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《注目記事》 金融危機の真犯人を育んだMBAの罪 フィリップ・デルヴス・ブロートン氏

2009年05月27日 22時26分02秒 | 政治・社会
■ 金融危機の真犯人を育んだMBAの罪 フィリップ・デルヴス・ブロートン氏、

 岩瀬大輔氏訳

ハーバードMBAを卒業した新聞記者が覚悟の告発

 2009年5月27日 日経ビジネスオンライン

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090525/195663/?P=1

およそ300年前、大阪の近くにある堂島取引市場に集まったコメ商人たちが、現代のデリバティブ(金融派生商品)産業を生み出した。彼らは古典的な経済上の問題に直面していた。コメの売価が、生産コストよりも大きな振れ幅で変動するため、経済的に極めて不安定な生活になっていたのだ。

そこで彼らは将来の決められた日付に、あらかじめ定まった価格でコメを届けることを記す証書を書き始めた。

市場が進化するに連れ、実際にコメを一切保有せずとも、証書だけを取引することが可能になった。

コメ商人の実需から生まれたデリバティブ取引

著者による『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場』(日経BP社)が発売された。

原題は、Ahead of the Curve: Two Years at Harvard Business School。

この歴史的事実は、2つの点において特筆すべきだ。まず、デリバティブ取引が、事業の不安定を取り除きたいという、コメ商人の実需から生まれたことだ。

そして、これらの取引を編み出したのがコメ商人であり、何年もの高等教育を受け、洗練されたコンピューターの収支予測モデルを持つ金融家ではなかったことである。彼らの金融イノベーションはコメの生産という、現実に価値を生み出す経済活動に根ざしていた。いつの間にかグローバル経済の大半を支配し、それ自身が自己目的化した金融エンジニアリングの類ではなかった。

現在のデリバティブトレーダーのうち、いったいどれだけの人が、自分が取引している商品のことを理解しているだろうか? 

ある企業から債券を買い入れ、それを商品先物や為替相場の変動に対してヘッジしようとする時、彼らはその取引の原資産となっている有形の資産について考えることがあるのだろうか? トレーディングを始めるよりも前に、原油を触ったり、実際に商品をタイバーツで支払ったり、あるいはサブプライムローンを借り入れたりしたことがある人はどれほどいるのだろうか?

同様に、実際のビジネス上の課題に取り組むよりも先に、エクセルで収支予測を作ったり、パワーポイントで戦略プレゼンテーションを作ったりすることに没頭している経営幹部やコンサルタントがどれほどいることか。

ここにビジネス教育の根本的な問題がある。いつの間にか、ビジネススクールが教えることが現実のビジネスから懸け離れたものになってしまったのだ。

社会との間に溝を作った“犯人”となってしまった

ビジネススクールは、経営やビジネスについて知的な思考をするための活気にあふれる場であり、重要な役割を果たす教育機関である。また、経済と社会生活が交差する場所でもある。

しかし、ビジネススクールは、自らが教育するエリートと、奉仕すべき社会との間に大きな溝を生む“犯人”となってしまった。

ビジネススクールは普通の人には全く縁もゆかりもない、独自の言語と行動規範を作り上げたのである。

これは極めて深刻な問題だ。ビジネススクールは、自分たちがやっていることは何か、そもそもビジネススクールは必要なのかについて、改めて問い直す必要がある。

私が2004年から2006年に通ったハーバードビジネススクールを含むいくつかのビジネススクールは、すでにこの問題に取り組み始めた。しかし、実際に多くのビジネススクールがこの問題に向き合うようになったきかっけは、金融危機と、すでに広まっているビジネスリーダーに対する世間一般からの怒りだった。

批判する声は、次のようなものである。

ビジネススクールがビジネスの行動規範を作り出し、学生を教育しているのは、ほんの一握りのエリートだけが潤うためなのか、それとも多数の人が潤うためのものなのか?

社会から課せられた経済的な役割を、大多数の人の役に立つために行使しているのか、それとも自分たちだけのものにしようとしているのか?

学究の対象を、経営と科学だけに限定すべきなのか、それとも「リーダーシップ」のように、崇高なものにまで到達させるのか?

私は、ビジネススクールが分不相応のことを試みた結果、今のように苦しむことになったのだと考えている。

分不相応で権力を濫用する存在の象徴となったMBA

元来、ビジネススクールは(伝統的な大学からは冷笑されたが)、ビジネスという人間の営みを調査し、教育することに特化した技術的な教育機関として発足した。

時がたつにつれ、ビジネススクールは規模と野心を大きくしていった。最近では、ビジネスで実践される論法や現実主義によって、企業の取締役会から国会まで支配するリーダーを教育すると主張するようにまでなっている。この過程で、ビジネススクールは知的で社会的に有用な存在から、傲慢で危険な存在に変わっていった。

堂島のコメ商人は、先物市場を生み出す際にMBA(経営学修士)を必要としなかった。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、盛田昭夫、その他の伝説的な起業家はいずれも正式なビジネス教育を受けずして、偉業を成し遂げた。ビジネススクールはこの事実を理解しているし、このことが、自身の存在の不安定さを説明してもいる。ロースクールやメディカルスクールのように、ビジネススクールはこの分野における成功に必須なものではないのだ。

それにもかかわらず、MBAは栄えた。ある特定の業種や企業においては、必須の資格となっている。MBAの卒業生は必ずしも個人の能力とは連動しない形で、経済界では有利な扱いを受けるようになった。

