杉並からの情報発信です

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【YYNewsLive】■70年前の今日1948年4月3日は韓国済州島で南朝鮮労働党と農民が李承晩政権下の韓国軍、警察、右翼青年団体による『白色テロ』に抵抗して武装蜂起した日である!

2018年04月03日 22時27分26秒 | 政治・社会
いつもお世話様です。                          

【YYNews】【YYNewsLive】【杉並からの情報発信です】【YYNewsネット世論調査】を主宰する市民革命派ネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。

本日火曜日(2018年04月03日)午後8時30分から放送しました【YYNewsLiveNo2525】の放送台本です!

【放送録画】81分11秒

http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/454276989

【放送録画】

☆今日の推薦映画

①ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書

劇場公開日 2018年3月30日

http://eiga.com/movie/88119/ 映画.COM

解説

巨匠スティーブン・スピルバーグ監督のもとで、メリル・ストリープとトム・ハンクスという2大オスカー俳優が初共演を果たした社会派ドラマ。ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に疑問や反戦の気運が高まっていた1971年、政府がひた隠す真実を明らかにすべく奔走した人物たちの姿を描いた。リチャード・ニクソン大統領政権下の71年、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をニューヨーク・タイムズがスクープし、政府の欺瞞が明らかにされる。ライバル紙でもあるワシントン・ポスト紙は、亡き夫に代わり発行人・社主に就任していた女性キャサリン・グラハムのもと、編集主幹のベン・ブラッドリーらが文書の入手に奔走。なんとか文書を手に入れることに成功するが、ニクソン政権は記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求。新たに記事を掲載すれば、ワシントン・ポストも同じ目にあうことが危惧された。記事の掲載を巡り会社の経営陣とブラッドリーら記者たちの意見は対立し、キャサリンは経営か報道の自由かの間で難しい判断を迫られる。第90回アカデミー賞で作品賞と主演女優賞にノミネートされた。

☆今日の画像

①『済州島4.3事件』洞窟に横たわる犠牲者の遺体

20180403済州島43事件

②『済州島4.3事件』韓国軍に殺された直後の島民たち!(この写真を撮ったのは米軍)

20180403島民虐殺

③性接待を強要された自殺した韓国の女優チャン・ジャヨンさん

20180403チャンジャよん

☆今日の映像

①【YouTube映像】BBC WORLD NEWS 隠された韓国の民間人虐殺 (2分57秒)

https://www.youtube.com/watch?v=MokPTf_Uj1Q

②【YouTube映像】映画『チスル』予告編

https://www.youtube.com/watch?v=uW67VbtYPY4

2014/02/18 に公開

太平洋戦争終結後、南北に分断された朝鮮半島の済州島で起きた「済州島四・三事件」を題材に描く衝撃のヒューマンドラマ。1948年、3万人を超える島民たちが犠牲となった実話を基に、戒厳令下でおびえながら暮らす人々の戦々恐々とした日々を映し出す。済州島出身のオ・ミョル監督が韓国の歴史的タブーに挑み、サンダンス映画祭ワールドシネマ・グランプリなどを受賞。明らかになる現代史の知られざる暗部に、言葉をなくす。

③映画『チスル』 DVD

ヤン・ジョンウォン (出演), イ・ギョンジュン (出演), オ・ミヨル (監督)

https://goo.gl/opoev6 Amazon

内容紹介

★悲しむことさえ許されなかった-。
1948年4月3日。世界遺産・済州島で何が起きたのか?
心揺さぶる鎮魂の実話。

★『息もできない』を超えて、異例の大ヒット! 韓国映画初!! サンダンス映画祭 ワールドシネマ・グランプリ受賞 !

韓国では、ヤン・イクチュン監督『息もできない』のインディペンデント映画動員記録を塗り替え、異例の興行成績で大ヒット! 釜山国際映画祭でもNETPAC賞、市民評論家賞、映画監督組合賞、CGVムービーコラージュ賞の4部門を席巻! ロッテルダム国際映画祭、ヴズール国際アジア映画祭など世界からも注目を集め、サンダンス映画祭では韓国映画として初めてワールドシネマ・グランプリも受賞した傑作!

