鎌倉の文化や風習はかなり広範囲に及んでいる
舟を利用して房総半島と行き来していたことは間違いない
土地の利用即ち谷戸の利用は鎌倉のそれに似ているところも多いと聞く
筆者は房総半島まで写真の範囲を広げる予定はいまのところない
三浦半島の先端辺りの海岸をあるいてみたところ海岸に下る坂道の脇にヤグラが普通にあって当然だろうなと感じたことがある
鎌倉の文化圏とは言えどこまで写真表現で辿ってゆけばよいのか
まだ確たる基準は設けていないし
まだまだ歩き詰めてない地域も撮影していない空域も多々あり
ゆっくり範囲を広げてゆこうかなというぐらいの気分である
金沢や六浦は鎌倉である
お猿畠を経て岩殿寺を経た逗子も間違いなく鎌倉である
逗子の山の根辺りを良く歩く
入り組んだ山が襞を成している
ひとたび尾根筋に出ればずうっと歩き続けることが可能
もちろん今は山の端がコンクリートで処理されて古い上り口など消滅しているところもある
おりる道が見つからないと戻ることになる
そんな山の根の中央辺りに熊野神社がある
鎌倉には熊野神社が意外と多いように感じる
ひそやかに佇む熊野神社
前方に見えるのが逗子の街
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