高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

元クハ68005であった飯田線クハ68402 (蔵出し画像)

2016-01-29 19:52:50 | 旧型国電
 さて、飯田線のクハ68でWC付の400代は、しかも偶数向き車は、80系投入後も生き残った車両が多かったのですが、本車は唯一この時淘汰されてしまった68400代の偶数車である、クハ68402(静ママ)です。1937年に製造されたときはクハ68005として誕生したようですが、例によってクハ68グループの複雑な番号変遷の結果、最後はクハ68402と名乗っていました。
 冬寒の駒ヶ根駅での、列車交換場面です。


(1978.1.3 駒ヶ根)
 この写真を撮った時は、メモによりますとPS-13をつけたクモハ51027とコンビを組んで79運用に就いていたはずです。この時の列車編成は[79]+[80](68412+43015)でした。タブレットキャッチャーが懐かしいですね。相棒の51027共々51系で揃ったコンビを組んでいたことになりますが、両方とも80系の投入で消えてしまいました。
 雪の降りしきる中、本列車はおそらく240Mで、貨物列車との交換場面と思われます。

 因みにこの日の伊那松島区の運用は、メモを見ますと、

[71] 54117+47076
[72] 54133+68414
[73] 68013+51023
[74] 47153+51200
[75] 51029+68408
[76] 47104+54108
[77] 47069+54104
[78] 43007+68409
[79] 51027+68402
[80] 43015+68412
[81] 67901+61003
[82] 47155+54110
[83] 53001+47108
[84] 47009+53008
[85] 54009+68406
[86] 43009+47080
[87] 43013+47116
[88] 51069+68404
[89] 47102+53000

[91] 67905+61004
[92] 67903+61005

でした。クハニ67901がクハ代用で入っていますね。またクハニ67はクモハ61と必ずコンビを組んでいましたが、おそらく定員を考慮してのことでしょう。また53007は表にありませんので交番検査の日だったようです。たぶん67901+61003がその代走だったのでしょう。

1937.2.28日本車輌製造(クハ68005)→1937.4.17使用開始(大ミハ)→1937.10大アカ→1943.8.9改造・座席撤去(クハ55119 吹田工)→1948.6改番(クハ68032)→1948.12.3座席整備→1955.12.9更新修繕I→1966.5.26静ママ→1967.3.2 WC設置→1968.5.15改番(クハ68402)→[77-4全検浜松工]→1978.10.19静トヨ→1978.11.24廃車

データ出所:『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバー一部現車確認

 おまけとして当時の駒ヶ根駅スタンプを掲載します。駒ヶ根駅も、市の玄関口なのに、現在では委託駅となって自動券売機まで撤去されてしまったらしいですね。もっとも伊那谷全体が精密機械産業の海外転出によって地盤沈下気味、かつては1時間に一本程度確保されていた飯田線も、2時間列車間隔が空くほどですので...




中部天竜機関支区のクモハ51044 (蔵出し画像)

2016-01-25 23:01:24 | 旧型国電
 やはり中部天竜機関支区に揃っていたオリジナルのクモハ51から、こちらは生粋の関西生まれのクモハ51044(静チウ)です。クモハ41に編入されることもありませんでした。運転台窓のHゴム化は右側のみで、比較的原型に近い姿です。





 そしてこちらは室内です。なかなか美しいです。


 本車の車歴ですが、

1937.7.3日本車輌製造→1937.8.17使用開始(大ミハ)→1937.10大アカ→1954.9.10更新修繕I(吹田工)→1969.5.1静チウ→[76-7全検浜松工]→1978.10.1静トヨ→1979.8.29廃車
(『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバーより)

 1937年10月に明石電車区に移ってからは長らく明石電車区の主として暮らしていました。戦時中の座席撤去もありませんでした。

飯田線 車輌転入出状況 1960(S35)-1964(S39) 日付順

2016-01-22 22:19:49 | 旧型国電

『我が心の飯田線』サイトに故芝生さんによる50年代後半の飯田線車輌の転入出状況が掲載されています。その後のフォローも予定されておられたようですが、残念ながらその後記事は日の目を見なかったようです。

 そこで『鉄道ピクトリアル』誌のバックナンバーを見て以下まとめてみました。
 なお1960(S35)年の記録など『我が心の飯田線』に記述があっても、『鉄道ピクトリアル』誌の車輌の動きに掲載のないものがあります。これは『鉄道ピクトリアル』誌で掲載漏れになったのか、それとも貸し出しで正式転属扱いでなかったから掲載されなかったのかは分かりません。
 『鉄ピク』誌の記述は誤りが多いので、『鉄ピク』の誤りである可能性は高いとは思いますが...


