高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

閉鎖された高尾駅臨時駐輪場がまた再オープン

2016-03-30 00:11:06 | 中央線
 高尾駅建て替え準備工事に伴って一旦3月に閉鎖された北口相模湖よりの臨時駐輪場が、再び臨時駐輪場として4/1から再オープンするようです。

 従来あった臨時駐輪場の半分がバスの転回場所になり、残りの定期利用者部分が一時利用者専用駐輪場になるようで、従来の一次利用者用の課金マシンが移設されています。

 なお、高尾駅北口はスペースが狭いため、バス転回用の転車台が設置されていますが、転回スペースの確保でひょっとすると転車台の仕様が廃止になるのかも。写真を撮った時はまだ使用しているようでしたが。




飯田線北部線用運用に就いていた、クハニ67901 (蔵出し画像)

2016-03-29 00:30:08 | 旧型国電
 こちらは伊那松島機関区のクハニ67901です。
 ご存じのようにオリジナルのクハ67は、飯田線に移ったものはクハユニ56に改造、そしてオリジナルのまま残ったものの内、67007が三河島事故(1962)で粉砕大破、その後最後まで残ったクハ67006が1969年に中野区で廃車になって、70年代には一両も残っていませんでした。70年代に残っていたのはすべてクハ55から改造したもので、そのうち新前橋区にいた67900, 67902は既に紹介しました。
 本車は平岡以北に限定されていた伊那松島区91, 92運用 (1975-78年)に就いていた車輌で、ほかに67903, 60905がいました。方向はすべて上り豊橋向き(奇数向き)でした。当時の運用はこちらに掲載しました (http://blog.goo.ne.jp/yasuo_ssi/e/bd3a09e9b5529c8c21e2b776b088d1c3) 。91運用は83運用と連結して朝平岡から出て、伊那松島で83運用と分かれて入区。92運用は、82運用と共に伊那松島区を出て天竜峡に向かい、さらに飯田との間を往復した後しばらく天竜峡で昼寝、そして午後になって辰野に向かい、さらに平岡に折り返すという運用でした。この91, 92運用は、かつて1950年代に富士身延からの転入車、モハ1200+クハニ7200が担当した運用の名残といえるでしょう。
 本車は元々松戸区にいたクハ55093を横浜線用にクハニ67に改造したもの。1959年に903, 905と共に飯田線に移りました。そのころ伊那松島区の荷物合造車はクハニ19が4輌いましたが、それらを直ちに置換えた訳ではなかったようで、クハニ19は63~66年に掛けて廃車になっています。それだけ当時伊那北部の手荷物輸送需要が高かったのか、それとも横浜線の手荷物輸送がクモニに置換えられてとりあえずということだったのか。
 また、検査間合いか故障車の代走で、単純にTcMcの代わりに7,80番台運用に就いていることもありました。

 同じ方向ですが2枚(上77年, 下75年)ご覧下さい。

(1977.7.30 伊那松島機関区)


(1975.5.4 飯田駅)

 前面貫通路部分の塗り分けが、非貫通車に準じて直線に塗り分けられています。貫通路は形態的には残存しても、おそらくはめ殺しになっていたでしょうからそのようになっていたものと推測されます。ただこの塗り分けは以前紹介した新前橋区のクハニ67900代とは異なっています。

そして床下です。

(1977.7.30)

 最近ローカルバス存続のため、バスに人だけではなく宅配の荷物を載せるという取り組みが新聞で紹介されていましたが、鉄道からバスとはいえ昔の荷物合造車のコンセプトが復活しているように思います。
 一旦は合理化のため荷物、郵便輸送を全廃したJRですが、ローカル線における荷物扱いや合造車の復活が検討されても良いのでは、とも思えたり。

本車の車歴です。

1941.3 川崎車輌製造 (クハ55093)→1941.3.25使用開始 (東鉄)...(1947 東カノ在籍) → (1954 東マト在籍)→1955.12.1改造(クハニ67901 東ヒナ)→1959.12.23静ママ→(全検77-1浜松工)→1978.10.19静トヨ→1978.11.28廃車

 なお本車は、最初の配置が東鉄であったことは間違いありませんが、中野だったのかどうかは不明です。またいつ松戸に移ったのかも不明です。ともあれ、クハニ改造前は常磐線にいました。クハ55として新製されたなかではもっとも遅いグループです。横浜線用に改造されたにもかかわらず、横浜線にいたのは4年と短く、大半を飯田線伊那北部で過ごしました。他の車両の検査時にはクハ代用としてクモハ61とコンビを組んで南部を走ったこともありました。

