延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

昭和館にて。

2014-06-03 07:01:28 | まちづくり

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はじめて九段下の昭和館へ行く。まもなく取り壊される事になってしまった九段会館のすぐ隣にある。ここは昭和の、特に戦中戦後の暮らしをテーマとした施設として設立した所である。もう開館してしばらく経つが、今まで見学した事はなかった。来場者にはお年寄りも子供連れも、様々な年齢層が訪れている。館としては戦中戦後を苦労された方々に対する展示と、この記憶を子供達にも伝えていこうとする展示の間で苦労しているように感じた。

軽度の認知症らしい高齢者を、娘さんか息子の嫁さんらしい人が連れて来館していた。娘さん(便宜的にそう言っておく)は展示資料について「これは何?」「疎開先はどこだっけ?」とお婆さんに発話を促していた。博物館における回想法的手法の展開が広く行われるようになったが、特別な企画ではなくてこうして普通に昔を観る事を行えるのはとてもいい。

いくつかのコーナーの後、戦時中の暮らしをテーマにした簡単なゲームになっているCGが映し出された大きめのモニターの前に二人は座った。一次資料、さらには写真や映像といった様々な媒体をみた後であった。ところがお婆さんはなかなか画面の方をみてくれない様子。コントローラーがあるが操作はしておらず、下の方を向いて別のものに気をとられたりしている。娘さんはなんとかお婆さんに画面をみてもらおうと、注力していた。その時どこからか小学生の男の子がやって来て二人が座っているモニターに付随しているコントローラーを手にとって、二人をよそに操作しはじめてしまった。

お婆さんはもちろん娘さんも何も言わないで、小学生の操作を黙っていた。そのうちに小学生の親御さんが少し離れた所からその様子を見て、「今他の人がやってるから次にしなよ」との声。だがしかし子供は「(この人達)何もやってないよ」と反論した。親がさらに二人の状況を理解して、もう一度子供に「順番守りなさい」といいつつコントローラーから子供を引き離した。すぐさま娘さんはお婆さんを連れて座席を立ってしまった。

子供の親は下手に叱りつける事をせず、子供の理解範囲で状況を認識させようとした事はプロセスとしては悪くないだろう。また、このゲームは恐らくは子供向けにつくられたものであり、実際子供の参加を促すように工夫されていた様子である。

だが、かと言って認知症のお婆さんになんとか発話を促そうとして子供用のゲームの前で座席を占有していた感じになってしまったお二人が大人気ない訳ではもちろん、ない。こういった状況を整理出来るのは館職員やボランティアの役割なんだろうけど、たまたまなのか、受付の方以外にそうした人を見かけなかった。

認知症のお婆さんと孫のコミュニケーションが上手くとれていてQOL的にもいいという状況がツイートされていたが、恐らくそこにはその関係を理解している別の大人(下で言うAさんの娘でありお孫さんの親である存在)が存在しているからだと思う。親族以外で認知症者と子供をつなげる人材となると、少し専門性を有する技術が必要になってくるのではないかと、考えている。

satomi inoue
@satomiot
「認知症一人暮らしのAさん。冷蔵庫は賞味期限切れ食品で満杯。娘が捨てると「勝手なことするな!」と激怒。ある日、孫が「料理教えて」と遊びに来た。「あく抜きってどうやるの?」「これもう古いから捨てるね」Aさん自慢の煮物ができる頃には冷蔵庫もきれいに。尊重と尊敬。お孫さんに脱帽。#認知症」

https://twitter.com/satomiot/status/472916058085408768


こうした場面を垣間見ると、介護・福祉の分野とミュージアムとを結ぶプログラムを検討していかねばならないと切に思うのであった。


ところで昭和館の展示で個人的に気に入ったのは常設入り口にある戦地から夫が妻に宛てて送った手紙と、戦争未亡人の苦労を扱ったコーナーの映像展示のある映像。手紙の方は奥さんを想うご主人の暖かさが伝わってきた。終戦直後、夫が戦死して厳しい生活の中子供を育てている未亡人の映像で「生活は苦しいがなんとか、子供を立派にしたい」と答えていた母親の凛とした姿に涙が浮かんだ。息子さん達は今どうしているだろうか。



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