4月24日長岡市の青善にて河井継之助記念館友の会の総会と記念講演会が開かれた。
講演は只見町の飯塚恒夫という方の「八十里越と只見代官丹羽族」でこの講演で、
丹羽族(にわやから)という人が、継之助ら東軍が、会津に落ち延びる、中継地の
只見での逃げ延びた侍や殿様など一団の兵糧補給の指揮に当たった人で、災害被災地
救助援助のリーダーの元祖のような人であることと理解した。最後兵糧が充分調達でき
なかった責任を取り、自刃することになる話には感動した。
先立つ総会には、牧野の殿様(友の会顧問)が友人のニコルさんとの交流をホームページ
に載せてもらうようにスタッフに頼んだらスムースに作業を進めてくれて良かった。と
お話があり、その下請けのマイネットとしては面目がたった。
始めの下田会長のお話では、今年4月13日に来館者数4万人を越えたそうで、一昨年
12、000人、今回の1年で14,000人と増えたことが報告されて良い傾向だと
思った。因みに山本五十六記念館は11年で20万人の来館者数ということで、約
年間18,000人余である。われわれも努力で年2万人までもって行きたい。