高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

尾瀬の登山地図を買い直して気づいたこと

2016-05-31 19:02:22 | 登山
 最近久しぶりに尾瀬の登山地図を買い直しました。気が付いたのは、2015年に尾瀬にかなりの「地殻変動」があったらしいことです。

 まず、地図には渋沢温泉小屋が16年の営業は要確認とありました。ネットで検索してみると2015年の雪害で渋沢温泉小屋は倒壊してしまったようです。この小屋は90年代、尾瀬が激混みで、かつ完全予約制になった時代、他の小屋が全く予約が取れなくても、取れたので、ずいぶんお世話になった記憶があります。食事も桧枝岐の郷土料理中心で良かったのですが... まだ復旧のめどが立っていないということですが、ぜひ早い復旧を願っています。

http://www.okuoze.com/shibosawaonsengoya.html

 また富士見小屋は2015年秋で営業を終了してしまったとありました。あやめ平方面に行くには不便になります。

尾瀬の山小屋、利用者減で閉館 運営82年の富士見小屋 2015.11.29 朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/ASHCS56BLHCSUHNB00R.html

 かつては尾瀬最短ルートとして大量の登山客が押し寄せたということですが... 尾瀬全体の入山者も1996年の65万人をピークに、2014年には31万5千人まで減ったということです。31万5千という数字は、適正な利用人数だと思いますが、鳩待口に一極集中が続いているのはどうも。尾瀬全体の入山者が減る中で鳩待口は昨年より1万8600人増えたそうです。

尾瀬入山、鳩待口への一極集中続く 15年度 2016.1.27 朝日新聞デジタル・群馬版
http://digital.asahi.com/articles/ASJ1Q3J8TJ1QUHNB007.html

 ちなみに上記記事によると、2015年度入山者はは32万6100人、鳩待口入山者は19万5400人、沼山口は5万7千人、大清水口は2万1200人だったそうです。

 さらに、沼尻(ぬしり)の休憩所が全焼してしまったようです。原因は電気系統のトラブルだということですが...

尾瀬の沼尻休憩所が全焼 周遊の要衝 2015.9.25 朝日新聞デジタル・群馬版
http://digital.asahi.com/articles/ASH9R6V2YH9RUHNB009.html

 この休憩所は長蔵小屋が経営していたと思いますが、再建の方はどうなるのでしょうか。かつて沼尻には手打ちそばの店もありましたが、それも撤退し、休憩所まで焼けてしまうとは。

 尾瀬の衰退を象徴するような話が続きましたが、少しは明るい話題も。昨年6月20日から大清水-一ノ瀬休憩所間に低公害乗合タクシーが運行されるようになったようです。

尾瀬沼へ低公害の乗り合い車運行開始 片品 2015.6.21 朝日新聞デジタル・群馬版
http://digital.asahi.com/articles/ASH6M4QG7H6MUHNB009.html

大清水口の登山者減少対策&鳩待口集中に対する分散対策で、昨年から正式運行が開始されたようです。かつては大清水口が一番尾瀬に楽に入るルートだったのですが...

 また、片品村から金精道路を通って日光方面に抜けるバス(鎌田-中禅寺温泉間)が24年ぶりに今年5月1日から復活したそうです。かつては日光湯元から鎌田か沼田に向けて走る路線だったように記憶しています。子供のころこのバスで丸沼に行った記憶があります。

片品―日光間、路線バス復活へ 24年ぶり 2016.4.15 朝日新聞デジタル・群馬版
http://digital.asahi.com/articles/ASJ4G4W6HJ4GUHNB00N.html

尾瀬大清水方面への乗り換えも想定しているということです。本当は尾瀬から下山してから、日光湯元温泉あたりで一風呂浴びて、日光方面から東京の帰る、という利用が想定されても良いと思いますが、それには鎌田発の時間が7時と11:10なので、ちょっと利用しにくいと思います。日光によってから尾瀬という利用には良いとは思いますが、やはり順番としては尾瀬に行ってから日光なのでは?

日光方面への外国人観光客の増加に後押しされての復活ということですが、果たして外国人このバスに乗るのでしょうか?








