雨があがって、今日は五月晴れ。風が強いけれど。
4月23日のNHK BShiでの宮城谷氏の後半部分の話しを録画で見た。
「宮城谷昌光が語る 中国・戦国時代」(後編)。
孟子の井戸を掘る話が紹介されていた。
ワタシ自身の「プア」に大いに関係するので、それに触れる。
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【1】 何かをなすということ
-------------------------------
●孟子曰、有爲者辟若掘井、堀井九靱而不及泉、猶爲棄井也
(訓読)孟子曰く、為すことある者は例えば井を掘るが如し、井を掘ること九靱(きゅうじん)、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり(盡心章句上)
(通釈)何かをなすということは、たとえば井戸を掘るようなものだ。九靱(約14.2m)の深さまで掘ったとしても、水脈に達しないうちに止めてしまったのでは、井戸を棄てたのも同然である。
井戸をいくら深く掘っても水が出なければ意味がない。
自分はこんなに深く掘ったぞ、というのは単なる自己満足。
井戸は水が出るまで掘るものだ。物事は途中で放棄するな、という戒め。
氏はもう一つ紹介していた。
これはよく知られている。「木に縁(よ)りて魚(うお)を求む」
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【2】 努力をするには
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●以若所爲、求若所欲、猶縁木而求魚也
(訓読)若(かくのごと)き為す所を以って、若(かくのごと)き欲する所を求むるは、なお木に縁(よ)りて魚(うお)を求むるがごときなり(梁恵王上)
(通釈)かくのごとき方法で、かくのごとき欲求を満たそうとするのは、丁度木によじのぼって魚を求めるのと同じことである。
魚をとるのに木に登るような間違った手段をとる、即ち、方法を誤ると目的を達するのは不可能、という戒め。
この二つは、宮城谷氏が印象に残った言葉を紹介したもの。
判る人は、これら孟子の言葉で、人の世のありよう全てを理解する。
しかし、プアなワタシは、孟子の戒めそのままに、
つまり、「やってはいけないよ」ということを、
その轍を見事そのままに踏襲し、そしてプアな人生を歩んでいる。
だから、というわけではないが、一言、先生(孟子)にお聞きしたい。
そして、願わくばこの哀れなプアに是非ご教授を賜りたい。
無論、上を比喩としておっしゃっていることを承知の上で。
ということで申入れをした結果、今般、孟子との面談が実現したので、当ブログに収録する。
(この面談内容は歴史的な出来事かも? とワタシは勝手に独り言。)
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■ 孟子 vs プア 問答(?)
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【1】 而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり
井戸を掘るに、どこでも掘れば良いものではないことは誰もが知っておりやす。
しかし、掘る場所の選定には、名人はいざ知らず、凡人にはリスクが伴いますよね?
予定の深さまで掘って水が出ない場合、さてどうすればよござんしょう?
撤退するか、それとも更に掘り進めるか、の判断が必要でござんす。
以前のブログ(2008-12-05、絶対に成功する方法(2))で福岡氏(青学大教授)の話しを引いた、
それと同じ内容でござんすが、この判断は容易じゃあござんせん。
○○mと目標を決めて掘り進め、そこまで掘っても水が出ない場合はどうすればよござんすか?
更に次の目標まで掘っても出ない場合は?
申すまでもなく、途中で放棄すると成果は得られやしません。
一方、そのまま進めても、成果を得る保証はありませんやね。
A氏は3mで水が出た。B氏は10mで水脈に達した。
ワタシは、500m掘ってもまだ水が出ない。
仕方がないので、今、もう100mと思い、更に掘り続けておりやす。
それでも、まだ水は出ません。
先生、ワタシはどうすべきでありましょうや?
お言葉に従い、
ここまで来たら、気分としては、地球の裏側まで掘ってやろうとは思っているんですがね。
今となっては、もう意地でござんすよ。
手段と目的がさかさまになって、今では掘るために掘っている毎日でございやす。
勿論、不測の事態を想定し、昼間掘る以外に別の井戸を掘ったこともございやす。
夜も寝ないで100mほどを数本掘りやした。
いずれも水は全然出ないのでやんす。
最近はだんだんと疲れてきて、スピードが落ち、1年で1mほどがせいぜいで、
遠からず、くたばってしまいそうなんでやんすが。。。
(先生があきれてしまい、返答なし。)
ところで先生、先生は実際にご自身で井戸を掘ったご経験は?
大変僭越ながら、掘ったことがないのなら、例えにせよ、余り触れない方が宜しいのでは?
あ、これは、亜聖と呼ばれるお方に大変失礼いたしました。
今の発言は無かったことに。
【2】 木に縁りて魚を求む
確かに、木に登っても魚は得られませんねぇ。
しかし、そんな子供でも判ることは誰もしませんやね。
え? - 今の日本の政治家や役人は、そうした子供の判断もできておらんではないか?