★済州島4・3事件。許されざる慟哭の歴史が、劇映画として初めて完成!
第二次世界大戦で日本が連合国に降伏すると、アメリカ軍とソビエト連邦軍が朝鮮半島を北緯38度線で南北に分割し占領した。アメリカ主導で進められた南だけの単独選挙が国の分断を決定的にするとして、1948年4月3日、選挙に反対する済州島民が武装蜂起した。それが発端となり、米軍が作戦統治を行っていた韓国軍と警察は、海岸線5kmより内陸にいる人間を暴徒と見なし、鎮圧の名の下無差別に虐殺―。事態は熾烈を極め、7年もの間に約3万人が犠牲となったが、その大半は思想や信条とは無縁な人々だった…。時の体制に“アカの島"で起きた“共産暴動"と烙印を押され、近年まで語ることさえタブーとされてきた衝撃の事件が、遂に映画化! !

★歴史から抹殺された韓国現代史最大のタブー
済州島出身のオールスタッフ・キャストが渾身の映画化! 監督は済州島に生まれ育った新鋭オ・ミヨル。未だ真相の究明が十分に果たされていない4・3事件の真実を初めて映画化。何の罪もない民衆の視点から描くことに成功している。 本作には済州島出身のキャスト・スタッフが結集! 沈黙を強いられてきた生き証人の言葉にならぬ声をすくい上げ、島民が逃げ込んだ実際の洞窟で撮影を敢行している。 圧倒的な映像美で描かれた彼らの絶望と希望の刹那が、観る者の心に訴えかける!

■ストーリー■「海岸線5Kmより内陸にいる人間を暴徒と見なし、無条件で射殺せよ」。1948年10月、韓国軍から突然に発表された布告文に島民たちは恐怖で右往左往する。噂に翻弄されて、ある者は山に逃げ込み、あるものは銃を取って抵抗しようとする。抵抗しながらも、島民は明日には全てが終わり、いつもの暮らしが始まるものと信じていた。しかし漢拏山(ハルラサン)の麓にある村を占拠した韓国軍は村人の虐殺を開始。家を焼き払い、女・子供を問わず人々を追い立てる。家に戻れないことを悟った人々は、洞窟に立て篭もり、生き延びようとする。

内容(「キネマ旬報社」データベースより)

韓国現代史最大のタブー「済州島4・3事件」を映画化。第2次世界大戦後、アメリカ軍とソビエト連邦軍が朝鮮半島を北緯38度線で南北に分割し占領した。1948年4月3日、アメリカ主導による南だけの単独選挙に反対した済州島民は武装蜂起するが…。
内容(「Oricon」データベースより)

「海岸線5Kmより内陸にいる人間を暴徒と見なし、無条件で射殺せよ」。1948年10月、韓国軍から突然に発表された布告文に島民たちは恐怖で右往左往する。噂に翻弄されて、ある者は山に逃げ込み、あるものは銃を取って抵抗しようとする。抵抗しながらも、島民は明日には全てが終わり、いつもの暮らしが始まるものと信じていた…。

☆今日の推薦図書(朗読)

■宋鴻兵(ソン・ホンビン)著『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』(ランダムハウス2009年5月20刊)

この本は中国で150万部、韓国で7万部、台湾で3.5万部が売れたベストセラーです。

(序文より)

『本書では18世紀以降に起こった重大金融事件の黒幕にスポットを当て、彼らの戦略瀬的目的や常套手段を分析比較しながら、彼らが将来中国に対して仕掛ける攻撃方法を予測し、中国の取るべき道を探ってみたい。"硝煙のない戦争"はすでに始まっている』

▲第23回 (2018.04.03) 

第2章 国際銀行家とアメリカ大統領の百年戦争

リンカーン暗殺の真犯人は誰だ (P81-P83)

(1)今日のメインテーマ

■70年前の今日1948年4月3日は韓国済州島で南朝鮮労働党と農民が李承晩政権下の韓国軍、警察、右翼青年団体「西北青年会」による『白色テロ』に抵抗して武装蜂起した日である!

これに対して韓国軍憲兵、警察、反共団体は在韓米軍の許可と協力の元その後7年7カ月にわたって『朝鮮労働党員狩り』を行い済州島島民6万人(BBN放送は10万人)を殺し村の70%を焼き尽くした!

『済州島4.3事件』は『韓国版ホロコースト』であり韓国では今でも最大タブーの一つである!