伊那松島区のヌシ的存在だった? クハ47011

2016-05-25 07:19:55 | 旧型国電
 さて、再び飯田線に戻って、こちらはクハ47011 (静ママ) です。本車は、1950年8月24日、身延線内船 - 寄畑間の島尻トンネル内で全焼したモハ30173を、1952年に豊川分工場で復旧した車両です。この事故は富士身延鉄道を引き継いだ身延線のトンネル高さが低く、パンタグラフのアークを引いて火災が発生した事故です。電動車は、元々パンタ折り畳み高さが低いPS-11装備車両が配置されていたものの、それでは足りないと、低屋根工事が施行されるようになるきっかけとなった事故でした。

 とはいえ、台枠、車体は新製らしいので、名義上は事故復旧車と言えほとんど新製に近い車両と言えます。車体は溶接の切妻であり、言うならば、戦後生まれクハ79の2扉車バージョンと言うべきでしょうか。








では車歴を見てみましょう。

1929 日本車輌製造 (モハ30173) → 1929.1.25 使用開始 (東鉄) → (名フシ) → 1952.3.31改造 (クハ47023 静ママ) → 1959.12.22改番 (クハ47011 [2代]) → 1978.10.19 静トヨ → 1978.11.24廃車

データ出典: 『鉄道ピクトリアル』バックナンバー、『旧型国電車両台帳』


 日本車輌で製造された後、東鉄に配属されます。元々富士身延鉄道の電動車 (モハ1200) は1944-47年に掛けて飯田線、伊那松島機関区に移動しているので、おそらくそれと入れ替えで首都圏から富士電車区に配置換えになったものと思われます。しかし事故後、ほぼ新製に近い形で復旧され、伊那松島区に配属されます。配属後しばらくは伊那松島区唯一の20m車であったはずです。

 個人的には、リベットもなくのっぺりとしており、切妻と、形態的にはあまり魅力を感じない車両でしたが、考えてみると、1952年に伊那松島区に配属されてから、かなり長らくそこに留まり、言わば伊那松島機関区の主的な存在だった訳です。26年の長きにわたり伊那松島に生息していましたが、1978年、80系の投入の際、廃車対象に選ばれて、消えていきました。当初は存続予定だったらしいのですが、何らかの事情で急転、廃車対象に入ってしまったようです。


台湾 鳳梨酥 (パイナップルケーキ)

2016-05-23 22:04:14 | 旅行
 家内の大好物に台湾のパイナップルケーキがあります。家内の友人に台湾の人がいて、以前お土産で持ってきてくれていたので、それがきっかけだったようです。

 その時持ってきてくれていたのは大概、新東陽のビニールのパックに入ったものでした。その後、日本の中国食材店でもパイナップルケーキを見かけることがあり、時々見つけては買っていたのですが、ここ数年なぜか新東陽のビニールのパッケージのパイナップルケーキを見つけることができず、仕方ないので、よく見る九福のパイナップルケーキを買うこと屡々。大体国内では300円前後で出ていることが多いです。ただ九福のものは新東陽に比べて味が今ひとつなんですね。
 新東陽のものは、最近国内で見かけるとすれば黄色いパッケージに入っていますが、やや高めになっています。しかも見かけないことも多いです。

 今回台湾へ行って、かなりたくさんの種類があることを改めて確認しました。ツァーのガイドさんによると、今台湾の人が個人で買うなら手作りのパイナップルケーキが普通で、機械製のパイナップルケーキは仏様にお供え用であって、殆ど食べないとか。手作りのものは値段が大体、8-10個入りで300台湾元以上します。

 ツアーで立ち寄った免税店には確かに色々な種類のパイナップルケーキが置いてあり、味も様々。ガイドさんがおすすめのパイナップルケーキも教えてくれましたが、しかしなぜか新東陽、九福のものは置いてありません。

 その後、自由行動で夕方食事に出た際に、新東陽の直営店を見つけ、パイナップルケーキも売っているのを発見しました。一つは希望価格が10個入り480元のを、特別割引で300元になっているもの、包装も高級そうです。一つ一つ個別包装になっています。また種類も通常のものだけではなく、クランベリーを入れたものもあります。もう一つは黄色いパッケージで8個入り120元でした。店員に違いは何かと聞くと、手作りか機械作りの違いだとか。試食もしたので、せっかく特別割引なのだからと、手作り品の通常のものとクランベリーのものを2箱買いました。



 さらに別の日、大型スーパーを見てみようと、カルフールに行くと、先日見た新東陽の黄色い箱入りの機械作りのパイナップルケーキが、こちらは何と44元。希望価格の1/3強ぐらいの価格です。他社のも含めて何箱か買ってしまいました。



 なお、九福のパイナップルケーキは全く見ずじまい。やはりガイドさんが言うように御供え用なのかもしれません。また新東陽のビニールパッケージ入りのパイナップルケーキは全く見なかったので、廃版になったようです。おそらく黄色いパッケージ入りに転換したのでしょう。このパッケージはたまに日本でも中国食材店で見ます。九福のケーキより高めの値段で売っています。

