鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

天台山の石切り場跡

2020-04-11 18:17:32 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

建長寺裏の石切り場跡

鎌倉の地質は比較的脆弱であると述べた。それを証するように、鎌倉を流れ降る滑川の川岸などには、自然の水流によって深く開削された痕跡があり、それは切り立つ城壁のごとき様相を呈している。脆弱な部分が削がれて川になった一方、比較的堅牢な部分が高い尾根を構成している。このためであろう、鎌倉石の採石場は、山襞を成す尾根筋近くに求められている場合が多い。

最も良く知られているのは、北条時政の館跡が裾野に設けられている衣張山の山頂近く。山陰にひっそりと、洞窟のように残されている石切り場跡。天水の侵入も少ないようで、内部の構造もしっかりとしている。鎌倉石の構造でもある堆積層の摂理に応じて切り出されたものであろう、その鏨の痕跡も明瞭に遺されている。

この他、瑞泉寺の奥に位置する天台山の山頂近くに、幅数十メートルに亘って鎌倉石の石切り場跡が遺されている。すでに人の出入りがなく蔓性の木々が這い崩落があり、崖下に積み重なる岩の間にも草木が繁茂して次第に自然の山林に戻る気配が濃厚だが、その一部に、採石のために掘り込まれた横穴がヤグラのように口を開けている。

また、西御門の奥まった尾根辺り、建長寺のある谷戸の再奥部にも数十メートルに亘って採石場跡が、比較的良い状態で遺されている。中には、切り出す途中の、方形に処理された鎌倉石がそのまま放置されているところもある。

明月谷、十二所などなど、大小問わねば、同様の採石場跡が各所に遺されているので、やぐら様式の墳墓とは異なる、採石場の構造を確認することをおすすめしたい。

現代ではより堅牢な石材が県外、あるいは外国に求められているが、これら鎌倉石の採石場ではいつ頃まで採石されていたものだろうか。鎌倉の街に見られる石垣や石段は、創建当時から幾度か造りなおされているだろう。鎌倉時代までさかのぼる採石場跡については、その判断や特定は頗る難しい。

天台山の西側に、数十メートルにわたって石切り場の跡がある。崩落がひどく、近付くことができない。



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