済州島の多くの島民は『4.3事件』の大虐殺を逃れて日本に密航し大阪を中心に定住した。

彼らにとっても『済州島4.3事件』は今でも悪夢であり最大のタブーなのだ。

▲【済州島4.3事件とは?】( Wikipedia 抜粋)

済州島四・三事件は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島の李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。

南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。

背景

事件の現場となった済州島
済州島(1948年9月以降の地図)
洞窟に横たわる犠牲者の遺体
済州四・三中文面犠牲者慰霊碑(西帰浦市)

1945年9月2日に日本が連合国に降伏すると、朝鮮半島はアメリカ軍とソ連軍によって北緯38度線で南北分割占領され、軍政が敷かれた。この占領統治の間に、南部には親米の李承晩政権、北部には抗日パルチザンを称する金日成の北朝鮮労働党政権が、それぞれ米ソの力を背景に基盤を固めつつあった。1945年9月10日、朝鮮建国準備委員会支部が済州島にも創設され、まもなく、済州島人民委員会と改められた[4]。1947年3月1日、済州市内で南北統一された自主独立国家の樹立を訴えるデモを行っていた島民に対して警察が発砲し、島民6名が殺害される事件が起きた[4]。この事件を機に3月10日、抗議の全島ゼネストが決行された。これを契機として、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁は警察官や北部・平安道から逃げてきた若者を組織した右翼青年団体「西北青年会」を済州島に送り込み、白色テロが行われるようになった。

特に上述の西北青年会は反共を掲げて島民に対する弾圧を重ね、警察組織を背景に島民の反乱組織の壊滅を図った。島民の不満を背景に力を増していた南朝鮮労働党は、1948年4月3日、島民を中心とした武装蜂起を起こした。

▲【関連記事】

「済州4・3ー70周年企画 4]“4・3”白碑は名前が欲しい

2018/04/02 ハンギョレ新聞日本語版

済州市奉蓋洞の済州4・3平和記念館を訪れた見学者が、記念館に置かれている白碑を見ている=済州/ホ・ホジュン記者

済州4・3平和記念館に碑文の内碑石 名前も付けられなかった4・3の現住所

済州市(チェジュシ)奉蓋洞(ポンゲドン)の済州4・3平和記念館。うす暗い第1館「歴史の洞窟」に入れば、鳥の声がしばし聞こえ、両壁には欠けた水瓶と壷が置かれている。天井からしたたり落ちるような水音は、そこが洞窟の中であることを感じさせる。済州4・3当時、済州島に散在している自然洞窟は、済州の人々の避難所だった。その洞窟の終点には白い大理石の碑石が横たわっている。碑石は、円筒形の柱を通じて来る日光を受けて輝く。

抗争・暴動・虐殺など
7年7カ月間、絡まり合った事件…
政府報告書には事件の定義だけ…

2014年国家追悼日には指定されたが
歴史的評価は後世の役割に残し
70周年迎え正名運動が始まった

国家は50年間「暴動」とし
進歩史学界は「抗争」とした
最近15年間、虐殺糾明に焦点
「統一国家に向けた闘争」談論喪失
抗争性など歴史的大義に再照明
多様な性格を包括した「正名」見つけるべき

■名付けることすらできなかった歴史

碑石の表面には何の字も彫られていなかった。いわゆる“白碑”だ。説明文には「4・3白碑、名付けることもできなかった歴史」と記されている。名もなく立てることもできなかった。白碑は、事件発生から70年が経っても名付けることもできなかった4・3の現住所を見せる象徴物だ。

2003年10月、韓国政府の「済州4.3事件真相調査報告書」(政府報告書)が確定して、大統領が謝罪し国家追悼日に指定されたが、依然として4・3は“名付けることもできなかった歴史”として残っている。当時の政府報告書は、事件の定義はしたが、性格規定は先送りした。2003年10月、国務総理室傘下の「済州(チェジュ)4・3事件真相究明および犠牲者名誉回復委員会」(済州4.3委員会)が確定した政府報告書の序文で、当時コ・ゴン国務総理は「報告書は事件の真相究明と犠牲者・遺族の名誉回復に重点を置いて作成され、4・3事件の全体に対する性格や歴史的評価は下さなかった。これは後世史家の役割と考える」と明らかにした。

現代史の大きな事件の中で、4・19革命(注山崎)はすでに法・制度的公認がなされ、釜馬(釜山・馬山)抗争、5・18民主化運動、6・10抗争は文在寅(ムン・ジェイン)大統領が用意した改憲案前文に明示されるほどに民主化運動として公認された。 これとは違い「済州4・3」は単に「4・3」だ。発端から終結まで一カ月前後だった他の懸案と比べて、4・3は7年7カ月にわたり、性格規定が難しくなった。分断と冷戦初期の展開過程で起きた済州4・3は、米軍の直接・間接的な介入と鎮圧に出た軍・警と西北青年団などの反倫理的な残虐行為が絡まり合いながら拡大した。

