1789年7月14日フランス革命のきっかけとなったバスチーユ監獄襲撃
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【杉並からの情報発信です】【YYNewsLive】【市民ネットメデイアグループ】【家族勉強会】【草の根勉強会】【山崎塾】【1000万人情報拡散運動】を主宰するネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。
昨日火曜日(2015.07.14)に放送しました【YYNewsLive】の『メインテーマ』を加筆訂正して【ブログ記事】にまとめました。
【ブログ記事】■なぜ【フランス革命】には記念日が祭日となり政府主催の盛大な式典があるの に【明治維新】にはそれらが一切ないのか?
今日7月14日は、226年前のフランスで革命の最初の狼煙が上がったバスチーユ監獄襲撃の日にあたる【革命記念日】なのだ!
1789年7月14日、ルイ16世の統治下で重税と飢饉と物価高騰に苦しんだパリ市民が立ち上がり当時火薬庫だったバスチーユ監獄を襲撃して武器 を奪いこれがきっかけで革命の嵐が全国に広がった記念すべき日なのだ。
フランスでは今日の【革命記念日】は祭日となり、政府主催で凱旋門とシャンゼリゼ通りとコンコルド広場を使って軍事パレードが盛大に行われる。
日本では誰が思いついたのかわからないが、【フランス革命記念日】とは言わずにシャンソン大会のような【パリ祭】と呼んで【革命】という文字を消す巧みな世論誘導がなされている。
フランスのルイ絶対王政を打倒した【フランス革命】が、記念日を持ち、祭日となり、政府主催の盛大な式典が行われているのと比べると、日本の江戸 幕府を倒した【明治維新】には、記念日も祭日も政府主催の式典も一切ないのはなぜなのか?
司馬遼太郎が言うように、明治維新が江戸幕府の封建支配から日本を近代国家に転換させた誇るべき市民革命であったと言うのであれば、【フランス革 命】のように記念日を設け、祭日にして、政府主催で記念式典をやればよいではないのか?
なぜやらないできたのか?
その理由はこの間取り上げてきたように、日本の【明治維新】には国民に誇れるようなものは一切なく、逆に国民に隠すべき多くの謀略や陰謀や暗殺があったからなのだ。
■国民に隠されてきた【明治維新の正体】
1.明治維新を実行した主力勢力は、長州藩、薩摩藩、土佐藩などの下級武士や被差別民であり、市民革命ではなかったこと。
2.明治維新は、日本の植民地支配を目指す英国政府とロスチャイルド国際金融マフィアが、長州藩、薩摩藩、土佐藩などの下級武士に資金と武器と戦 略指南を与えて起こした軍事クーデターであったこと。
3.明治維新は、下級公家で孝明天皇から蟄居を命ぜられていた岩倉具視と朝鮮の長州熊毛郡田布施村出身の下級武士伊藤博文と長州萩出身で松下 村塾塾生の下級武士木戸孝允の三人が中心となり公武合体で平和裏に体制変革を目指していた孝明天皇を殺し、明治天皇となった嫡子の睦人親王をも殺 して伊藤博文の子飼いの田布施村出身の大室寅之助に差し替えて明治天皇に偽装させた【大謀略事件】だったのだ。
4.明治維新は、【フランス革命】のように封建体制を根底から破壊して近代国家を創出した市民革命では全くなく、江戸幕府の封建体制はそのまま残 し江戸幕府の代わりに長州、薩摩、土佐の下級武士が権力を握り、二人の天皇を殺して自分たちの天皇をでっち上げたクーデターだったのだ。
5.孝明天皇暗殺と明治天皇暗殺と差し替えの実行犯伊藤博文は、この大犯罪を隠ぺいするために自ら【大日本帝国憲法】を起案し、天皇に①国の統治 権②軍の統帥権③国会の解散権④法律の起案権と共に⑤神聖不可侵の神権をも与えて、天皇を【生き神】の絶対権力者に仕立て上げたのだ。
日本国民は天皇家の永遠の繁栄を願う【君が代】を意味も分からず国歌として斉唱しているが、フランス国民はマルセイユ義勇兵がパリ入城の際に歌っていた【ラ・マルセイエーズ】を国歌にして歌っているのだ。
■ 君が代とは?(Wikipediaより抜粋)
1880年に法律では定められなかったが日本の国歌として「君が代」が採用された。この国歌のテーマは皇統の永続性であり、歌詞は10世紀に編纂 された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである
歌詞
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
英訳
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.