イヤハヤ。お説、ごもっとも。それをおっしゃられると、返す言葉はござんせん。
それらアホどもはワキへ置き、
努力の方向や手段が正しいのか、間違っているのか、その判断がつかない場合が問題でやんすよ。
この世の中、絶対に正しいと断定できるものは少ないですからなあ。
人は、正解の確率が高い方法で何かに挑み、結果として間違うこともありますがね。
正しい筈でも、環境や状況の変化で、間違った道に流されることも。
先生、それら正誤をどう判断するかの要諦をご教授願いたいんでやんすが。
ワタシだけじゃあなく、ついでに日本の各界のリーダーに対しても。
つまり、先生の様な高潔高邁鋭敏なる判断力が欲しいんですけど。。。
ワタシの様なアホにも分かる様に。
そうですか、修養しかありませんか?
その場合、修養するための基礎能力が欠けてる者、すなわちプアはどうすべきでありましょうや?
あっ、ついに秘伝をご教授いただいた!
え? 「プアにつける薬はない?」
ありがたい孟子の教えも、ついにプアのアタマには入らないようでございます。
あ~あ、プアはいつまでたってもプアでありますなあ。
=蛇足&後記=
ところで、先生、魚を得るにはどこへ行けば宜しいので?
え? 海なり、川なり、池や湖に決まっておる?
先生が生きておられた時代はそうかも知れませんなあ。
先生はご存知なくても当然なんでやんすが、
ご参考に申しやすと、今の中国は、海や川には魚はいないのでござんす。
もう獲りつくしてしまいましてな。
いたとしても、水が汚くなり、とても食べられたもんじゃあござんせん。
汚染物質で変な病気になる覚悟があるなら別でやんすが。
せいぜい養殖場かと思いやすが、それも最近は問題が出ておりましてな。
従って、正解は、水がきれいな、川や湖の水源近く、つまり山の中が魚を得る場所なんでがんす。
更には、稀に、魚を空輸してきた飛行機がアクシデントに遭遇し、荷物がバラバラに放りだされることがありやしてな、
つまり、魚は空からふって来るのでやんす。
ということで、魚を得るには山の中へ行くのでやんす。
そして、場合によっては、木に登って網を使うのも魚を得る方法の一つでありんすよ。
今の中国では。
先生が、間違った手段とおっしゃった方法は、今では正しい方法なんでがんす。
何が正解かは、なかなか難しいものでござんすなあ。
以上で面談は終わったが、帰り際に、先生が一言つぶやいておられた。
よくは聞きとれなかったが、次の様だった。
『後世、アホとプアだらけの世界になり、世の正邪がおかしくなるとはのう。世も末じゃ』
4月23日のNHK BShiでの宮城谷氏の後半部分の話しを録画で見た。
「宮城谷昌光が語る 中国・戦国時代」(後編)。
孟子の井戸を掘る話が紹介されていた。
ワタシ自身の「プア」に大いに関係するので、それに触れる。
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【1】 何かをなすということ
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●孟子曰、有爲者辟若掘井、堀井九靱而不及泉、猶爲棄井也
(訓読)孟子曰く、為すことある者は例えば井を掘るが如し、井を掘ること九靱(きゅうじん)、而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり(盡心章句上)
(通釈)何かをなすということは、たとえば井戸を掘るようなものだ。九靱(約14.2m)の深さまで掘ったとしても、水脈に達しないうちに止めてしまったのでは、井戸を棄てたのも同然である。
井戸をいくら深く掘っても水が出なければ意味がない。
自分はこんなに深く掘ったぞ、というのは単なる自己満足。
井戸は水が出るまで掘るものだ。物事は途中で放棄するな、という戒め。
氏はもう一つ紹介していた。
これはよく知られている。「木に縁(よ)りて魚(うお)を求む」
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【2】 努力をするには
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●以若所爲、求若所欲、猶縁木而求魚也
(訓読)若(かくのごと)き為す所を以って、若(かくのごと)き欲する所を求むるは、なお木に縁(よ)りて魚(うお)を求むるがごときなり(梁恵王上)
(通釈)かくのごとき方法で、かくのごとき欲求を満たそうとするのは、丁度木によじのぼって魚を求めるのと同じことである。
魚をとるのに木に登るような間違った手段をとる、即ち、方法を誤ると目的を達するのは不可能、という戒め。
この二つは、宮城谷氏が印象に残った言葉を紹介したもの。
判る人は、これら孟子の言葉で、人の世のありよう全てを理解する。
しかし、プアなワタシは、孟子の戒めそのままに、
つまり、「やってはいけないよ」ということを、
その轍を見事そのままに踏襲し、そしてプアな人生を歩んでいる。
だから、というわけではないが、一言、先生(孟子)にお聞きしたい。
そして、願わくばこの哀れなプアに是非ご教授を賜りたい。
無論、上を比喩としておっしゃっていることを承知の上で。
ということで申入れをした結果、今般、孟子との面談が実現したので、当ブログに収録する。
(この面談内容は歴史的な出来事かも? とワタシは勝手に独り言。)
-------------------------------
■ 孟子 vs プア 問答(?)