3月10日、旅行で済州に来て、済州4・3記念館に立ち寄ったソン・ハンヨン全南大学5・18研究所長は、「初めは4・3の時に多くの人が犠牲になったので、誰が犠牲者かわからなくて白碑を作ったのだと思ったが、済州の人々のジレンマが白碑を通じて凝縮的に見える」と話した。ソン教授は「どうにも自身の心を表わせないジレンマが白碑に象徴されているようだ。“国家暴力”についてあえて話すこともできない気持ち、“抗争”とか“虐殺”とかいう表現は、国家権力や右翼が嫌うために使えないという気持ちが感じられる」と解釈した。

■済州4・3とは

与野党合意で2000年1月に制定された「済州4・3真相究明および犠牲者の名誉回復に関する特別法」(済州4・3特別法)には「済州4・3事件」の定義を「1947年3月1日を基点とし1948年4月3日に発生した騒擾事態および1954年9月21日まで済州島で発生した武力衝突とその鎮圧過程で住民が犠牲になった事件」と規定している。

政府報告書によれば、済州4・3は米軍政時期の1947年3月1日、警察の発砲で「3.1節28周年記念大会」参加者の街頭行進を見物していた小学生と若い女性を含め6人が亡くなったのに、警察は発砲責任者の処罰どころか正当防衛だと主張して、大々的な検挙旋風が吹き荒れて始まった。

その後1948年3月まで2500人余りが検挙され、拷問を受けたり裁判に付された。また、極右性向のユ・ヘジン道知事の独断的行政行為、極右勢力である西北青年団の済州島民に対する苛酷行為と、1948年3月の警察による2件の拷問致死事件を契機に、南朝鮮労働党(南労党)済州島委員会が1948年4月3日「弾圧には抗争だ」として、5・10単独選挙反対などを名分に武装蜂起を起こした。4・3は、米軍政下で起き朝鮮戦争が終わった翌年の1954年9月に漢拏山(ハルラサン)入山統制区域が解除される時まで、7年7カ月にかけて展開された。

一部の保守団体は、南労党の武装蜂起と「5・10選挙反対」などを挙げて、4・3を相変らず「共産主義の暴動」であり「反乱」と見ている。

しかし、済州4・3時期に武装隊の民間人虐殺や放火はあったが、多くの集団虐殺と無差別的放火が軍・警などの公権力によってなされたことは否めない。済州4.3委員会が犠牲者と遺族を最後に審査した昨年7月25日現在、犠牲者は1万4232人(死亡1万244人、行方不明3576人、後遺障害164人、受刑人248人)、遺族は5万9426人だ。犠牲者全体のうち、10歳以下は5.4%(772人)、11~20歳は17.3%(2464人)で、全体の22.7%が20歳以下だ。また61歳以上は6.3%(900人)を占めた。このような犠牲者比率は、当時済州島民が老若男女の別なく無差別に犠牲になったことを意味する。政府報告書は犠牲者数を2万5千~3万人と推定している。

■なぜ正名運動が展開されるのか

済州4・3 70周年汎国民委員会は今年70周年をむかえ「4・3に定義を、歴史に正名を」をスローガンに掲げた。政治を任されたら何からするかという問いに孔子が「名を正す(正名)」と答えたという話から正名が出てきた。パク・チャンシク4・3汎国民委運営委員長は「公式的な歴史になるまでには多くの社会的討論と合意の過程が必要だが、正名問題をずっと先送りすることはできない。70周年に国家的な次元で公式正名がなされることは難しくとも、4・3の主体的な側面に光を当て、評価する部分は本格的に始めなければならない。正名運動の本格的な出発だ」と話した。彼は「4・3が特別法の制定などで制度化され、国家暴力による犠牲、大量虐殺などのフレームに閉じ込められた側面がある。当時、島民たちは単純に犠牲と抑圧のオブジェクトとしてのみ存在したわけではなく、歴史の主体であった。解放空間で近代国民国家を形成していく主体として、統一された国を建設するための努力と闘争があったが、(政府報告書以後の)過去15年間、談論の中で失踪した側面があった」として、正名運動の背景を説明した。