■「ラ・マルセイエーズ」とは?(Wikipediaより抜粋)
この歌は、フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、 市長ディードリヒの要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したというのが定説である。
その後、この歌は全国にパンフレットという形で流布され、テュイルリー宮襲撃事件の約2週間前にマルセイユ連盟兵がパリ入城したときに口ずさんでいたことをきっかけとしてパリ市民の間で流行した。
このために元々の題名ではなく、現在の『ラ・マルセイエーズ(「マルセイユ人」の意味)』という形で定着した。さらに1795年7月14日に国民公会で国歌として採用されたのである。
1804年、ナポレオン・ボナパルトが皇帝になると、「暴君(専制君主)を倒せ」という部分の暴君(ティラン)は世襲君主全般をさすことから、国歌を『門出の歌』に変更し、『ラ・マルセイエーズ』は第一帝政から王政復古にかけては、特別な許しがある場合を除いては、公の場で歌うことは禁止されていた。
1830年の7月革命以降は晴れて解禁となり、第三共和制下で再び国歌に制定され、同年にベルリオーズが独唱者と二重合唱、オーケストラのための編曲を施した。
第四共和政の「1946年憲法」、第五共和政の「1958年憲法」いずれにも『ラ・マルセイエーズ』を国歌として定める旨が明記されている。
▼フランス国歌『ラ・マルセエイーズ』歌詞
https://www.facebook.com/video.php?v=10204784653210132&set=p.10204784653210132&type=2&theater
日本語訳
1番
行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の喉を掻き切る!
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで!
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで!
(終わり)
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情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
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昨日火曜日(2015.07.14)に放送しました【YYNewsLive】の『メインテーマ』を加筆訂正して【ブログ記事】にまとめました。
【ブログ記事】■なぜ【フランス革命】には記念日が祭日となり政府主催の盛大な式典があるの に【明治維新】にはそれらが一切ないのか?
今日7月14日は、226年前のフランスで革命の最初の狼煙が上がったバスチーユ監獄襲撃の日にあたる【革命記念日】なのだ!
1789年7月14日、ルイ16世の統治下で重税と飢饉と物価高騰に苦しんだパリ市民が立ち上がり当時火薬庫だったバスチーユ監獄を襲撃して武器 を奪いこれがきっかけで革命の嵐が全国に広がった記念すべき日なのだ。
フランスでは今日の【革命記念日】は祭日となり、政府主催で凱旋門とシャンゼリゼ通りとコンコルド広場を使って軍事パレードが盛大に行われる。
日本では誰が思いついたのかわからないが、【フランス革命記念日】とは言わずにシャンソン大会のような【パリ祭】と呼んで【革命】という文字を消す巧みな世論誘導がなされている。
フランスのルイ絶対王政を打倒した【フランス革命】が、記念日を持ち、祭日となり、政府主催の盛大な式典が行われているのと比べると、日本の江戸 幕府を倒した【明治維新】には、記念日も祭日も政府主催の式典も一切ないのはなぜなのか?
司馬遼太郎が言うように、明治維新が江戸幕府の封建支配から日本を近代国家に転換させた誇るべき市民革命であったと言うのであれば、【フランス革 命】のように記念日を設け、祭日にして、政府主催で記念式典をやればよいではないのか?
なぜやらないできたのか?
