Marco blog

Que Sera, Sera / marco library / 北の旅人

“つがる”

2011年10月11日 | Marco library 『太宰治』
(火)|大安|札幌のち|最高気温/16

午後のサッポロ、
多少風が出てますが晴れです。


ダリアの花、9/21撮影。

名曲♪


太宰治著「晩年」新潮文庫 514円(税別)

太宰のペンネームを変換すると先ず「堕罪」が現れます。
治の子(はるこ)と娘につけました。
(1909-1948)明治42年ー昭和23年です。
私の父が明治40年、母が明治43年生まれで同時代。
おなじ青森県生まれ。
太宰治は青森県金木村がルーツでマルコの両親は今別町。
ネットマップで見ますと、そこそこ近い。
残念ながら両親は鬼籍に入りたずねることは出来ません。
ここまで書いて思い出した。
両親は長女を連れて樺太に渡り、
終戦の引き揚げでは函館にあがり青森には戻らず北海道にとどまった。
太宰が昭和23年没ですから、話題にも上がらない訳です。
作品の中で数冊は読んでいると思いますが「人間失格」以外は失念。
秋に差し掛かり、ここらで太宰作品をすべて読み終えるべく大胆行動に、先ず最初に手にしたのが「晩年」です。
最初の短編集が晩年とは!
一般的に表題の作品があるんですが、こちらは存在しません。
作品を入れた紙袋に「晩年」と書かれていたそうです。
生誕100年が二年前ですか、その時期かなり話題になりましたね。
またまた、新しいカテゴリー【マルコP文庫『太宰治』】読書備忘録です。
太宰作品を読破するまでブログが続いているか、どうか?
はたまた、なりあいは‥‥‥。
ひと月に、一冊で何年かかる。

「晩年」ー短編集ー
〔葉〕の書き出しが「死のうと思っていた。」です。
〔猿面冠者〕で「書き出しの一行で、もはやその作品の全部の運命が決するものだと信じていた。」と。
〔魚服記〕は悪漢、〔猿ヶ島〕は、まんまとだまされかけた。
〔思い出〕の一節
「それはいつか学校の国語の教師が時業中に生徒へ語って聞かせたことであって、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれていて、それがするすると長く伸びて一方の端がきっと或る女の子の同じ足指にむすびつけられているのである、ふたりがどんなに離れていてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとい往来で逢っても、その糸はこんぐらかることがない、そうして私たちはその女の子を嫁にもらうことがきまっているのである。」
手ではなく、足の小指だったの!?

〔次回作の予定は斜陽
つづく。





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