済州4・3はこれまで暴動、抗争、虐殺などの名で呼ばれてきた。「暴動」は事件以後50年近く国家の公認された認識であったし、今も一部の保守勢力は4・3の性格を「暴動」で規定している。彼らは、討伐は正当だったし、鎮圧過程で一部の罪のない者の犠牲があったという見解だ。進歩歴史学界などは外勢の不当な弾圧に抗して分断に反対した「抗争」と規定する。またもう一つは、4・3の真実を糾明し傷を治癒するために、4・3は国家暴力による「民間人虐殺」と見たりもする。最近では、4・3の発生原因を分析し、外部の不正と不義などの不当な弾圧に抗して島の共同体を守るために起きた「正義」の闘争と見る研究者もいる。

こうした多様な見解により、研究者は済州4・3は長期にわたって展開されたため正名に対する合意は容易でないと口をそろえる。ヤン・ジョフン済州4・3平和財団理事長は「正名問題に関する限り、現場と研究者の間に乖離がある。学者の立場から見れば、4・3は『抗争』だ。解放空間から48年の状況までを見れば抗争だ。しかし、その後54年までの期間は抗争でもなく、生存のための殺す側と殺される側との戦いだった」として「そのために正名には時間が必要だ。白碑は余韻を残すものだ」と話した。

キム・ジョンミン元4・3専門委員は「犠牲者全体の10%未満と考えられる武装隊による犠牲者の遺族の気持ちも共に推し量らなければならない。比率が少ないからと言っても武装隊の誤りも確実にある。東学のように100年あまりの歳月が流れた後に、4・3を個人史や家族史ではなく歴史の目で見る時に初めて正名できることになるようだ、しかし、研究者が抗争と表現する分には反対しない」と話した。歴史学者であるパク・チャンシク済州学研究センター長は「個人の意見と公的領域で扱われるのは別の次元だ。公的な領域において正名運動は4・3 70周年をむかえて掲げたスローガンであり、積極的に推進しなければならないのは明らかだ。しかし、正名運動で国民的追認を受けることは相当に難しい過程を踏まなければならないだろう。東学運動も最初は東学の乱から始まり、東学革命を経て、東学農民戦争で定説化されたが、100年近い時間を経て正名化された」と見通した。

韓国現代史研究の権威者であるソ・ジュンソク成均館大学名誉教授は、4・3の「抗争的」側面を強調する。彼はハンギョレとの電話インタビューで「4・3事件という名前をつけるだけでは、4・3を完全に理解することはできない。これまでは政治的な理由で4・3の抗争的な面を浮き彫りにすることが困難で、ただ4・3特別法にあるとおりにしようと適当にやり過ごしてきた面がある。正名を見つけるための積極的な努力があったとは見難い」と指摘した。彼は「4・3の勃発原因がきわめて重要だ。政府報告書にもあるが、特に3.1節記念大会以後に済州島に押し寄せてきた内地の人々の横暴や米軍政の実情、解放から2~3年が過ぎても統一独立国家を成し遂げられなかったことに対する絶望、こういうものが結局は4・3で爆発した。西北青年団などにやられたという強い被害者意識も作用した。そうした面で抗争的な性格を持っている。また、4・3は他の事件とは異なり、非常に長く続いた。抗争的な性格が強く入っていなければ、それほど長くは続かない。今までは真相究明と名誉回復に焦点を合わせざるをえなかったが、これからは一段階さらに(研究が)前に出て行かなければならない」と話した。

「4・3抗争」研究で博士学位を受けたヤン・ジョンシム博士は、「4・3が現在進行形であるように、現世代と未来世代が出会うためにも、4・3の多様な性格を表わさなければならない」と強調した。彼は「4・3は追慕公園、追悼碑、遺跡、遺体発掘などの痛みだけでなく、当時の一般大衆の自主的国家樹立、より良い世の中に対する熱望が溶け込んだ時間であることを記憶しなければならない」と話した。

パク・チャンシク4・3汎国民委運営委員長は「武装隊による虐殺は、そうした部分があったままに十分に照明を当てられなければならない。しかし、その問題を正名問題と結びつけてこそ正しいと言えるかは熟慮を要する。武装隊として立ち上がった一部の人々の問題ではなく、当時の済州島民、多くの国民の熱望が基底にある。抗争としての正当性を有していたとは言え、武装隊によって殺害された当事者遺族たちの立場としては簡単に受け入れにくい立場が確かにある。そのために時間がかかりうるということを十分に考慮しなければならない。しかし、歴史的大義を持って戦った部分を覆い隠してしまい、犠牲のフレームだけが4・3の全てになってしまうことを放置することはできない。4・3が本来始まった背景、動機、主体としての歴史、大衆の歴史に対する照明を遅らせることはできない」と強調した。

