さて、昨日に引き続き、春先の岡山路ボンネットバスで戯れる後編をお送りいたします。
オバQとの感動の出会いをなしえた後、我らが福山自動車時計博物館のBH15は春先の吉備高原のワインディングロードをひた走り、大物廃車体が待ち構えるあの町へ・・・・
その前に、
足守交通 K-MS615SA 昭和58年式
縦揺れの激しいボンネットバスから撮影したので、こんな画像になっちまいました。何気に国内最古参の部類にはいる観光バスに違いないでしょう。色から判るように元京成電鉄ですわ。諸説ありますが、後部が固定サロン、1スパンだけT字窓から判断すると間違いないようですけど・・・。それにしても、この塗装の落ち方からすると既に稼動して無いように見えますが、プレートを切っていないのがせめてもの救いでしょう。
現存する貴重な富士重工R3、今度コレ借りてみますかねぇ・・・・。
我々を乗せたBH15は足守の街に突入!
ボンネットバスは狭い道が似合いますなぁ。
古い街並みもね。
そして目的地到着!
帝産湖南交通 R200 昭和30年代
なぜこんな所に帝産湖南?最初に見つけてからもう10年以上たちますけど、北京オリンピックの餌食にもならず変わらぬ場所でずっと鎮座しとります。
またもやお約束・・・
同じぐらいの年式なのに生きてるのと死んでるのではこうも差が出るモンなんですねぇ。
今回はイベント盛りだくさんで、
備中国分寺にて
最後に存続の危機に立たされている、井笠鉄道記念館に向かう事に。
その道中、
勝田交通 P-MS729S 平成元年式ぐらい
ぬぉぉぉ!いまだ未ゲットの勝田交通のクィ-ンK!!。まだチョロチョロ動いているようなんでもうそろそろキレイに撮りたいで。
井笠鉄道記念館に向かうには左折しなければならない所があったのですが、ハンドルを握る糸目ネェさんが直進してしまい、じゃどこか曲がれるところは無いかと走っていたらありました。道が・・・。
狭いながらもそんな所の方が萌えると言う事で強行突破!
車幅ギリギリの橋です・・・。
橋は渡った後が大変よ・・・と、福山のMさまがポツリ。
福山のMさまの予言的中!
何とか行けると、じわりじわりと進みます。
マジかい!もう厳しいんでねぇの?
ここでギブアップ!。広く見えますが左は壁があり、右の電信柱がなければ抜けれたんですけど・・・・。
結局来た道をフルバックで戻りました!・・・逆に狭い道をバックで戻る方が至難の業かと思いますが、糸目ネェさんは涼しい顔をして飄々とバックして行きました・・・。
結局、本来曲がるはずの道まで戻り、
井笠鉄道 MS513N 昭和52年式
またもやコラボ・・・・
末永く存続して欲しいですね。
そして、
無事、福山自動車時計博物館に帰還!!
ホント楽しくて、ハプニングもあり、あっという間に一日が過ぎました。
参加された皆さま、お疲れさまでした。
そして何時もステキなイベントに声を掛けていただきます福山自動車時計博物館並びに福山のMさまありがとうございました!!。いつも感謝感激でございます!。
また誘ってやってください!
オバQとの感動の出会いをなしえた後、我らが福山自動車時計博物館のBH15は春先の吉備高原のワインディングロードをひた走り、大物廃車体が待ち構えるあの町へ・・・・
その前に、
足守交通 K-MS615SA 昭和58年式
縦揺れの激しいボンネットバスから撮影したので、こんな画像になっちまいました。何気に国内最古参の部類にはいる観光バスに違いないでしょう。色から判るように元京成電鉄ですわ。諸説ありますが、後部が固定サロン、1スパンだけT字窓から判断すると間違いないようですけど・・・。それにしても、この塗装の落ち方からすると既に稼動して無いように見えますが、プレートを切っていないのがせめてもの救いでしょう。
現存する貴重な富士重工R3、今度コレ借りてみますかねぇ・・・・。
我々を乗せたBH15は足守の街に突入!
ボンネットバスは狭い道が似合いますなぁ。
古い街並みもね。
そして目的地到着!
