さて、コトデンバスの古い車両をアップしていてふと思ったんですが、東名グリルのついた車両って岡山・香川の事業者以外はほとんど撮ってないよなぁって。
で、古いアルバムのなかぁ~にぃ~♪って本棚のアルバムを弄ったら少量出て来ました!!
今回はコレで行きましょう!。
コレじゃ!!
宮崎交通 B806N/B905N 三菱
ぬぉぉぉ!シビレるぅぅ!!かっちょエエ!!!・・・後ドア無いけど色調からして両備っぽい!!。コレを見た時は感動しましたわ。まだ残っていただなんて!。両備とは大きさが違うものの同じ位置に方向幕が取り付けられている格下車ですわ。型式は資料が無いんでB8かB9かは断定できません。エンジン音は明らかにV8だったのでB805Nの線は無いですわ。
おケツも・・・
この車両に関しては乗用車が被るもおケツをゲットしていました。この頃は勿論フィルムでムダ打ちはしなかったんで、おケツまで押さえるとはよっぽど嬉しかったんでしょう。車両の推測年式とプレートが合わないんで登録替えかまさかの移籍車かもしれませんわ。宮崎交通のトップドア車には結構そういった年式とプレートが合わないものが存在してましたわ。
それから、
昭和自動車 B806N 昭和47年式 呉羽
昭和自動車伝統の腰板を流し台のようなステンレスに身を纏うステキな個体でございます。データーはバスジャパン誌13号の特集から。昭和のコチラは方向幕をウマイ具合にグリル内に収められていますわ。今考えても特注でステンレスをボディーに張るとは結構なコストが掛かっているに違いないんですけど、当時は車両にこういった拘りのある事業者がいて本当に面白かったですわ。
そして、
熊本バス B805L/B806L
熊本バスの個体はホイルベースが一つ短いタイプですわ。なのでB9ではなくB8系なんですけど、コレがV6かV8は覚えていないんですよ・・・。コチラの方向幕は弁当箱タイプのデカイヤツが装着されていますわ。車両的な美しさはスポイルされちゃいますけど、利用者にとっては行き先がはっきりとわかるんでよろしいかと思います。
こうして見て見ると全部九州でしたわ!。バスの撮影を始めた頃は高校生で部活はしてるわ小遣い少ないわで地元でしか撮影できなかったので近場に関してはある程度古いものもゲットしているんですけど、遠方となると大学生になってからで、東方面より西から攻めていたんでこのような結果になったんでしょう。それにしても九州には格下車多数在籍していましたが圧倒的に西工が多数派だったんで、この様に三菱純正車自体が希少な存在でしたねぇ。しかも3台中2台が呉羽製というのも興味深い所ですわ。
ワタシはやっぱり、三菱純正ボディーが一番スキですわ!
で、古いアルバムのなかぁ~にぃ~♪って本棚のアルバムを弄ったら少量出て来ました!!
今回はコレで行きましょう!。
コレじゃ!!
宮崎交通 B806N/B905N 三菱
ぬぉぉぉ!シビレるぅぅ!!かっちょエエ!!!・・・後ドア無いけど色調からして両備っぽい!!。コレを見た時は感動しましたわ。まだ残っていただなんて!。両備とは大きさが違うものの同じ位置に方向幕が取り付けられている格下車ですわ。型式は資料が無いんでB8かB9かは断定できません。エンジン音は明らかにV8だったのでB805Nの線は無いですわ。
おケツも・・・
この車両に関しては乗用車が被るもおケツをゲットしていました。この頃は勿論フィルムでムダ打ちはしなかったんで、おケツまで押さえるとはよっぽど嬉しかったんでしょう。車両の推測年式とプレートが合わないんで登録替えかまさかの移籍車かもしれませんわ。宮崎交通のトップドア車には結構そういった年式とプレートが合わないものが存在してましたわ。
それから、
昭和自動車 B806N 昭和47年式 呉羽
昭和自動車伝統の腰板を流し台のようなステンレスに身を纏うステキな個体でございます。データーはバスジャパン誌13号の特集から。昭和のコチラは方向幕をウマイ具合にグリル内に収められていますわ。今考えても特注でステンレスをボディーに張るとは結構なコストが掛かっているに違いないんですけど、当時は車両にこういった拘りのある事業者がいて本当に面白かったですわ。
そして、
熊本バス B805L/B806L
熊本バスの個体はホイルベースが一つ短いタイプですわ。なのでB9ではなくB8系なんですけど、コレがV6かV8は覚えていないんですよ・・・。コチラの方向幕は弁当箱タイプのデカイヤツが装着されていますわ。車両的な美しさはスポイルされちゃいますけど、利用者にとっては行き先がはっきりとわかるんでよろしいかと思います。
こうして見て見ると全部九州でしたわ!。バスの撮影を始めた頃は高校生で部活はしてるわ小遣い少ないわで地元でしか撮影できなかったので近場に関してはある程度古いものもゲットしているんですけど、遠方となると大学生になってからで、東方面より西から攻めていたんでこのような結果になったんでしょう。それにしても九州には格下車多数在籍していましたが圧倒的に西工が多数派だったんで、この様に三菱純正車自体が希少な存在でしたねぇ。しかも3台中2台が呉羽製というのも興味深い所ですわ。
ワタシはやっぱり、三菱純正ボディーが一番スキですわ!
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