 他社製のも含めて日本に帰ってから食べ比べましたが、やはり新東陽のものが手作り品を含めて、個人的には好みです。機械作りものも、手作り品とは異なりますが、やはりそれなりにおいしい気がします。


なお、以下のような記事も。パイナップルケーキもずいぶん高級化しているように思います。

第5回パイナップルケーキ選手権2015~ブラインド編~
http://www.taipeinavi.com/special/5056145

パイナップルケーキ・徹底的に食比べ!
http://www.taipeinavi.com/special/5001373

1956→1957年旧性能国電移動動向

2016-05-22 00:11:52 | 旧型国電
仙鉄局(仙台電車区)
国鉄形の転入による社型の淘汰が進行しました。また社型電動車は電装解除が行われ制御車として活用さました。

高鉄局(高崎第二機関区)
80系の増備による列車の電車化が進行しました。

千鉄局(津田沼電車区)
大きな変化はありませんでした。

東鉄局
常磐線(松戸区)では、三鷹から転入した山スカを再び返却し、その後釜を主にモハ72と区は16で埋めています。

京浜東北線は、おそらく更新修繕等に伴う多少の車両の入れ替えはありましたが大きな変化はありませんでした。

山手線では、池袋で徐々に車両の20m化が進行、品川区は若干の配置増とおそらく更新修繕に伴う多少の車両の入れ替えが行われました。

中野区は72系の新製車輌投入による17m車の淘汰と72系の旧車輌の放出が進行、三鷹区は初の新性能車モハ90(のちの101系)の投入ならびにモハ71等の松戸区からの復帰、そして他区捻出車による72系の増備が進みました。

田町区では80系、70系の新製投入が行われる一方、42系やモハ30の他区放出が進みました。また伊東支区ではモハ42を放出した分、田町本区から捻出したモハ43でその穴を埋めました。

矢向や弁天橋区はおそらく更新修繕に伴うと思われる車両の入れ替えがありました。

静鉄局
身延線
モハ14が7輌転入していますが、そのうち3輌(001, 009, 010)は低屋根化されずに残った車両でした。おそらくこの年静岡ローカルのモハ14による電車運転(~1963まで)が始まったのだと思います。多分静岡ローカルには低屋根車、通常車が混ざって運用されていたのでしょう。またクハ16の転入も静岡ローカル対策と思われます。ともあれ差し引き11輌の配置増となっています。

飯田線
豊橋区は、モハ14を富士区に取られた分、主として20m車の転入で補っています。また元鳳来寺鉄道のモハ1700がドサ回りから戻っていますが、これは豊川分工場の牽引車代用として使われたようです。

モハ14は全般に複雑な動きをしていますが、更新修繕や低屋根化改造で取られたものを他区からの転入車で補うというような車両交換が行われていたものと思われます。また伊那松島区の社型の淘汰は20m車の転入で補われていますが、その余波で中部天竜区には20m車がいなくなってしまいました。

名鉄局(大垣区)
80系による列車の電車化が進行しています。主として新製による配置増となっています。
金鉄局(富山区)
社型転用による若干の配置増が図られています。

大鉄・天鉄局

東海道・山陽本線
宮原区の80系集中化が進むと共に通勤形の他区への転出が図られています。

阪和線
主として2扉車の飯田線等への転出が図られる一方、不足分を70系の新製配置で補っています。

岡鉄局(府中電車区)
社型の富山港線への放出が図られると共に、国鉄型化が進行しました。

広鉄局
宇部線の快速列車運転のため、伊東支区のモハ42が転入する一方、同じ両運のモハ12が可部線に転出し、社型の淘汰に使われました。



高尾山開花状況 (5月第3週末)

2016-05-21 14:06:37 | 植物
 先日、家の近所でオカタツナミを見つけましたが、高尾山でも咲いています。またそろそろアマドコロやナルコユリが咲き出しそうです。サイハイランも見かけました。

 一方、たまたま高尾の稜線を歩いてきたおじさんが、先週キンランを結構見かけたのに、全然見かけなくなった、盗掘されたのではないかと話していました。高尾周辺の希少ラン類には保護のためのタグが一昨年~昨年に掛けてつけられていますが、私もある場所のササバギンランが、今年はタグごと消えているようなのに気付きました。ランと名がつけば片端から根こそぎ盗掘される傾向は続いています。

 ラン類は菌根菌と共棲しているので、他の環境に植え替えても菌が育たないといずれ枯れてしまいます。盗んでいっても球根がやせ細って、せいぜい数年で枯れてしまうものをなぜ盗んでいくのでしょうか。おそらく山野草店で売られているのでしょうが、山野草店の営業を規制すべきだと思います。