高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

飯田線豊橋機関区のクモハ54119 (蔵出し画像)

2016-01-17 23:33:28 | 旧型国電
 さて、本車は元モハ60であったクモハ54です。飯田線の主力であったにもかかわらず、流電や、合いの子のような目立った特徴はなく、取り立てて注目されることもなかった縁の下の力持ち的な存在です。本車は運転台窓だけではなく、戸袋窓までHゴム化されていましたので、ますます注目度が低い存在だったと思います。ただパンタグラフがオリジナルのPS-11だった点は幸いでした。でもこの車輌、模型で製品化されているんですよね。
 私が出会ったときはいずれも30番台運用、つまりサハを挟んだ4連の運用に就いていました。上の写真では次位に流電唯一オリジナルのサハで残ったサハ48034を従えていますね。





本車の車歴は以下の通りです。

1943.7.31 汽車会社東京支店製造 (モハ60091) →1943.9.20使用開始(大ミハ)→1948.5.28大ヨト→1948.12.13座席整備→1950.11.30更新修繕I(吹田工機部)→1950.11.30大ミハ→1953.6.1改番 (54119)→1956.3.1大タツ→1962.9.15大アカ→1969.4.24静トヨ→[76-5全検浜松工]→1979.8.29廃車(静トヨ)

(資料『関西国電50年』一部現車確認)

 本車は製造当初から関西配置で、飯田線に来るまで関西を離れることはありませんでした。因みに関西初配置のモハ60は、東鉄に転じたものを除いては、すべてセミクロス化されクモハ54となりました。