MBA卒業生に与えられた特権が、最近になって多くの人の目に不公平であると映るようになったのも、驚きではない。

金融危機によって、一般大衆はその思いを素直に口にするようになった。いまや、MBA卒業生はビジネス界に与えられた、分不相応で権力を濫用する存在の象徴となっている。

MBAを批判する者は、ヘッジファンドやプライベートエクイティ・ファームにも非難の矛先を向けている。実体経済の基礎である、キャッシュフローを生み出す製造業やサービス業を、まるでギャンブルのチップのように扱うようになったからだ。

また、経済的な報酬が社会の上の方にばかり流れ、少数の人間だけに集中していることも憤慨している。

少し前までは、何か特別なことをしなければ億万長者にはなれなかった。世界中のすべての机の上にパソコンを置くとか、油を掘り当てるとか、あるいは国際海運を独占するとかいったことだ。

それがこの10年ほどで、金融とトレーディングによって、個人が億万長者に匹敵する資産を手に入れられるようになった。

それも、何十億ドルの価値を生み出すことによってではなく、他人から奪うことによって――。

金融危機の最中、なす術を知らなかった

世界中の優れたビジネススクールの中でも特にハーバードは、かつては重要な産業界の事業経営者を教育していることを誇りにしていた。

それが、私がビジネススクールで学んだ2年間で最も人気が高かった職業は、巨額の投資資金を運用するものだった。

資産運用は伝統的な業種を経営するよりも、手を汚さずして、簡単に高い収益が上げられる職業と考えられていたのである。

金融界という宇宙を支配する者たちは、自らのイノベーションや資本の効率的な配分が、多くの人々の経済的な取り分を拡大していると主張した。しかし製造業や政府、教育などの専門職に対する報酬と学生たちの関心が先細りしてしまったのは、金融家たちが自身の利益になるように、彼らの取り分を侵食していったためだ。

ビジネススクールにとっての悲劇は、バブルが悲惨なまでに拡大している間、経済システム全体の再構築をすべきという批判の声を上げなかったことだ。グローバル経済に関する彼らの専門的で独立した思考が求められていたまさにその時、彼らは声を失っていたのである。

彼らはビジネス界の知的リーダーとして活躍するのではなく、従属者のように語り、行動した。経営学者はビジネスの理性や良心を体現することもなく、目の前に広がる不穏な出来事について批判する意志もなく、哲学的に思考する力にも驚くほど欠けていることを露呈した。

生き残るための2つの選択

私自身は、MBA課程を楽しく学んだ。高額ではあったが、挑戦的で刺激的な体験だった。素晴らしい人に何人も出会った。

無意味に感じた内容もあったが、ほとんどは興味深いものだった。私はここで経営で使われる言語や実践方法を学んだ。

ただ、私が好きになれなかったのは、その特権意識である。ハーバードにいるだけで、どこか特別で多くの見返りを得られるという発想だ。私はMBAにいるだけで経営が上手になるという考えには全く賛同できない。

ビジネススクールは、ここからの卒業生は偉業を成し遂げると主張する。これはある面で真実ではある。

しかし、世の中の多くの人が、経済生活を支配する特権的な人たちから不当な扱いを受け、疎外されたと腹を立てている。

ビジネスリーダーに対するこのような世間一般の感情に反論することはできないだろう。

今後、ビジネススクールが考えるべきことは2つある。1つ目は、なぜこのようなことが起こったのかを反省し、同じ過ちを繰り返さないための施策によって成長することだ。2つ目は規模を縮小し、純粋に技術的な教育機関としてのルーツに立ち戻ることだ。

20億ドルの基金と豪勢なキャンパスを持つハーバードのようなビジネススクールにとって、2つ目の選択は論外だろう。

ここでは、夜間学校や通信学習で学べることよりももっと多岐にわたるコースを提供しなければならないのである。

ビジネススクールが再びその輝きを取り戻すための課題は複雑だ。10年間のキャッシュフロー予測モデルを作るよりも難しい。

さらに複数の学問分野を横断する、学際的な研究を進め、ビジネスの全体像をより確かに把握できるようにしなければならない。

この1年の問題は、金融機関の“暴走”や金融システムそのものによって引き起こされたものである。ビジネススクールのトップたちは自己防衛の殻から抜け出し、ビジネススクールを卒業するエリートたちが、リーダーシップに不可欠な責任というものについてしっかりと理解するよう努めるべきだ。

ビジネススクールは、世間一般からの信認を回復することから着手しなければならない。自由市場主義がごく一部の人のためだけでなく、すべての人の利益になり得るものだということを示すべきだ。

世間一般からの敵意がさらに危険なものへと発展してしまう前に、ビジネススクールはこの議論をリードし、新鮮な発想を吹き込むべきである。
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フィリップ・デルヴス・ブロートン(Philip Delves Broughton)氏

バングラデシュ生まれの英国育ち。1994年ニューカレッジを卒業、2006年にハーバードビジネススクールでMBA取得。デーリー・テレグラフの記者としてニューヨーク、パリに勤務。現在は、フリーのジャーナリストとしてフィナンシャル・タイムズなどに寄稿している。

岩瀬大輔(いわせ・だいすけ)氏

ライフネット生命副社長。東京大学法学部卒業、2006年ハーバードビジネススクールでMBA取得。著書に『ハーバードMBA留学記』(日経BP社)、共著に『超凡思考』(幻冬舎)。

( 終わり)








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