済州4・3問題の解決に深い関心を見せてきた天主教済州教区のカン・ウイル主教は「立場の差により眺める視角が異なり、皆が合意する名称を付与することはまだ容易でないようだ。4・3勃発の事前と事後の歴史、そして、その過程に対するさらに深い研究と議論が省察の過程を経て、お互いの立場の違いを狭めて行った後に可能になると考える。その時までは、当分不完全だが『4・3』で満足せざるをえないようだ」と話した。

済州/ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

(注1山崎):四月革命(4.19革命)とは、1960年3月に行われた第4代大統領選挙(3.15不正選挙)における大規模な不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモにより、当時、第四代韓国大統領の座にあった李承晩が下野した事件。最も大規模なデモが発生した日が4月19日であったことから、4.19革命(サイルグヒョンミョン)、4.19(サイルグ)とも言う。また、革命後一年足らずで朴正煕少将らによる軍事クーデター(5・16軍事クーデター)が発生して、自由が抑圧された長い軍政時代に突入したため未完の革命とも呼ばれている。(Wikipedia抜粋)

(終わり)

(2)今日のトッピックス

①改ざん文書に新事実 安倍首相が国会で森友教育方針を礼賛

2018年4月2日 日刊ゲンダイ

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226316

財務省の文書改ざんの原因はやっぱり安倍首相本人だ。

改ざん前の決裁文書の〈森友学園への議員等の来訪状況〉と題された項目に〈平成25年9月平沼赳夫議員 講演会〉との記載がある。実は平沼氏は講演会後の2013年10月22日、衆院予算委員会で森友が運営する塚本幼稚園の教育方針について質問。安倍首相に見解を求めていた。

平沼氏に〈(園児らが)あの長い教育勅語を全部言うんですね。【中略】この幼児教育について総理大臣の所見を伺います〉と問われ、安倍首相はこう答えている。

〈反復練習というのは、【中略】想像力、思考力を伸ばすことにも大きな影響を及ぼしているということが最近わかってきた〉〈規範意識を身につける機会を保障することが教育の大きな目的〉

まるで森友の教育方針を後押しするような答弁だ。

このやりとりについて、民進党の小西洋之参院議員が、文書改ざんが行われていたさなかの昨年3月13日の予算委で質問。これが文書改ざんのきっかけになった可能性がある。
「昨年、私が質問した際も、安倍首相は森友学園の教育方針について、決して否定しませんでした。テレビ中継を見て慌てた財務省職員が忖度したのかは分かりませんが、安倍首相の答弁が原因で改ざんせざるを得なかったのではないか。そう疑われても仕方ありません」(小西議員)

 森友問題は間違いなく「安倍事案」だ。

②カースト最下層が抗議デモ、一部暴徒化で8人死亡 インド

2018.04.03 CNN.CO.JP

https://www.cnn.co.jp/world/35117099.html

デモ中に殴られる抗議者=2日、ウッタル・プラデシュ

(CNN) インド各地で2日、カースト(身分制度)の最下層「ダリット」出身者ら数万人が、憎悪犯罪をめぐる最高裁判決に抗議するデモを展開し、一部が暴徒化して8人の死者が出た。

デモはインド国内の少なくとも10州で実施され、鉄道の運行停止や店舗の閉鎖が相次いだ。当初は平和的なデモとして始まったが、中部マディヤ・プラデシュ、北部ウッタル・プラデシュなど少なくとも7州で警官隊との衝突など暴力が発生した。

マディヤ・プラデシュ州では5人の死者が報告されている。警察は最初の死者が出た直後、一部地域に夜間外出禁止令を出した。

ダリットの割合が最も多い北部パンジャブ州では、公共交通機関がストップして銀行や学校が閉鎖され、高校の統一試験も延期された。

首都ニューデリーでもデモが実施されたが、暴力は起きていない。

ダリットはカーストを構成する4階級よりさらに下の身分と位置付けられ、「不可触民」として差別されてきた。

最高裁は3月20日、下位カーストや部族に属する人々への憎悪犯罪の容疑者を警察が逮捕する前に、予備的な捜査が必要だとする判断を下した。ダリット出身者らはこれに対し、憎悪犯罪を裁く妨げになると抗議している。

③731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

2018/04/02 京都新聞

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180402-00000033-kyt-soci

人体実験の疑いを説明する「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」の西山事務局長ら(京都市左京区・京都大)