 なおこの表を見て、おやっと思うのはクモハ14101が大垣に出ていることですが、これは美濃赤坂支線用として出て行ったようです。
 また1963(S38)年に通常屋根のクモハ14が富士区より飯田線に転入していますが、これは元々富士区で身延線用と静岡ローカル(熱海-浜松間)用の両方の運用を持っており低屋根でないクモハ14は静岡ローカル用として配備されていました。それが111系に押し出された80系の静岡運転所への大量進出により不要となって、飯田線に転入してきたもののようです。
 このあたり、一時119系が駿河シャトル用として静岡運転所に転属になり、静岡ローカルで活躍していたものが再び不要となって飯田線に戻ってきた経緯を思い起こさせます。やはり歴史は繰り返す、という訳でしょうか?
 それとクモハ1700が1964年に廃車になっていますが、これは元鳳来寺鉄道の車両(モハ20)で、宇部、福塩線などをどさ回りした後、富山港線を経て再び古巣に戻って(1957年)豊川分工場の牽引車代用として使われていたようです。

 

年月日 車種 番号 新形式 新(旧)番号 備考・施行工場等
'S35.03 クモハ 11432     青梅 豊橋  
'S35.03 クモハ 11444     青梅 豊橋  
'S35.12.11 クモハ 51069     明石 伊那松島  
'S35.12.11 クハ 68064     高槻 伊那松島  
'S36.06.01 クモニ 13027     豊橋  
'S37.03.21 クモハ 11220     青梅 豊橋  
'S37.03.28 クモハ 43025     豊橋 伊那松島  
'S37.03.30 クモハ 41016     伊那松島 富士  
'S37.03.31 クモハ 47009     富士 伊那松島  
'S38.02.26 クハ 16519     弁天橋 伊那松島  
'S38.02.26 クモハ 41113     津田沼 伊那松島  
'S38.03.16 サハ 17116     弁天橋 豊橋  
'S38.03.16 クモハ 41117     津田沼 伊那松島  
'S38.03.28 クモハ 14011   (14035) 伊那松島 中部天竜  
'S38.03.28 クモハ 14101     中部天竜 豊橋  
'S38.03.31 クハ 16515     伊那松島 豊橋  
'S38.03.31 クハニ 19055     豊橋 伊那松島  
'S38.10.05 クモハ 14006     富士 伊那松島  
'S38.10.05 クモハ 14010     富士 伊那松島  
'S38.10.05 クモハ 14012     富士 伊那松島  
'S38.10.05 クモハ 14101     豊橋 大垣  
'S38.10.05 クハ 16441     富士 豊橋  
'S38.10.05 クハ 16447     富士 伊那松島  
'S38.10.05 クハ 16451     富士 伊那松島  
'S38.10.19 クモハ 11220     豊橋 青梅  
'S38.10.19 クモハ 11258     豊橋 弁天橋  
'S38.10.19 クモハ 11266     豊橋 弁天橋  
'S38.10.19 クモハ 11432     豊橋 青梅 ※転出元伊那松島と誤記
'S38.10.19 クハ 16474     伊那松島 中原  
'S38.10.19 クハ 16515     伊那松島 青梅  
'S38.10.19 クモハ 41113     伊那松島 中原
'S38.10.19 クモハ 41117     伊那松島 中原  
'S38.10.19 クモハ 60125     伊那松島 中原  
'S38.11.02 クモハ 14000     富士 豊橋  
'S38.11.02 クモハ 14001     富士 豊橋  
'S38.11.02 クモハ 14002     富士 豊橋  
'S38.11.02 クモハ 14003     富士 豊橋  
'S38.11.07 クモハ 43015     田町 伊那松島 ※転出元中原と誤記
'S38.11.10 サハ 17122     中原 豊橋  
'S38.11.12 クハ 47002     伊那松島 大船 ※転出元池袋と誤記
'S38.11.27 クモハ 14004     富士 豊橋  
'S38.12.26 クハニ 19055     伊那松島 廃車 浜松工で解体
'S39.02.11 クモハ 43004     伊東 豊橋  
'S39.02.11 クモハ 43013     伊東 伊那松島  
'S39.02.11 クモハ 43022     伊東 伊那松島  
'S39.02.11 サハ 48021     新前橋 豊橋  
'S39.02.11 サハ 48024     新前橋 豊橋  
'S39.03.02 クハ 47070     豊橋 静岡  
'S39.03.02 クハ 47076     静岡 豊橋  
'S39.03.02 サハ 48021     豊橋 静岡  
'S39.03.30 サハ 17122 クエ 28100 豊橋 豊橋 救援車改造
'S39.08.21 サロ 45012     大船 豊橋  
'S39.08.31 サロ 45012 サハ 45012 豊橋 豊橋 サハ格下げ
S39.09.02 サハ 17116     豊橋 仙石(管)  
S39.09.08 クエ 9321     豊橋 廃車  
'S39.09.08 クモハ 1700     豊橋 廃車 事業用車代用
'S39.12.04 クモハ 11305     中原 豊橋  
'S39.12.04 クハ 16219     中原 豊橋  