帝産湖南交通 R200 昭和30年代
なぜこんな所に帝産湖南?最初に見つけてからもう10年以上たちますけど、北京オリンピックの餌食にもならず変わらぬ場所でずっと鎮座しとります。
またもやお約束・・・
同じぐらいの年式なのに生きてるのと死んでるのではこうも差が出るモンなんですねぇ。
今回はイベント盛りだくさんで、
備中国分寺にて
最後に存続の危機に立たされている、井笠鉄道記念館に向かう事に。
その道中、
勝田交通 P-MS729S 平成元年式ぐらい
ぬぉぉぉ!いまだ未ゲットの勝田交通のクィ-ンK!!。まだチョロチョロ動いているようなんでもうそろそろキレイに撮りたいで。
井笠鉄道記念館に向かうには左折しなければならない所があったのですが、ハンドルを握る糸目ネェさんが直進してしまい、じゃどこか曲がれるところは無いかと走っていたらありました。道が・・・。
狭いながらもそんな所の方が萌えると言う事で強行突破!
車幅ギリギリの橋です・・・。
橋は渡った後が大変よ・・・と、福山のMさまがポツリ。
福山のMさまの予言的中!
何とか行けると、じわりじわりと進みます。
マジかい!もう厳しいんでねぇの?
ここでギブアップ!。広く見えますが左は壁があり、右の電信柱がなければ抜けれたんですけど・・・・。
結局来た道をフルバックで戻りました!・・・逆に狭い道をバックで戻る方が至難の業かと思いますが、糸目ネェさんは涼しい顔をして飄々とバックして行きました・・・。
結局、本来曲がるはずの道まで戻り、
井笠鉄道 MS513N 昭和52年式
またもやコラボ・・・・
末永く存続して欲しいですね。
そして、
無事、福山自動車時計博物館に帰還!!
ホント楽しくて、ハプニングもあり、あっという間に一日が過ぎました。
参加された皆さま、お疲れさまでした。
そして何時もステキなイベントに声を掛けていただきます福山自動車時計博物館並びに福山のMさまありがとうございました!!。いつも感謝感激でございます!。
また誘ってやってください!
義母の実家が岡山県御津郡(現岡山市)で、18年前に結婚した直後の里帰りで見つけた時の感激は今も忘れません。
リヤに「TEIKOKU SANGYOU」の文字が薄っすら残ってましたね。
元帝産湖南交通なのかは不明ですが、帝産オートが購入したR280型ではないでしょうか?
昭和30年12月に新三菱ボデーはK3型に移行しますから、昭和29~30年製と考えていいでしょうね。
側面の最後部窓がインテークグリルになっておらず、後方天井から後面窓中央にインテークダクトがあり、側面の最後部窓が三角窓になっていますもんね。
ちなみにR200シリーズは全2661台が生産されたそうです。
現存する1/2661台と言えるでしょう。
テールライトがバス協タイプに交換されているので結構長生きだったんでしょうか?
それとも中古車に売られて、自家用バスか何かで第二のバス生を送っていたんでしょうか?
でも高速道路の工事現場に道路標識を配送した後、3キロほどバックさせられた経験がありますので、基本後退プレイは得意なんですよ~~~(←全然反省していない)
おお~!なるほど、詳しい解説ありがとうございます!!。ためになりますわ!。コレはR280なんですね。この頃のバスの資料って皆無に等しいので語りたくても語れないんですよね・・・助かります!!
>糸目後退今日子さま
たかが電信柱、されど電信柱でしたねぇ。失態と言うよりは伝説ですぜ!。アレさえなければ通り抜けられていたでしょうが、大型車が通る事が前提となっていない路地みたいな道路でしたから仕方ないですな。前進で難儀したあの狭いカーブを後退で抜けて行くのも中々出来ないと思うので、そこはさすがだと感じましたぜ。何と昔はトラックも転がしていたんですか!3キロバックもスゴイですねぇ。
足守交通ですが、実は足守地内某所にもう1箇所車両を置いている場所がありまして、そこに何年か前に行ったことがあります。
現在はどうなのか知りませんが、当時はインフレナンバー付けた日野ACなんぞがいたりしましたが…(;゚Д゚)!
ほほぉ、そのもう一つある車庫は知りませんが、そのパノラマデッカー風、固定窓3連テールのP-AC140AAは押さえております!!。ナイショの運転手付きレンタカー全盛時代の産物ですねぇ。
ほほぉ、そういう話は読んでいてわくわく観光しますわ!。その資料欲しいなぁ・・・手に入らんでしょうねぇ。