ペストを投与した人体実験の疑いがある論文を執筆した旧関東軍731部隊の将校に京都大が医学博士号を授与したとして、池内了名古屋大名誉教授らが「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」を設立、2日に京大で記者会見し、検証の必要性や学位の取り消しをアピールした。

旧満州で細菌兵器を研究し、捕虜らに人体実験をしたとされる旧731部隊には、部隊長の石井四郎中将を始め京大医学部出身者が所属していた。京大は約20人の731部隊関係者に学位を授与しているという。731部隊の問題で、大学に対し学位撤回を求める運動は全国で初。

問題になっている論文は、京大医学部出身の平澤正欣軍医少佐(1945年戦死)による「イヌノミのペスト媒介能力に就(つい)て」。

検証を求める会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授は「特殊実験で用いられた実験動物は人間だった疑いが強い。人体実験が事実なら論文はねつ造であり非人道的だ。京大はヒトだったか検証する義務がある」と指摘。今の科学で論文の妥当性を検証すべきとした。

会は検証を求める署名を集めており、7月にも京大学長や医学部長に検証を要請するという。

■14日に記念講演

検証を求める会は14日午後1時から、京都市左京区の京都大百周年時計台記念館で、設立を記念する講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」を開く。「医学者たちの組織犯罪」などの著書がある常石敬一・神奈川大名誉教授が、「過去から学ぶ『軍学共同』の行きつく先」をテーマに講演する。無料。

④解雇の前FBI副長官に募金5800万円 法的支援の費用に

2018年4月3日 AFP日本語版

ttp://www.afpbb.com/articles/-/3169779

アンドリュー・マケイブ前米連邦捜査局(FBI)副長官(2017年7月13日撮影)

【4月3日 AFP】ドナルド・トランプ( Donald Trump )米大統領から厳しい批判を浴びた末に先月解雇されたアンドリュー・マケイブ(Andrew McCabe)前連邦捜査局(FBI)副長官が、法的支援を受けるための費用をクラウドファンディングサイトで募ったところ、目標額を大幅に上回る約55万ドル(約5800万円)が集まった。マケイブ氏は、満額の年金受給資格が得られるわずか2日前に免職されていた。

マケイブ氏の広報担当者メリッサ・シュウォーツ(Melissa Schwartz)氏によると、クラウドファンディングサイト「ゴー・ファンド・ミー(GoFundMe)」で2日正午ごろまでに54万1646ドルの寄付が集まった。目標額は15万ドル(約1600万円)だったが、寄付の呼び掛けを始めてから1週間足らずで3倍以上が寄せられた。

マケイブ氏は声明で「あふれんばかりの支援にただただ圧倒されている。集まった寄付の額にぼうぜんとしているが、非常に感謝している」と表明。「私たちの取り組みに勇気づけられて、他の人たちも自分のために、そして真実のために立ち上がることを望みたい」と述べた。

マケイブ氏は先月16日、2016年の大統領選の民主党候補ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)氏に関するFBIの捜査に対する内部調査でうそをついたとして、ジェフ・セッションズ(Jeff Sessions)司法長官に解雇された。FBIでの勤続期間が20年に達して完全な年金受給資格が得られるまで、あと26時間というタイミングだった。

マケイブ氏は寄付を募った目的について、現在進められている司法省の調査への対処や議会での証言、あるいは起こす可能性がある訴訟に当たり、法的支援の費用を賄うためと説明している。

⑤[社説]あきれた朴前大統領の「セウォル号」文書改ざんとチェ・スンシルとの対策会議

2018/03/29 ハンギョレ新聞日本語版

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180329-00030160-hankyoreh-kr

“朴槿恵(パク・クネ)大統領府”が、セウォル号の惨事の責任を避けるため、朴前大統領が報告を受けた時刻や回数などを改ざんしていた事実が検察の捜査によって明らかになった。惨事当日、大統領府災害・安保担当参謀たちの代わりに官邸を訪問したチェ・スンシル氏およびドアノブ3人組と対策を議論した事実も新たに明らかになった。あきれ、惨憺たる思いだ。

検察の発表によれば、朴前大統領は救助のゴールデンタイムが過ぎた事故当日午前10時22分ごろになってようやくキム・ジャンス安保室長と初めて電話で話し、書面報告書もその直前に官邸の寝室に伝達された。数百人の命がかかった一刻を争う重大な状況であるにも関わらず、儀礼的な救助指示だけして本館に出ないまま、官邸に留まり続けていたということだ。午後2時15分にチェ・スンシル氏が官邸に来てからようやく中央災難安全対策本部の訪問を決定し準備に入ったとは、開いた口がふさがらない。

