市内博労町にある三共食堂へ、昼食を食べに行った。
博労町は、東京にある"馬喰町"と同じで、江戸時代の馬の飼育・管理に関わる場所だ。
店の前にある片側アーケードは、昭和27年に隣接する祇園町でできたものとほぼ同時期と考えられ、日本でも最古級の金属製アーケード(シルバーアーケード)だ。
店内に入ると、昭和中期っぽい雰囲気の漂う空間。テーブル座席と窓側に申し訳程度の畳を直線に敷いた座敷がある。狭い敷地内にそれでも座敷を残したという感じ。ラーメン屋なんかにこういった座敷が残っているが、食堂におけるこういった和洋折衷っていつ頃生まれたのだろうか?日本人の住環境や食文化の変化と深い関係があるのだろうか...。
店の真ん中に2本の丸い柱がある。一緒に行った建築家のS田さんによると、1本が支柱で1本が配管ではないかとの事。また、この柱の上、天井にあたる部分(梁)が面白いと言う。直線ではなく、途中で太さが段状に変化している。
狭いトイレやトイレのドア、鏡、壁の装飾といったさまざまな部位が、このお店の創建当時を思い起こさせる。あまりトイレを撮影するのも変なので、ここらでやめた...。
チャンポンを食してみた。実にあっさりした、細い麺。恐らく本格的な長崎ちゃんぽんが延岡に入ってくる以前に、地元の人々がつくりあげた"延岡チャンポン"な味。
延岡のB級グルメといったら、このチャンポンや豆腐の入ったおでんを挙げてみたい。
ところで昭和34年の地図をみると、この三共食堂は以前は"再来軒"という名前であったのがわかる。この再来軒は、昭和30年にこの場所で開店し、35年に春日町へ、さらに現在の旭町に移転している。webの記述によると、当時はカウンターだけの小さな店舗だったと書いているが、客室の東壁面に窓があるのは(一番左上の写真)この当時の名残なのだろうか?
よく怒られていた記憶が・・・
いつも懐かしさに満ちている場所です。
先を越されました(笑)
隣か、2、3軒先に「虎屋」の看板がありますね。
よく怒られた場所ですか。
もう少し通いなれたら、お店のオバチャンに色々聞いてみようかと思ってます。
そう、祇園仲に入ってすぐのところに虎屋があります。
今でも痕跡がありますよ。
S川さんといいますと...、あ、延岡の将来よりも、
村治佳織のリサイタルを優先させたあのS川さんですね!!
はいはい(笑)。
ここはロケとかにも使えそうですね。
もっと、知られざる昔っぽいところを探してみたいですが、これを称して"レトロ遊び"と仰った方がいらして、その表現になるほどなと関心しました。
もしかして延岡のチャンポンって、門司港あたりから南に下ってきたものなのでは???
勘違いでしたっけ??
祇園中良い感じですよね
恐らくこの食堂の左隣にあった劇場ではないかと。後に映画館になっております。ただし1,000人は入ったかどうか...。