2008年が始まりました。
2007年は、私にとって最悪の年であったわけですが、なぜそのような年になってし
まったのかを、日本の戦後の歴史の中で見てみたいと
思います。この文章は、JANKANに昨日投稿しました「小泉改革派は弱者を見殺しにす
る」http://www.news.janjan.jp/living/0801/0712308210/1.phpの記事に対して、コ
メントを書いてくれた方への返事を土台としています。
日本はなぜこのような状況に陥ってしまったのでしょうか?
1945年の敗戦の焦土から立ち上がり、1964年の東京オリンピック開催、1970年の大阪万博開催などで高度経済成長を
達成した日本は、1985年の「平成バブル景気」以前までは、世界に例の無いほど貧富の差が少ない中間層の多い、比較的安定した社会でした。
国民全員が中流意識を持っていた時代でした。
1985年に、先進5カ国による「プラザ合意」で,米国の対外不均衡解消を名目とした協調介入への合意がなされた結果、ドルの価値が半減し、
逆に円の価値が倍増しました。
円高不況の発生を恐れた日銀は、低金利政策を採用した結果、不動産や株式への投機を加速させて、バブル景気を煽ることになりました。
1985-1990年までが、「平成バブル景気」ですが、「土地の価格は決して下がらない」という「土地神話」がもてはやされ、金融機関は、会社でも個人でも、
土地、住宅、株、債権、ゴルフ場、リゾートへの投資、投機を盛んに煽ったものです。
今破綻が問題となっています、米国の「サブプライム住宅ローン」を、米国の金融機関がだれかれと無く低所得者層に売り込んだのと経緯がそっくりです。
1990年3月に、当時の大蔵省が金融機関に対して、行き過ぎた不動産価格の高騰を沈静化させる為に、「総量規制」の行政指導をしたため、
予想以上の急激な景気後退=バブル崩壊の引き金を引いてしまいました。
その後1991-2003年までの10年余りの間は、「複合不況」「平成不況」とも呼ばれる大不況で長期間続きました。
日本銀行による急速な金融引き締めで、国内の信用収縮と在庫調整に世界的な不況が加わり、銀行・証券会社等の大手金融機関が破綻し、
企業倒産や、従業員解雇、金融機関の統廃合などが相次いつぎました。
金融機関の不良債権処理が遅々として進まず、最後に政府は、1996年から2003年までに、総額47兆円の税金(朝日新聞予想)を投入して救済
したわけです。
丁度この期間、団塊ジュニア世代が社会に出る時期でありましたが、企業は正社員の採用を控えた為、新卒者は「就職氷河期」に遭遇し、
就職難の時期が2004-2005年まで続きました。
正社員として就職できなかった多くの若者が、非正規社員のアルバイトやパートとして派遣され、低賃金で働かざるを得ない状況が今でも続いています。
そして、2001年3月に内閣総理大臣に就任したのが、小泉純一郎でした。
長期の不景気による倒産や就職難、自殺者急増など暗い世相の中、「自民党をぶっ壊す」「改革なくして成長なし」「官から民へ」と、短く分かりやすい
フレーズで颯爽と登場し、「小泉構造改革」を訴えたのが小泉純一郎でした。
国民は、既得権益をしがみつく「守旧派」の政治家や官僚を駆逐し、規制緩和によって「独占企業」を市場から追い出してくれる
「小泉構造改革」を、国民の為の「改革」であると思い込み、90%近い支持率で熱狂的に応援しました。
それから数えて6年の2007年、日本の現状は投稿記事「小泉改革は弱者を見殺しにする」状態であり、コメントの<日本はどうなっちゃうんでしょうね>
の状態です。
今までの景気循環ですと、景気が回復すれば、消費が回復し、正規雇用も非正規雇用も増えるですが、現在の「景気回復」には格差がでています。
「大資本・大企業」は好景気で利益が増えているが、「中小・零細企業」が不況で収益が減っていますし、「個人」も収入が減って支出が増える状況です。