リアルタイムで11回の書面報告を受けたという当初の主張と異なり、朴前大統領は午後と夕方、たった二回だけチョン・ホソン秘書官から状況報告書を受けとったという。セウォル号の船内の最後のカカオトークがあった午前10時17分をゴールデンタイムと見て、非難を避けるためにこれより早い午前10時に報告を受けたかのように、すべての書類と証言を改ざんしたというのが検察の判断だ。

当時、全国民が神経を尖らせてテレビ中継を見守っている状況だったが、大統領は、安保室長の二回の緊急電話も受けずに寝室に留まり、ドアの前まで来たアン・ボングン秘書官が何度も呼ぶ声で外に出たという。なぜその時間まで寝室に留まっていたのかは、今回の捜査でも明らかになっていない。

弾劾と拘束事由でもこのような荒唐無稽な職務遺棄の責任は十分に追及しなかった。彼女が犯したどの国政壟断罪よりも軽くない。2期特別調査委と船体調査委が再び活動中だ。浮かばれない犠牲者の魂がせめて慰労を受けられるよう、最後まで真実を明らかにするのが生きている者の責任だ。

(お問い合わせ japan@hani.co.k)

(3)今日の重要情報

①[社説]性接待を強要された女優の自殺、いまこそ事件の真実解明を

2018/03/26 ハンギョレ新聞日本語版

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180326-00030123-hankyoreh-kr

故チャン・ジャヨンさんなど無念の死を迎えた女性芸能人らの慰霊神事。重要無形文化財第72号の珍島修祓保存会のカン・ウニョン氏が踊りながらチャンさんを魂を鎮めている

2009年に「性接待強要」の事実を暴露して自殺した俳優チャン・ジャヨンさんの事件の再捜査を望む大統領府国民請願の参加者が、25日で22万人を超えた。大統領府の首席秘書官または関連部署の長官が公式に返事を出すことにしている「一カ月内の20万人参加」の基準を満たした。「権力型の性暴行事件」に対する国民の怒りがにじむ真相捜査要求に大統領府が答えるべき番になった。当時事件を捜査した検察も国民の意思に応じなければならない。

この事件の重要なきっかけは、チャンさんが自ら命を絶つ前に残した「チャン・ジャヨン文書」だ。この文書にはマスコミ社長、放送局のディレクター、財界の有力者に何度も酒の接待と性接待をしたという内容が書かれていた。チャンさんはこの文書で絶えず酒の席を強要されて精神科の治療を受け、接待しなければならない相手と寝ることを強要されたという告白もした。母親の命日なのに法事にも出られず酒の席に呼ばれたという悲痛な内容もあった。チャンさんはこの文書で朝鮮日報社主の家族に言及もしている。

当時の捜査機関は、この事件が国民的関心事になるとすぐに大々的に捜査を始めたが、事件の核心の「性接待強要」は暴けないまま枝葉の捜査に留まった。チャンさんの所属会社の代表とマネジャーが暴行などの容疑で起訴され、執行猶予の宣告を受けただけで、残りの人物は処罰どころか一部は取り調べもまともにされなかった。報道機関の社主が関連していたため、一貫して手抜き捜査したという指摘が絶えなかったが、事件はそれで終結してしまった。

チャンさんの事件は、最近韓国社会を揺るがしているMeToo(ミートゥー)運動の原点といえる。チャンさんが残した文書の内容は、限りなく繰り返されてきた権力型の性暴行の一つの形だ。チャンさんは命まで投げ出して自分が受けた痛みを世の中に知らしめた。大統領府の掲示板に「チャンさんの死の真実を明らかにしてほしい」という請願をした人は「無力でコネのない人が花のように美しい年齢で自分の生を恨みながら命を絶ち、(加害者が)ぬけぬけといい暮らしをしているこのような社会を文明国といえるのですか」と書いている。無視できない問いかけだ。検察の過去事委員会は26日、チャンさんの事件を再調査するかどうかを決める予定だという。過去事委が正しい決定を下し、事件の真実が今からでも全て明らかになることを願う。それが故人の悔しさを少しでも晴らすものであり、そして次のチャン・ジャヨンさんが生まれない世の中を作る道だ。

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情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
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