ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

今朝は名護市立中央図書館に行ってきた(20230517)

2023年05月17日 | 名護市街で

 こんにちわ。今日は名護市立中央図書館に行ってきた。約2時間本を物色。お目当ての本・資料をえられなかった。仕方がない。自分の蔵書から5,6冊確保しているので、あとはネットで検索してみよう。

 例の「ずっとやんばる ずっと内ネコ アクションプラン」への批判(続編)を書く予定。野生動物を守ると称して、ネコの生存を危うくする道に待ったをかけたい。世論誘導して、肝心なヤンバルの森を破壊していることを隠蔽しつつ、ことをすすめるなど道義的にも自然環境の保全にもマイナスだ。人間と共に生きてきたネコを今更のように敵視するのは、敵性国家を作り出し、軍拡を進めるこの国らしいやり方だ。

 何度も繰り返してきたことだが、私は野鳥保護から始まり、自然に触れてきた。60年も昔、デパートの動物売り場に野鳥が売られており、私は鳥獣保護法違反だと詰め寄ったことがある。籠の中の野鳥は痛々しかった。野の鳥は野に放て。一方で、山を歩いていて、オオルリの雛が蛇に飲み込まれており、親鳥が泣き叫ぶ場面に私は遭遇したことがある。野生の摂理の鋭い対立。しかしネコは人間の暮らしの中で、「ネコ」になってきたのであって、ある意味、野生ではない。しかし半野生であって、リードを付けて、拘束してはかわいそうだ。ネズミを盗ったり、野鳥をとることもあるかもしれない。今問題にすべきは、やんばるの森に外からネコを捨てに来る愚かしさだ。それなのにネコを360度悪者にするというのだ。

 図書館の近くで、山羊が呻いていた。何事かと思って立ちどまったら、山羊の出産だった。保育園の山羊小屋に飼われているようだが、園外に出されていたのだ。呻いている山羊をみて、子どもが動揺し、「どうしたの?」と山羊に近づいたら、けとばされるかもしれない。ここは一時離すのはベターな選択だったのだろう。帰りには元の園庭に戻っていた。生きていくことには、確かに残酷なことがある。肉食動物はお互いに生きていくために、食い合うことがある。だからネコが希少動物を食べることも否定できない。飛べないクイナである、ヤンバルクイナはネコに狙われることもあるだろう。だがそうした遭遇する頻度を高くしてきたのは、やはり人間なのだ。ヤンバルの森を切り倒して、野生動物の住処を奪ってきたのだ。そこを隠蔽して、ネコが悪いにするのはどうにもフェアではない。ネコを「外来種」だというなら、人間こそが「外来種」ではないか。

 私たちは、良識をみにつけ、外来種である人間の責任で、「(ネコに)おまえが悪い」と決めつけるのはやめ、住処を調整し、生きていける場所を確保していきたいものだ。それができないというならば、人間の浅い智恵を嗤うしかあるまい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。