その理由はこの間取り上げてきたように、日本の【明治維新】には国民に誇れるようなものは一切なく、逆に国民に隠すべき多くの謀略や陰謀や暗殺があったからなのだ。
■国民に隠されてきた【明治維新の正体】
1.明治維新を実行した主力勢力は、長州藩、薩摩藩、土佐藩などの下級武士や被差別民であり、市民革命ではなかったこと。
2.明治維新は、日本の植民地支配を目指す英国政府とロスチャイルド国際金融マフィアが、長州藩、薩摩藩、土佐藩などの下級武士に資金と武器と戦 略指南を与えて起こした軍事クーデターであったこと。
3.明治維新は、下級公家で孝明天皇から蟄居を命ぜられていた岩倉具視と朝鮮の長州熊毛郡田布施村出身の下級武士伊藤博文と長州萩出身で松下 村塾塾生の下級武士木戸孝允の三人が中心となり公武合体で平和裏に体制変革を目指していた孝明天皇を殺し、明治天皇となった嫡子の睦人親王をも殺 して伊藤博文の子飼いの田布施村出身の大室寅之助に差し替えて明治天皇に偽装させた【大謀略事件】だったのだ。
4.明治維新は、【フランス革命】のように封建体制を根底から破壊して近代国家を創出した市民革命では全くなく、江戸幕府の封建体制はそのまま残 し江戸幕府の代わりに長州、薩摩、土佐の下級武士が権力を握り、二人の天皇を殺して自分たちの天皇をでっち上げたクーデターだったのだ。
5.孝明天皇暗殺と明治天皇暗殺と差し替えの実行犯伊藤博文は、この大犯罪を隠ぺいするために自ら【大日本帝国憲法】を起案し、天皇に①国の統治 権②軍の統帥権③国会の解散権④法律の起案権と共に⑤神聖不可侵の神権をも与えて、天皇を【生き神】の絶対権力者に仕立て上げたのだ。
日本国民は天皇家の永遠の繁栄を願う【君が代】を意味も分からず国歌として斉唱しているが、フランス国民はマルセイユ義勇兵がパリ入城の際に歌っていた【ラ・マルセイエーズ】を国歌にして歌っているのだ。
■ 君が代とは?(Wikipediaより抜粋)
1880年に法律では定められなかったが日本の国歌として「君が代」が採用された。この国歌のテーマは皇統の永続性であり、歌詞は10世紀に編纂 された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである
歌詞
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
英訳
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.
■「ラ・マルセイエーズ」とは?(Wikipediaより抜粋)
この歌は、フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、 市長ディードリヒの要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したというのが定説である。
その後、この歌は全国にパンフレットという形で流布され、テュイルリー宮襲撃事件の約2週間前にマルセイユ連盟兵がパリ入城したときに口ずさんでいたことをきっかけとしてパリ市民の間で流行した。
このために元々の題名ではなく、現在の『ラ・マルセイエーズ(「マルセイユ人」の意味)』という形で定着した。さらに1795年7月14日に国民公会で国歌として採用されたのである。
1804年、ナポレオン・ボナパルトが皇帝になると、「暴君(専制君主)を倒せ」という部分の暴君(ティラン)は世襲君主全般をさすことから、国歌を『門出の歌』に変更し、『ラ・マルセイエーズ』は第一帝政から王政復古にかけては、特別な許しがある場合を除いては、公の場で歌うことは禁止されていた。
1830年の7月革命以降は晴れて解禁となり、第三共和制下で再び国歌に制定され、同年にベルリオーズが独唱者と二重合唱、オーケストラのための編曲を施した。
第四共和政の「1946年憲法」、第五共和政の「1958年憲法」いずれにも『ラ・マルセイエーズ』を国歌として定める旨が明記されている。
▼フランス国歌『ラ・マルセエイーズ』歌詞
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日本語訳
1番
行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の喉を掻き切る!
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで!
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで!
(終わり)
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