03-16 17:32:21 | 雑記
いずみだ後援会のさなか、H社のM氏に誘われ、中座し私は、
事業創造大学院大学の講演会に参加
1)まずNSG総帥の池田弘の講演を聞いた。1時間半。決して
飾らず、普通の地力で話すのに、厭きさせない物がある。
池田氏には力があるな。久しぶりに思った。
終わって質問が一つも出ない。私はともかく、学生諸君。
必ず質問する喰い入るような気構えで人の話を聞いて
いなければ駄目だよ。
2)番目の話をカットして帰った。
県内にもいろんな大学があるものである。

3月14日いずみだ裕彦後援会総会:於ANAホテル

2009-03-15 10:24:33 | 雑記
休みの土曜日、新潟であるが頑張って新潟に出かけた。
泉田知事はお若く、華やかな所があり、期待している。
一番はじめの選挙に協力したいきさつがあり、未だに
(小生自身に)応援団末席の気分がある。
「東京に物流をプサンから運ぶに、プサンー横浜より、
青森を経由して佐渡沖を通る方が近い(安い)後は、
新潟港なりの整備の問題である。」
という意味のことを言われたが、
経済的なピンチはチャンスと捉えているという知事の
話には魅力があった。
旧知の先輩の多くの方にお会いできてよかったと思う。
北都宮口会長、新潟総合警備 会長、田村会頭、地主いずみだ後援会
事務所事務局長など




ANAクラウンプラザHOTELにて
なお会長が上原明氏より敦井氏に代った。


韓国よさらば

2009-03-03 19:05:32 | 雑記
今回は、デジカメを持っていくのを忘れた。そこで使い捨てカメラを
買ったが、鼻水ながら何とか風邪を引かず、よく持ちこたえた
と思った。
従来の海外旅行は必ず現地の方とじっくり語る人が出るものである。
それは大体美術関係者や骨董商や美術館学芸員である。今回は
あまり突っ込んだ話はできなかった。
しかしハングルが完全お手上げはひどく次回は必ずものにしなければ
ならないと思った。

26日(木)韓国よさらば

2009-03-03 18:48:55 | 雑記
帰りのバスの中で女性の金さんはソウルの地図を見て
にらめっこをしている私に「あなたは、よくソウルの
お勉強をしましたね」といわれた。私が「あなたが
幼稚園の先生で私は生徒のような気がする」と言うと
「そうですね。失礼かも知れませんね」と言う。彼女は
主人や子もいる夫人であるが、喋べりは柔らかい。しかし
志は地位を得て成功したい。その気持ちが言葉の端々に出て、
急にチャンスを得て、成功した人が気になるようだ。
このような方は旅行業者として独立する人だと思った。
つまりこのような根性のある女性に(日本の女性:特に
当社の女性は)なって欲しいものだ。
金さんは最後に我々にネクタイを1本ずつくれた。写真
は、後日それをしている小生の姿。
カメラマンとして同行してくれた男性に、最後に日本円で
¥9,600-をとられた。旅行代¥69,000-の所
写真代¥9,600-とは大きいのではないか。とても
不満である。800円掛ける12枚の意味である。

26日(木)

2009-03-03 18:24:30 | 雑記
風呂に入り、朝食をすませると、勘定を済ませてバスに乗る。
朝食で食べた サラダの酢のタレが恐ろしくうまかった。疲労に
あったのだろう。
お寺に着いた後、後は一人行動でインサドン(仁寺洞)を歩く。
東京の本郷のような銀座のようなこの街は流石に私に合い、色んな
店を見て廻ったが、東部運送の川崎さんとあった。彼は私と違い
陶器を少し買っている所がにくい。行く先々で会う事になるが
流石に趣味が良い。
筆を買う。店の人が3万ウオンといので 私が2万ウオンと書くと
最後に2万5千ウオンで1本の筆を買った。
銀座の画廊がなくなる。という時代の流れは、5年前位。あるいは
7年前位か。感じた「変わり目」はあるものだ。古い骨董店は流石に
インサドンには半分位は無くなっていて、その分新しい店が出来ている
のは時代というものだろう。

写真は現代風画廊のような雨だれのような 金属の造形が外から見える
ミニ美術館

「どの店をさがしているんですか?」日本語で話しかけてくる老人。その
日本語はうまく正確である。彼は「あなたの旅行がうまくいきますように」
と平安を祈ってくれた。このインサドンには流石に金持ちの紳士と思われる
韓国の方が歩いていて人間が歩くのはこの街であると感じさせる。
ウオン安がひどいのだから、時間と金があれば韓国骨董は叩けるような気が
してならない。しかし八角形の座卓は日本で私でもプロに1,2万位で直ぐに
売れるような気がするが、ここの商品は8万円や6万円位で、どう踏んでも
4万円位から下がらない値段づけである。
つまり素人(私)には買えないのである。
掛け軸でも木の家具でもトラの絵でも丁寧に見て一つ買いたい所だった。
時間のせいであまりわがままはいえない所である。
私は急いで昼食会場に向かった。





カジノ③

2009-03-03 18:13:22 | 雑記
夜の9時半位からはじめ、夜中の2時半位で人が減ってきたように思う。
時に3倍位のチップが増えたが、これを換金する方法が私にはわからない。
朝の4時半位に全部のチップをすり、歩いてホテルまで帰ることにする。
韓国の治安が如何に良いか昼間 郭社長が自慢していたので安心して
ソウル駅をまくように下がり、ホテルに向かった。ホテルまで1時間は
かかったろう。遊びほうけてカジノで全部する。とぼとぼ歩きながら私は
久しぶりに本当に面白かったなあ。と思った。
ホテル近くで一人の男に大声で呼び止められた。
「イルボン ホテルに帰る所」と私は咄嗟に答えた。「ああイルボン
(日本人)か」彼は納得したようだ。この世界用語の一つ「イルボン」は
韓国3回目であるから自然に出たのである。