データ出所: 『旧型国電台帳 - 決定版』(1997), 『鉄道ピクトリアル』バックナンバー、『終戦直後 東京の電車』(ないねん出版)、一部現車確認



高尾山花模様 3月最終週

2016-03-28 23:59:19 | 植物
 さすがに梅の花は小下沢梅園あたりも含めて、もう終盤になりました。一方、日影沢ですが、さすがにアズマイチゲは終盤、それと入れ替わるように、先週はまだぽつぽつと咲いていた程度だったニリンソウの花が一挙に広がっています。

 スミレの花は、先週まではタチツボスミレがぽつぽつと咲く程度だったのが、複数種のスミレが一挙に咲き出しました。ただしタカオスミレはまだです。例年ですと4月の第1週末~第2週末あたりなのですが今年はどうでしょうか。

 また、先週、日影沢でヤマルリソウが咲いているのを見ましたが、小下沢あたりでもたくさん咲いていました。また小下沢でキケマンも見ました。ミツバツチグリは日影沢で一輪だけ咲いているのを確認。チャルメルソウはもう盛りを過ぎている感じです。

 そしてミヤマカタバミが満開です。この花も花期が短いので見るならお早めに!





















元合いの子サロハ、クハ47155 (蔵出し画像)

2016-03-26 00:04:15 | 旧型国電
 さて本車は元合いの子の中間車、サロハ66019であった、クハ47155(静ママ)です。なお写真を撮ったのは1976年5月(中部天竜)ですが、最晩年には運転台一番右側の窓がHゴム化されていたようです。ただこの車両とはあまりご縁がなく、多少まともに撮れた写真はこの1枚しか見つかっていません。次位にいるのはクモハ61のようです。その次はクモハ53007でしょうか?
 同僚にクハ47153がありますが、正面の窓の形状が違うので遠方から見た写真でも、正面が写っていれば区別は容易です。

 本車の車歴は一番下に掲げますが、戦時中は明石と宮原を往復していました。戦後、復活した京阪神間の急行運用に就いた後、1950年の80系転入後はモハ52と共に阪和線に移って特急運用に就きますが、なぜか1年で豊橋に左遷されてしまいます。まもなくクハ化され、その2年後には田町電車区伊東支区に移って伊東線運用に就きます。本車は47151と異なり、長いロングシートだったのですが、どの時点でロングシート化されたのやら。伊東線のような観光路線にはあまり向かないアコモですが...
 伊東線で同僚(当時は47021, 22と名乗っていました)と共に活躍した後、身延線に移ります。そこで前照灯の妻面への埋め込みが行われたはずです。13年ほど活躍した後、飯田線に移動し、久しぶりにかつての同僚と再会、最後の日々を過ごしました。



では本車の車歴です。

1937.8.26川崎車両製造(サロハ66019)→1937.9.17使用開始(大ミハ)→1942.11.5大アカ→1943.2.12大ミハ→1944.6.20座席撤去→1948.3.25大アカ→1948.3.26座席整備→1949.9.22大ミハ→1950.9.27天オト→1951.11.12静トヨ→1952.2.29改造(クハ47022 豊川分工)→1954.7.30更新修繕I(豊川分工)→1954.9東イト→1958.2.21静フシ※→1960.1改番(クハ47155)※※※→1969.4.11静ヌマ→1971.3.29静ママ※※→1978.10.19静トヨ→1979.3.9廃車

 なお、Wikipediaの記述では本車は66018と共に戦時中も貴賓車的に温存されたとありますが、『関西国電50年』にある車歴からは、形式のみは温存されていますが、座席撤去も行われ、一般車と混用されていたことが伺えます。また、1952年改造後は番号(47022)通り偶数向きだったものと推定されますが、おそらく1958年身延線転出に際して奇数向きに方向転換されたものと推定されます。これは、1957年にそれまで伊東支区にいたモハ42を静鉄、広鉄に転出させた後、田町から移動させたモハ43の大半が奇数車だったことからも伺えます。

※『鉄道ピクトリアル』バックナンバーでは田町から富士へ移ったとあるが、転出元は伊東(田町電車区伊東支区)の間違いと推定。但し転出前に一時的に田町に転入した可能性も考えられる。
※※やはり『鉄道ピクトリアル』バックナンバーでは転入先中部天竜とあるが伊那松島の間違いと推定。
※※※『旧型国電50年』データ。なお『旧型国電ガイド』では改番日を1960.1.としている。おそらく書類上は1959.12.22改番で(1959年12月22日付け工車第1528号達)、それが実際車体表記に反映されたのが1960.1.ではないか。

データ出所: 『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバー『旧型国電ガイド』




高尾駅北口に新たな駐輪場がオープン

2016-03-24 19:36:56 | 中央線
 高尾駅北口相模湖寄りにあった臨時駐輪場が、高尾駅改築準備工事のため閉鎖となり、3/1に北口西八王子寄りに正規駐輪場がオープンしました。屋根付になっているのがありがたいです。駐輪台数には余裕がある模様。本当は南口の方が混んでいるので、そちらの方が何とかなるとありがたいのですが...