やはり中部天竜機関支区に揃っていたオリジナルのクモハ51から、こちらは生粋の関西生まれのクモハ51044(静チウ)です。クモハ41に編入されることもありませんでした。運転台窓のHゴム化は右側のみで、比較的原型に近い姿です。
そしてこちらは室内です。なかなか美しいです。
本車の車歴ですが、
1937.7.3日本車輌製造→1937.8.17使用開始(大ミハ)→1937.10大アカ→1954.9.10更新修繕I(吹田工)→1969.5.1静チウ→[76-7全検浜松工]→1978.10.1静トヨ→1979.8.29廃車
(『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバーより)
1937年10月に明石電車区に移ってからは長らく明石電車区の主として暮らしていました。戦時中の座席撤去もありませんでした。
そしてこちらは室内です。なかなか美しいです。
本車の車歴ですが、
1937.7.3日本車輌製造→1937.8.17使用開始(大ミハ)→1937.10大アカ→1954.9.10更新修繕I(吹田工)→1969.5.1静チウ→[76-7全検浜松工]→1978.10.1静トヨ→1979.8.29廃車
(『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバーより)
1937年10月に明石電車区に移ってからは長らく明石電車区の主として暮らしていました。戦時中の座席撤去もありませんでした。