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【1】 而も泉に及ばざれば、なお井を棄つと為すなり
井戸を掘るに、どこでも掘れば良いものではないことは誰もが知っておりやす。
しかし、掘る場所の選定には、名人はいざ知らず、凡人にはリスクが伴いますよね?
予定の深さまで掘って水が出ない場合、さてどうすればよござんしょう?
撤退するか、それとも更に掘り進めるか、の判断が必要でござんす。
以前のブログ(2008-12-05、絶対に成功する方法(2))で福岡氏(青学大教授)の話しを引いた、
それと同じ内容でござんすが、この判断は容易じゃあござんせん。
○○mと目標を決めて掘り進め、そこまで掘っても水が出ない場合はどうすればよござんすか?
更に次の目標まで掘っても出ない場合は?
申すまでもなく、途中で放棄すると成果は得られやしません。
一方、そのまま進めても、成果を得る保証はありませんやね。
A氏は3mで水が出た。B氏は10mで水脈に達した。
ワタシは、500m掘ってもまだ水が出ない。
仕方がないので、今、もう100mと思い、更に掘り続けておりやす。
それでも、まだ水は出ません。
先生、ワタシはどうすべきでありましょうや?
お言葉に従い、
ここまで来たら、気分としては、地球の裏側まで掘ってやろうとは思っているんですがね。
今となっては、もう意地でござんすよ。
手段と目的がさかさまになって、今では掘るために掘っている毎日でございやす。
勿論、不測の事態を想定し、昼間掘る以外に別の井戸を掘ったこともございやす。
夜も寝ないで100mほどを数本掘りやした。
いずれも水は全然出ないのでやんす。
最近はだんだんと疲れてきて、スピードが落ち、1年で1mほどがせいぜいで、
遠からず、くたばってしまいそうなんでやんすが。。。
(先生があきれてしまい、返答なし。)
ところで先生、先生は実際にご自身で井戸を掘ったご経験は?
大変僭越ながら、掘ったことがないのなら、例えにせよ、余り触れない方が宜しいのでは?
あ、これは、亜聖と呼ばれるお方に大変失礼いたしました。
今の発言は無かったことに。
【2】 木に縁りて魚を求む
確かに、木に登っても魚は得られませんねぇ。
しかし、そんな子供でも判ることは誰もしませんやね。
え? - 今の日本の政治家や役人は、そうした子供の判断もできておらんではないか?
イヤハヤ。お説、ごもっとも。それをおっしゃられると、返す言葉はござんせん。
それらアホどもはワキへ置き、
努力の方向や手段が正しいのか、間違っているのか、その判断がつかない場合が問題でやんすよ。
この世の中、絶対に正しいと断定できるものは少ないですからなあ。
人は、正解の確率が高い方法で何かに挑み、結果として間違うこともありますがね。
正しい筈でも、環境や状況の変化で、間違った道に流されることも。
先生、それら正誤をどう判断するかの要諦をご教授願いたいんでやんすが。
ワタシだけじゃあなく、ついでに日本の各界のリーダーに対しても。
つまり、先生の様な高潔高邁鋭敏なる判断力が欲しいんですけど。。。
ワタシの様なアホにも分かる様に。
そうですか、修養しかありませんか?
その場合、修養するための基礎能力が欠けてる者、すなわちプアはどうすべきでありましょうや?
あっ、ついに秘伝をご教授いただいた!
え? 「プアにつける薬はない?」
ありがたい孟子の教えも、ついにプアのアタマには入らないようでございます。
あ~あ、プアはいつまでたってもプアでありますなあ。
=蛇足&後記=
ところで、先生、魚を得るにはどこへ行けば宜しいので?
え? 海なり、川なり、池や湖に決まっておる?
先生が生きておられた時代はそうかも知れませんなあ。
先生はご存知なくても当然なんでやんすが、
ご参考に申しやすと、今の中国は、海や川には魚はいないのでござんす。
もう獲りつくしてしまいましてな。
いたとしても、水が汚くなり、とても食べられたもんじゃあござんせん。
汚染物質で変な病気になる覚悟があるなら別でやんすが。
せいぜい養殖場かと思いやすが、それも最近は問題が出ておりましてな。
従って、正解は、水がきれいな、川や湖の水源近く、つまり山の中が魚を得る場所なんでがんす。
更には、稀に、魚を空輸してきた飛行機がアクシデントに遭遇し、荷物がバラバラに放りだされることがありやしてな、
つまり、魚は空からふって来るのでやんす。
ということで、魚を得るには山の中へ行くのでやんす。
そして、場合によっては、木に登って網を使うのも魚を得る方法の一つでありんすよ。
今の中国では。
先生が、間違った手段とおっしゃった方法は、今では正しい方法なんでがんす。
何が正解かは、なかなか難しいものでござんすなあ。
以上で面談は終わったが、帰り際に、先生が一言つぶやいておられた。
よくは聞きとれなかったが、次の様だった。
『後世、アホとプアだらけの世界になり、世の正邪がおかしくなるとはのう。世も末じゃ』