高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

日影沢の開花状況

2016-02-29 23:41:44 | 植物
 日影沢の花の開花状況ですが、昨日の段階ではアズマイチゲが辛うじて入口付近で1-2輪ほど、またハナネコノメもそろそろ開花が始まったものの大半はつぼみといった状況です。おそらく今週末でぼちぼちといったところでしょう。

 奥の方はまだまだといったところです。

飯田線のクモハ54009 (蔵出し画像)

2016-02-26 23:57:02 | 旧型国電

 ここのところ、飯田線の車輌が続いていますが... こちらはクモハ54オリジナルの最終ナンバー、クモハ54009 (静ママ) です。正面は右側の窓がHゴム化、左側の窓はHゴム化されていませんがRがついています。この正面だけ見ると、豊橋区の元クモハ60であるクモハ54三兄弟(121, 123, 125)と区別がつきません。しかも奇数向き(上り向き)ですし... あとは運行番号で区別をつけるか、というところでしょうか。


 パンタグラフはこの写真からは判然としませんが、オリジナルのPS-11が維持されていました。
 ちょっとピンぼけですがパンタを上げた姿です。


そして床下に着目した写真。


 この車輌は、伊那松島区配属だったにもかかわらず、78年の80系の投入の余波を受け廃車になってまいました。この写真を撮った頃 (1978) は、全検からかなり経っていたせいもあるかも知れませんが、何となくくたびれたような表情です。側板も、若干べこべこしている感じです。飯田線では初年度製造のクモハ54は全車 (2輌) 78年の80系投入以降も保全されたのに対し、最終年度製造のクモハ54は4輌の内1輌しか残りませんでした。やはり戦時製造の資材不足が響いていたのでしょうか?
 なお、相棒はメモによると68406だったり68408だったりしているので68400代である以外ははっきり決まっていなかったのかもしれません。
例によって本車の車歴は...

1941.12.14汽車会社東京支店製造→1941.12.24大ヨト→1944.6.3座席撤去→1948.10.7大オト→1948.12.25座席整備→1950.9.28大ミハ→1955.12.23更新修繕I(吹田)→1956.3.1大タツ→1961.10.1大アカ→1966.12.20静ママ※→[77-5全検浜松工]→1978.10.13静トヨ→1978.12.20廃車

出典:『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバー、一部現車確認


※は『関西国電50年』では静トヨとなっているが『鉄ピク』誌では静ママとなっている。おそらく『関西国電50年』の誤記。

中央線・青梅線がますます不便に! - 2016.3.26 JR時刻改定

2016-02-24 18:51:35 | 中央線
 いまJR東日本・八王子支社管内の各駅に八王子支社の時刻改定方針が出ていますが... いやはや...
 昨年3月の青梅・五日市・川越線の大幅減便に引き続き、今年も大幅減便が予定されています。

 まず中央線関係ですが、立川-八王子間日中、1時間当たり1-2本減便。現行、1時間当たり8本運行ですが、おそらく10分ヘッド、6本に減らそうと狙っているような気が...。また東京-武蔵小金井間でも一部減便が実施されます。

 まあ、この地域の日中の主要な乗客層の一つである大学生が大学の都心回帰で減少しているので、分からなくもないのですが。でもなぁ... 中央線は特急やら貨物列車が入って必ずしも完全パターンダイヤが成立しないので、平均10分間隔でも時間帯によっては20分待ちが発生する可能性が...

 また高尾以東では、下り2本、上り3本の減便。
下りでは、高尾発13:02甲府行き、および9:01(休日9:05)大月行きが廃止になります。

上りでは、甲府発6:22大月行きが廃止になります。なおこの列車は小淵沢発5:43→甲府6:22→大月6:21着だったのですが、この甲府-大月区間廃止に伴い、小淵沢発を5:35と早くして、甲府発1本前の6:15発高尾行きを、甲府始発から小淵沢始発の形に変えます。小淵沢から高尾に行く人は、8分早起きをすれば高尾に13分早く到着できるようにはなりますが...

さらに、大月発高尾行き 8:14, 9:54発が廃止になります。これはJR東日本が分譲していたパストラルびゅう桂台住民へのサービス列車だったわけですが、もう売るだけ売ったので、サービス終了ということでしょうか?

パストラルびゅう桂台公式ページ
http://www.pv-katsuradai.com/

 青梅線関係は、昨年の大幅削減に引き続き、今年もますます不便になります。大きいのは青梅-奥多摩間で、日中、30分ヘッドだったのが45分ヘッドになります。まぁ人口は減っているだろうし、青梅梅郷名物だった梅もプラムポックスにやられて伐採し、観光客が激減しているのしょうが、国鉄時代でも30分ヘッドで、一応国電の端くれだったのに... もっとも、もはや「国電」という概念も存在しませんが。
 45分ヘッドになって一番良くないのはパターンダイヤが崩れてしまうことです。ますますお客さん離れが進行するでしょう。長ナノの211系3両編成を使ってでも30分パターンは維持できないものでしょうか。

 ともあれ利用客的にはうれしくないダイヤ改定になりそうです。また中央東線の211系の運用もかなり変わるのかどうか。個人的には3000番台の高尾口本格進出があったりしたら嬉しくありません。

豊橋機関区、クモハ54123 (蔵出し画像)

2016-02-23 22:53:30 | 旧型国電
 またまた飯田線の縁の下の力持ち的な、地味な元モハ60のクモハ54シリーズは続きます。こちらはクモハ54123 (静トヨ)です。今は亡きピノチオ模型からHOのキットが発売されたことはあるようですが、あまり注目を集めなかった一両かと思います。やはり80系投入で消えていきました。この車輌も豊橋機関区30番台運用に就くことが多かった車だと思います。
 Hゴム化されていないのにRの付いた運転台左側窓が本車のアクセントになっていますが、これは54121, 123, 125とも共通のようです。また正面だけなら静ママの54009も同じです。


(1977.12)


本車の車歴ですが、

1943.7.5汽車会社東京支店製造(モハ60093)→1943.7.13使用開始(大ミハ)→1944.10.13座席撤去→1948.8.4大ヨト→1948.12.6座席整備→1950.11.13大ミハ→1951.3.1大タツ→1953.6.1改番(モハ54123)→1955.9.15更新修繕I(吹田工)→1962.5.2大アカ→1966.1.13静トヨ→[76-11全検浜松工]→1978.11.4廃車

 モハ60なのに初配置が大ミハとは意外ですが、製造直後既に4扉化予定の42系のどれかと台車振り替えされていたのでしょうか。本車も生粋の関西育ちで (但し製造は汽車会社東京支店)、66年頃の最初の飯田線17m車組織的淘汰の際に、関東から明石に流れてきた73系に押し出されるようにして飯田線入りをしました。
 1978年の廃車に関してはクモハ52005などと共にトップバッターでした。