原型に近かった豊橋機関区クモハ54127 (蔵出し画像)

2016-01-20 00:22:29 | 旧型国電
 こちらもやはり地味なモハ60改造クモハ54であるクモハ54127。元々はモハ60095でした。ただ本車は一切Hゴム化されていない美しい姿を保った点が特筆されます。




(1978.1.3 辰野駅)

 この時の編成をメモから再現しますと、茅野発平岡行238Mで、[53運用]54127+68042 + [77]47011+54106 + [79]51027+68402という編成でした。ここ辰野で[79]を切り離し、伊那松島で[77]を分離し、[53]運用単独で平岡へ向かう予定でした。この写真を見ると底冷えのする辰野駅が思い出されます。

 例によって本車の車歴を見てみますと...

1943.7.17汽車会社東京支店製造(モハ60095)→1943.9.20使用開始(大ミハ)→1948.9.3大ヨト→1948.12.19座席整備→1950.11.14大ミハ→1953.6.1改番(モハ54127)→1954.3.21大アカ→1955.10.13更新修繕I(吹田工)→1965.7.13静トヨ→[77-6全検浜松工]→1978.12.20廃車(静トヨ)

(資料『関西国電50年』、一部現車確認)

 やはり早めに飯田線に来たため、原型窓を留めていたのですね。なお1954年に大ミハを追われ大アカに移ったのは、80系の投入で押し出されたためでした。本車も他の静トヨ所属のクモハ54同様、ここでも80系の投入で押し出され、消えていきました。


飯田線豊橋機関区のクモハ54119 (蔵出し画像)

2016-01-17 23:33:28 | 旧型国電
 さて、本車は元モハ60であったクモハ54です。飯田線の主力であったにもかかわらず、流電や、合いの子のような目立った特徴はなく、取り立てて注目されることもなかった縁の下の力持ち的な存在です。本車は運転台窓だけではなく、戸袋窓までHゴム化されていましたので、ますます注目度が低い存在だったと思います。ただパンタグラフがオリジナルのPS-11だった点は幸いでした。でもこの車輌、模型で製品化されているんですよね。
 私が出会ったときはいずれも30番台運用、つまりサハを挟んだ4連の運用に就いていました。上の写真では次位に流電唯一オリジナルのサハで残ったサハ48034を従えていますね。





本車の車歴は以下の通りです。

1943.7.31 汽車会社東京支店製造 (モハ60091) →1943.9.20使用開始(大ミハ)→1948.5.28大ヨト→1948.12.13座席整備→1950.11.30更新修繕I(吹田工機部)→1950.11.30大ミハ→1953.6.1改番 (54119)→1956.3.1大タツ→1962.9.15大アカ→1969.4.24静トヨ→[76-5全検浜松工]→1979.8.29廃車(静トヨ)

(資料『関西国電50年』一部現車確認)

 本車は製造当初から関西配置で、飯田線に来るまで関西を離れることはありませんでした。因みに関西初配置のモハ60は、東鉄に転じたものを除いては、すべてセミクロス化されクモハ54となりました。